チュニスの天才旅行者6 《関西人旅行者》
アクセントがおかしくてスワヒリ語ともタガログ語ともアラビア語とも聞こえる発音だが、なんとなく英語のような気もする。
さらに、昔どこかで聞いたことのある、懐かしい響きを持っている。

う〜ん、言葉の内容が英語だとして、さっぱり意味がわからないことを除けば、イントネーションが一番近いのは大阪弁だよね。
しかもかなりの大声だ。
この発音とイントネーションと声の大きさから『関西人だな!』と考えて、僕はぞくっとした。
関西人旅行者は世界中で迷惑がられているのだ。

旅行会社のカウンターから後ろを振り向く。
そこには日本人らしい20代の若者が、薄笑いを浮かべて、ぼーっとつっ立ってる。
ジーンズにTシャツにウエストバッグとディバッグというまさしく日本人学生旅行者のポスターモデルにでもなりそうな格好の若者だ。
彼はまた、大阪なまりの英語らしきものを『ギャオー!』と、大声で叫んだ。
しかし、この学生の英語はどうしたってチュニジア人には理解不能だ。
カウンターの男性は『彼の日本語はわからないので、何を言いたいのか聞いてくれますか?』と僕に頼む。

旅先で旅行者と話すのは(例え関西人でも)、これは旅行の大きな楽しみだ。
さっそく彼に『キミは日本人でしょ?』と話しかけ、何をしたいのか聞く。

『シンガポール航空でヨーロッパにきたんやけど、ローマから大阪への帰りの予約をいれておまへんねん。予約の入れ方が分からんのどす』と、いかにも関西人らしく言う(おいおい、この言葉のどこが関西人らしいんや。お前どつき倒すぞ!)。

ハハーン、ここにも旅行代理店の口車に乗った若者がいたか…。
有名な旅行のことわざ(僕が作ったんだけどね)に『予約の入らない切符はウンコを拭いた後のティッシュペーパー』というものがある。
その心は『チェックインカウンターに持っていくと嫌われる』だ。
卒業旅行の終わりの時期は海外から日本への飛行機は非常に混み合う。
そこで旅行代理店といわれるやくざな連中は、帰りの予約が入らなくても、『帰りは現地で予約を入れて下さい。現地だと予約は簡単に入りますから』などといいかげんなことを言って学生を送り出すのだ。

この言葉を単純に信じて旅行に出ると、帰国便の予約がまったく入らず、高い金を出して別に切符を買うことになる。
また、予定した日に帰国できず、入社したとたんに窓際族になったり、入社内定が取り消しとなった学生も多い。
海外に住み着いたり、世界を放浪している日本人に話を聞くと、ほとんどは卒業旅行に出たまま日本に帰りそこなって10年、20年たってしまった人たちなので、昔の人の中には、学生服を着たままの人もいる。

でもまあ、うまく日本に戻って入社できたとしても、それ以後何十年も日本で満員電車に乗って通勤し、言いたいことも言わず、おべっかを使って人間関係に神経をすり減らし、やりたくもないゴルフに休日を使い、信じてもいないことを決まり切ったパターンで言い、そのうちに定年になって海外旅行をしようとしても定年後の生活設計が不安で、せいぜいツアーでヨーロッパ10日間、などという惨めな人生よりは幸せだろうけれどもね。

だから予定した日に日本へ帰れなくても、それは神の定めなのだ。
ただ、初めから神から相手にもされてない人間が日本に帰れなかったら、これは悲劇だ。
そして、旅行会社からも神からも見捨てられる日本人旅行者がかなりいるのはこれは本当なのだ。
この学生の名前は東堂君。
大阪大学の2回生。
見かけがいかにも頼りない。
頼りないので、ヨーロッパを旅行していた途中で、なにかのついでにちょっとチュニスへ飛んできた程度だろうと考えた。
が、話を聞くと、アルジェリアのサハラ砂漠の真中にあるオアシス『タマンラセト』へ行ってきたのだそうだ。
この町へは僕も行こうと考えていて、アルジェで航空会社の事務所へ行ったが、2時間もカウンター前に並んだあげく、『2週間先まで満席』との答を得てあきらめた経験がある。

日本語のガイドブック(『地球の歩き方』に決まってるさ)はとんでもなくいいかげんで、アルジェの地図そのものが間違っていたので、この事務所を捜すのも問い合わせするのも、全部フランス語を使って苦労したものだ。

フランス語どころか英語もまともにしゃべれない彼に、どうして飛行機の切符が取れたのだろう?
「僕が出来なかったことがこんな馬鹿な学生に出来るはずがない」という傲慢な気持ちが沸いてきた。

恥ずかしい話だが、この頃はまだ僕は旅行の初心者だった。
実は、50か国未満のわずかな旅行経験しかなかったのだ。

だから初心者にありがちな『僕はうまく旅行したが、こんなことは普通の人間には出来ない』という驕りの気持ちがあった。
でも、これは海外旅行というものをわざわざ過大評価している旅行者の初心者にはありがちな、自分に対する過信だったのだ。

もちろん、海外旅行自体は決して難しいものではない。
三流の旅行業者や三流の旅行作家が自分のしたことを自慢したいために大げさな嘘をまき散らしていて、それを何にも知らない日本の三流マスコミが拡大再生産して、それで実際以上に難しく見えるだけなのだ。

だから、自分で海外旅行に出たら、必ず『思ったよりもずっと簡単じゃないか!』と思う。
でももちろん、もともと海外旅行なんて簡単なものなんだ。

それを『自分が優秀だからこんなに旅行がスムーズに行くのだ』と思うのは大きな間違いなのだ。
だって、みんながそう考えるのだからね。

この頃は僕はこんなあたり前のことすら、何もわかってなかったのだ。