チュニスの天才旅行者 《終章:愛される旅行者への道》
郵便局の中を覗くと、東堂君はコインに両替してくれた窓口の女性係官に『サンキュー!』と大声で叫んで投げキッスをしていた。
郵便局中の人がにこにこして拍手をすると、彼は投げキッスをしながらくるくると体を回転させ、ステップを踏んで、踊りながら郵便局から出た。

僕はイタリア英語とイタリア女の冗談で頭が痛くなっていた。
すっかり疲れてしまって、これ以上東堂君と付き合う気持ちがなかったので、『じゃあねー!』と言ってあっさり別れてしまった(本物の旅行者は、別れがあっさりしているのが特徴だ)。

チュニスのメジナを少し探険した後、通りの中央が公園になっているフランス通りのキオスクで、フランス語の新聞雑誌の間から『ニューズウイーク』を発見して買った。
ホテルの部屋で、久しぶりのニューズウィークをむさぶるように読みながら、サンドイッチとワインで夕食にした。
ブラインドの透き間から差し込む日の光が壁に映るのを見ながら、固いベッドに横たわって、考えた。

あれがひょっとしたら本物かもしれないね…。

彼はあのやり方で、まわりを明るくしながら欲しいものは手に入れている。
僕には変な気取りがあるので、あそこまで自分を解放出来ない。
考えてみればイタリア女に電話でからかわれたのも『くそ真面目な日本人』と思われたからかもしれない。
こちらも変に流暢な英語を使ったりせず、もっと馬鹿になるべきだった。
座席の予約のためなのだから、単純に単語を並べれば良かったのだ。
BBCのアナウンサーのようなきれいな英語を無理に気取って使うことはなかったのだ。

うーん、まだまだ未熟だね。
という訳で、これ以来、海外で人に話しかける時は出来るだけ頼りなさそうに振舞うことにした。

例えばアメリカの小さな町の観光案内所へ行ったら、出来るだけ単純なジャパニーズイングリッシュを使ってにこにこ笑い、出る時は大声で『サンキューベリーマッチ!』と大げさに叫ぶ。
これの方が係員も親切に教えてくれるものなのだ。

この考え方を進めると『外国人が考えるような日本人らしい日本人』を演技した方がすべてうまく行くという海外生活哲学にたどり着く。
『誰が見ても日本人』ならば、安心して付き合ってくれるものなのだ。

例えばトルコのある警察署に用事があって行った時は、まず警察署の入口で手のひらを胸の前で合わせて深くお辞儀して、丁度お寺に参るような挨拶をして入った。
なんの意味もないのだが、「日本人はきっとこういう挨拶をする、とトルコ人は考えているだろう」と予想して、そういう態度を取ったのだ。
そうすると警察官も、また同じく手を合わせて挨拶を返してくれたっけ。
話も丁寧に聞いてくれた。

その後、アメリカで出会った日本人留学生と話すと、悩みはほとんど『白人の友達ができない』ということだった。

女の子にはすぐに友達ができるが、留学していたって仕事をしていたって、普通のありふれた退屈な日本人男性にはだいたい外国人の友達なんかできないものなのだ。(実はこういう日本人男性には日本にも本当は友達なんていないんだが)。

僕はこの経験があったので、彼らに的確なアドバイスを与えた。
それは、「アメリカ人が考えるような日本人を演じろ」ということだ。

ちょんまげを結って、和服を着て、刀を差して学校へ行けば、まず必ず友達ができる。
それが無理なら、胸からカメラを下げ、めがねをかけて、出っ歯にして、下駄を履いてあるきまわり、アメリカ人が『オー、マイゴッド!』という時に『オー、マイブッダ!』と叫べばいいのだ。

誰だって日本人とつき合うのなら、「日本人らしい日本人」と友達になりたいに決まっている。

僕たちだって、「気の弱い、暗ーいアメリカ人」なんかとはつき合いたくないよね。
日本の黒人大好きな女の子だって、リズム感が悪くて踊りが下手で、バスケットボールが下手で、ぽこちんの小さい黒人なんかとは『お友達』になりたくないよね。
やはりアメリカ人は外向的で陽気で気楽でいてほしいし、そうでなければわざわざつき合う意味がないんだ。
アメリカ人にしたって、中途半端な、アメリカ人のような東洋人のような、特徴のない個性のない頭の悪い人間と友達になっても、意味がないと思うに決まっている。
やはり、自分が思い描いていたような、「忍術が上手な」日本人と付き合いたいのだ。

海外のTV番組を見ていて、現地に長期滞在している日本人が出てくると、いやにデフォルメされた変な日本人を演じているのに気づいて、お尻がこそばゆい思いをしたことがあると思う。
しかし、それこそが、海外の日本人が現地で適応するためのひとつの正しいやり方なのだ。

さて、僕は東堂君に出会ったこの頃、北アフリカ3国を横断したので旅行に少し自信を持ち、旅行をなめ始めていた。
こういう時が一番危ない時だったのだ。

この大阪からの学生に出会ったのは、だから神からのお告げだったのかもしれない。

『自分を捨て、真の旅行道をつかめ!』
しかし僕が旅行について本当に悟ったのは、これよりずっと後、ケニアに長期滞在して、北アメリカをグレイハウンドで走り回って、LAにずるずると居座って、中南米を一人旅をして、南太平洋の島々をアイランドホップして、アジアにたどり着いて、韓国から船で日本に帰りついて、東京に戻って、新橋の『養老の滝』で養老ビールを飲んでいた時だが、それはまた別の機会に話そうと思う。

僕がチュニスで出会った『天才旅行者』の話は、これでお終い。

【旅行哲学】旅先では天才旅行者に出会うことがある。