《インド旅行者を撃て!》 

僕のこれまでの議論で一番目の敵にしているのが「インド旅行者」だ。
これに関しては「世界旅行者」の読者から非常な反発を食った事がある。

「私の友達でインドが大好きでよく行く人がいます。とてもいろんな事を知っていて、私もインドの話を聞くのが好きで尊敬しています。でも、西本さんはインド旅行者を完全に馬鹿にしているのでひどい」だってさ。

この感想を述べたのは早稲田大学を出て、勤めもせずに金持ちの親の世話になって食っているうちに30歳近くなったというご立派な女だ。
ちょっと下ネタがかった冗談を言うと耳をふさいでしまう。

こんな面白くない人生を送っていたら、自分の友達を過大評価したくなる。
そしてそんな友達を持つ自分を少しは意味のある生き方をしてきた思い込みたくなるのも分からないわけではない。

もちろんそれは嘘だ。

そして自分でもそれが嘘だと心の底では分かっているのだ。

自分がでっち上げた「面白い友達を持つ自分の有意義な人生」の虚構をずばり指摘されたから本気で怒るのだ。
なぜならたかが早稲田を出たというだけで他に何の能力もないブスな女のまわりに、面白い男がいるはずがないからだ。

結局、だめな連中はだめな連中同士集まるものなのさ。

でも、ここでなぜ僕がインド旅行者を非難するのか、その理由を説明しておくのもいいだろう。

さて誰が言ったのかわからないが、インド旅行を誇大に見せるために「旅行者にはインドが大好きになる人と、インドが大嫌いになる人との2種類がいる」との大げさな話が流れていたことがある。

これはとんでもない大嘘だ。

だって、君は「インドが大嫌いだ」という旅行者に会った事があるかい?
ないだろう。そんなやつはいないんだ。

僕は世界中でインド旅行を鼻にかける中途半端な旅行者にはいやになるほど出くわしたが、インドがいやだという旅行者に会ったことがない。

つまりインドに行った旅行者はみんな「インドが大好き」になるものなのさ。

僕はネパールからインドを縦断して南インドのビーチにもいた(普通のインド旅行者は北インドの観光地をちょっとうろついただけで、まるでインドに10年もいたような蘊蓄を傾けるのがカワユイね)のだからインドが好きになった。
インドは確かに面白いところだ。

だからこそ、世界にはもっと素敵なところがあるかもしれないと考えて、それを捜しに世界旅行に出たのだ。

これが常識だろう。

例えば初めてSEXをして気持ちよかったら、他の人とするともっと気持ちいいかも分からない、と考えるのが素直で正直で頭も育ちもいい人間だ。

だからまともな男は人生の一時期はあちこちの女に手を出して、女狂いになるものだ。
また、本当にいい女は20歳前後にやりまくっているものだ。

インドに一度足を踏み入れてちょっと気にいったからといって、そのままインド通いを繰り返すのでは、初めてSEXをした相手と結婚をしてしまうような馬鹿馬鹿しい話だ。
誰がこんな根性なしの低能な人間に人生相談を持ちかけるだろうか?

だからインドしか知らない連中の、こういったいかにももっともらしい話を無批判に受け入れてはいけない。

でも、この言葉から別の意味を引き出す事はできる。
つまり、インドへ足を踏み入れた旅行者は大した経験もないのによってたかってインド旅行を大変なものにしたがっているという事実だ。
そして、出来るだけインド旅行を大変な冒険にしたいのは、事実は反対で、大して難しい旅行ではないという事だ。

インドはイギリスの植民地だったからどこでも英語は通じるし、鉄道網もきっちりしている。
アジアの国だから日本に対しての差別意識もない。
物価も安い。
インドのように旅行の楽なところは世界中でも珍しいのだ。

インドのように旅が簡単な国を大変なところにでっち上げるのは、インドぐらいにしか行けない、学生より貧乏な、売れない旅行作家連中の意図的なものもある。
が、もう一つはインド旅行者自身が結局アマチュア旅行者だという事だ。

このポイントを押さえると、インド旅行者が旅行について無知な一般人にたいしてなぜあんなにインド旅行の事を話したがるかが簡単に理解できる。
経験が少ないので何にでもびっくりするということだ。

ちょうど、初めてマスをかいた中学生がちんちんの先から白い液がとび出したのにびっくりして人生に絶望し、近くのビルから飛び降りるようなものだ。

インド旅行者の典型的な話は「インドでは道端に体重計が置いてあるんだ。その横に小さな男の子が座ってる。何だろうと思って見てたら通行人が乗って体重を見て男の子にお金を払うんだよ。イヤーびっくりしたね。インドではこういうのまで商売になるんだよ。インドはすごいよ!」だってさ。

この言葉から「すごいわね」と思うのは今どきオナニーもしたことのない女子高校生の処女ぐらいだ。(そんなやついるかって!)

まともな女からは「脳味噌に蛆わいてんじゃないの〜」と同情されてしまう。

道端に体重計を置いての商売が世界中にありふれているのは誰でも知っている。
僕はモロッコを初めとするアラブ諸国でも、中南米でもこの商売を見たことがある。
日本でだってつい最近まで、コインを入れて体重をはかる自動式の体重計がデパートの階段の踊り場などにひっそりと置いてあったものだ。
つまり、インド旅行者が何にでもびっくりするのはただ世の中を知らない上に頭が悪いという単純な理由なのだ。

さてここでインド旅行者は頭が悪いということが厳密に証明された。

次に知的レベルの低いインド旅行者がなぜインドを好きになるのかを説明しよう。

これを説明するのは簡単だ。
彼らの日本に置ける社会的地位とインドでのそれを比較すればいい。

さて日本は学歴社会で、誰もこの呪縛からのがれることができない。
誰でもが参加する大学受験レースで基本的な人間のレベルが決定されてしまうのだ。
とすると頭の悪い人間は日本では常に劣等感を抱いて生活していることになる。
たとえ親が死んで土地成金になり、マンション経営で優雅な生活をしていても(それだけに)日本にいたら常に自分の学歴についてのコンプレックスがある。

日本の学歴信仰は日本人にしみついたものだ。
というのは昔は一流大学を出ることが社会的地位や豊かさに直結していたが、現在では全く関係ないからだ。

現代の日本では馬鹿になって不正にも手を染めなければ出世も金も手にできない。
つまり、正直で頭がいいとかえって邪魔になって出世できない。

これが本当に優秀な人物が日本では出世も金儲けも出来ず、「世界旅行者」になる理由なのだ。
また夢を捨て切れないまじめな人間が会社を辞めて長期海外旅行に出る原因なのだ。

現代日本では学歴なんかより、親がどこに土地を持っていたかが子供のすべての人生を決定する。
だから学歴は出世や豊かさとは無関係になった。

ところが逆に、それだけに神聖なものとなった。
何の役にも立たないからこそ、貴重なものになったわけだ。
つまり、家柄や勲章のようなものになったのだ。

日本ではどんな貧乏をしていても一流大学さえ出ていれば、貧乏なだけに評価されるということが逆にある。
今や学歴は何の役にも立たないものだからこそ、強く求められるようになったのだ。

もともと人間はただ人より優れているというエゴを満足させたいだけの生き物なので、何の役にも立たない学歴ほどエゴを満足させてくれるものはない。
だから受験戦争は決してなくならない。

お金は使えばなくなるし、アルマーニのスーツもBMWも買った瞬間からその価値を減じて最後には笑いものになってしまうが、学歴は一度手にすれば一生ものなのだ。

三流の医科大学や幼稚園からエスカレーター式の例の私立大学なら(結局金で買った学歴なので)笑いものにできるが、本物の一流の学歴自体を本気で笑うことはできない。
とすると、金があってもなくっても学歴のない頭の悪い連中は日本では本当の満足が感じられないことになる。
決していやされない心の傷を持って生活しているのだ。

さてこういう連中がインドに行くとどうなるだろう?
インドに足を踏み入れたとたんに、すぐにスターになってしまう。

何しろインドでは「日本人は金持ち」と決まっているのだ。
また、ヨーロッパ人にはインド人を人種差別する旅行者が多いのだが、日本人はウブなので話しかけさえすれば相手にしてくれる。

金を持っていて愛想がいいのだから普通の日本人ならインド人の友達がすぐに出来る。
いやになるほど話しかけられるし、みんなが注目してくれるというわけだ。

特に日本人の女の子でありさえすればどんなブスでも、どこへ行っても口説かれ結婚を申し込まれる。(これはインドに限らず世界中どこでもそうだが)

どんな貧相な男でも日本人であるかぎり、うるさいくらい子供がまとわりついてくるしいやになるほど友達が出来る。(これはインドだけだ)

日本では友達も出来ずコンプレックスの固まりだったインド旅行者は、完全に舞い上がってしまう。
まるで日本で芸能人になったようなものだ。

となると、実力もないのにまぐれで一発当てた芸能人が一度覚えたスターの味を忘れられずにどんなに落ちぶれても芸能人をやめられないように、インド旅行者はインドから離れられない。

日本にいれば彼の存在は「無」だ。
しかし、インドにいれば彼は「スター」なのだ。
インド旅行者が常にインドへ戻る本当の意味は、ただこれだけなのだ。

その上、インドには日本人旅行者がうじゃうじゃいる。
こういった日本人インド旅行者はどれもこれも似たような連中だ。
だから、とても低いレベルで話が合う。

みんなで互いにインド旅行経験をほめあっている。
でも日本人同士になると劣等感が蒸し返されるので逆に見栄の張り合いとなり、学歴や職業については嘘だらけだ。

インドにちょっといけばわかるが、小説家、コピーライター(僕が行った10年以上昔はまだ流行の職業だった)、写真家、絵描き、イラストレーター、医者の卵、などがめじろ押しだ。

でも、もちろん嘘だ。(話せばすぐわかる)

惨めな話じゃないか。
でも、これがインド旅行者の実態なのだ。

まあインドのあちこちの日本人宿(宿泊者は日本人だけ)にはこういった腐った連中が金の続くかぎりたむろしている。
時にはインド旅行者が身の程を考えずに他の地域を旅行することもあるが、誰も注目してくれないのでつまらなくてすぐにインドへ戻ってしまう。

ヨーロッパやアメリカでは差別され、中南米では「チーノ(中国人)」とあしらわれ、北アフリカでも無視され料金をぼられる。(男の場合に限るが)

彼らに取ってはインドという安全で心地よい子宮の中に身を落ち着けて、ハシシでもやりながら現実から目をそらせている方が幸せなのだ。
旅行がただ自分のエゴを満足させるだけのレベルにとどまっているなら、こういう低レベルの旅行者はインドに居続けるしか方法がない。

これがインド旅行者というものの実態で、僕が彼らを嫌う理由だ。

もっと簡単にいうと、インド旅行者は底の浅い自慢話だけで話が面白くないんだ。

旅行者の本質はどれだけおもしろおかしく自分の旅行の話を聞かせられるかにつきるわけで、これは底の浅いインド旅行者には決して出来ないことだ。

また逆に、ロンドンの語学学校に何年も在籍しているだけで「留学している」と言い訳をする中途半端な30歳前後の女たちや、NYの寿司屋の店員として不法滞在で働いているだけで「アメリカ生活何年」と自慢する高校中退の男たちも本質的にはインド旅行者と変わらない。

つまり「インド旅行者」的存在はすべての街角に見出すことができる。

そして、これと徹底的に戦うことが「世界旅行者」の神から与えられた使命なのだ。