《ポコチンで魚が捕まえられるかを実験する》@セントビンセント

どんなに寝苦しい夜にも、必ず朝が来る。
夜明けのない夜はない。
そして、夜明けは近い。
夜明け前が最も暗い。

そう言って、自分の不幸せにも、いつか終わりが来ると考えて、耐えに耐えていた人達が昔はずいぶんいたらしい。

でも、人間はいつ死んでしまうのかわからないのだから、不幸せのままで死んでいった人もずいぶんいたはずだ。

僕もまだ童貞だったころ、自分の童貞にも必ず終わりが来て、必ず女とSEX出来るのだから焦ることはないと考えて、楽しくマスをかいていた。

でも、僕の友人は高校時代に童貞のままで、病気で死んだ。
なんの病気か忘れたが、たぶんAIDSではなかったように記憶している。

『時の流れに身を任せる』とは歌謡曲の歌詞にもなっているが、実際はなんにもしないことだ。
それで、なんとかなると思っているのは、これは『甘えの構造』だろう。

自分からなにも行動を起こさない人間にはなにも起こらないのだ。

しかし、そういう屁理屈を論じることを許さない確かさで、セントビンセントの夜には眩いばかりの朝がやって来た。
それもそのはず、起き出したらもう9時近い。

 

あわてて、ホテルから跳び出して、昨日、部屋の値段を聞いてあきらめた、近くのホテルのレセプションで絵ハガキを入手した。
それからミニバスに乗ってキングスタウンへ。

まず旅行代理店へ飛び込み、持っている切符を変更して、ここから直接セントルシアへ行けないかを聞いてみた。
「切符は変更出来るけれども明日のフライトは満員」との返事だ。
明日は日曜日で、明後日の月曜日、4月24日ならば空席があるらしい。

僕はこの島に飽きているのだから、これはだめだ。
今のままの予定でも明日23日にはバルバドスへ戻り、翌24日にはバルバドスからセントルシアへ飛ぶことになっているのだから。
だったら設備の整ったバルバドスのホテルでゆっくりした方がいい。
オリジナルの旅程のまま明日午前10:55にセントビンセントを出ることにした。

次に中央郵便局に足を運び、絵ハガキを送る。
この西インド諸島の島々で気付いたのは、切手が大きくて美しいこと。
そういえばアイドルの南野陽子の記念切手を発行したのが、となりの島国グレナダだったような記憶がある。

この郵便局にも大きなテーブルがあって、ここで手紙を書いている人もいる。
ハガキを建物の中のポストに投函し、外に出ようとしたら、変なおじさんが僕に話しかけてきた。
お金が欲しいらしい。
つまり、LAのダウンタウンによくいる種類の人がここにもいたのだ。

こんな小さな島の中央郵便局前で小銭をねだっているのだから、かなりな有名人かもしれない。
しかし有名人だとしても僕は小銭も渡さずサインをもらったりはしなかった。
もう昼近くになっていて、おなかが減っていたからだ。

昨日の中華料理店はなかなか親切だったが、ただちょっと難点があった。
中華料理に中華味がまったく欠けていたのだ。

話に聞いていたコブルストーンホテルのドアを開ける。
外の猛暑から中へ入ると、寒さでぶるっと震えるほどにクーラーが効いていて、お客はバーのカウンターに腰かけてTVを見ている。
見るとどうやらクリケットの試合だ。
レストランの丸テーブルに座って、メニューを見るとなかなかいい値段が書いてある。

実は例の中華料理店でもメニューには高価な料理が並んでいた。
ウエイトレスに相談して定食のような量のたっぷりあるものを食べさせて頂いたのだ。
ここでもウェイトレスに相談すると、ハンバーガーをぎょうぎょうしく皿に載せて持ってきてくれた。
ビール2本とこのハンバーガーで16EC。

冷たい氷水のおかわりを持ってきてくれて、メニューも選んでもらったので、肥った黒人のウエイトレスに2ECのチップを置いた(ね、僕だって出す時には出すんだよ)。

 

町をぶらぶらすると、昨日は見えなかったものが見えてきた。
この町にはお土産屋もスーパーマーケットもケンタッキーフライドチキンもちゃんとあるのだ。
それで、お土産のTシャツやプラスチックのキーホルダー、絵ハガキ、夕食用にワインやジュース、KFCの5ピースなどを買い込んだ。

ほこりっぽいリトル東京バスターミナルからミニバスに乗り、今度は間違えずにバスを降り、ホテルの部屋に帰るとベッドに倒れ込んだ。
この日差しと暑さの中では、一日中外で動き回るのは無理だ。

 

そのままベッドの上で本を読んで休み、午後4時頃になってビーチへ行くことにした。
西インド諸島の島国に来ているのだから、ビーチで泳ぐのが定番だ。

それに僕は世界中で泳いできている。

地中海でも、インド洋でも、カリブ海でも、大西洋でも、南太平洋でも、紅海でも、そしてガンジス川でも。

目の前に海があれば絶対に泳ぐのが僕の主義であり『世界旅行者』の存在理由(RAISON D'ETRE) である。

目の前に国境があれば、その国に興味がなくても、国境を越えようと考える。
女がいれば一応は口説く。

だから子供が次々と新しいおもちゃに次々と手を出すように、興味を持ったものが変化してきた。
ただ旅行はそれ自体が変化を楽しむものなので、旅行から足を洗うことはないだろう。

疲れていてもっと休みたくても、ベッドで横たわって本を読みながら昼下がりを過ごすという快楽を捨ててビーチへ向かうのは、これは『世界旅行者』の必然なのだ。

 

バルバドスで買った水着の上に半ズボンを着て、内側がコーティングしてある軽いスタッフバッグに日焼けオイルとペーパーバックを入れ、ホテルのタオルを持ち、LAのヤオハンで10ドルもしたイボイボ付きの健康サンダルを履いて、まだむせ返るような暑さの中に出る。

別荘地は静まり返っていたが、ビーチへ下りると20人ほどが泳いでいた。
このビーチはヨットが着けてあるだけあって、波がほとんどなく、プールで泳いでいるような感じだ。

砂が黒みがかっているせいか、水の透明度が高い。
胸まで水に漬かって足元を見ると、足の指先まではっきりと見える。
ジャックナイフ型で潜ると水中メガネがないのにはっきりと泳いでいる魚が見える。
しかも、潜ったあとも目がそんなに痛くならない。
ビーチ沿いのホテルに泊まっているらしいフランス人風の若い娘たちも目の保養になる。

あおむきに寝て手足を大きく伸ばして、水面に浮かぶ。
視界がすべて真っ青な空で覆いつくされ、僕はたった一人でこの海を占領しているような錯覚に陥る。

いろんな海で泳いできた。
いろんな宿に泊まってきた。
いろんな人に出会ってきた。
いろんな人と別れてきた。

そして、僕もまた僕という存在から、いつか別れる時が来る。

 

細長いビーチで人が集まって泳いでいるのはごく一部だ。
僕はその集団から離れて、ビーチを東の方へと歩いた。

波打ち際ぎりぎりまでホテルの敷地が迫っていたところを、海水に足を漬けながら歩いて抜けると、そこでは木を組み合わせて作られた小さな桟橋に出会った。

桟橋を突端まで歩き、海中をのぞき込むと魚が群れている。
あたりに人影がないのを確かめて、僕は水に飛び込んだ。
魚は驚いたふうもなく泳いでいる。

僕はパンツをするりと脱いだ。
桟橋の木杭につかまって、チンポコをゆ〜らゆ〜らと海中で揺らす。

小学生のころ担任の先生から聞いた話が突然よみがえったのだ。
先生は兵隊さんで中国にいたころ、食糧不足で川で魚を捕まえていた。
中国には雷魚という大きな魚がいて、それを捕まえるにはチンポコを川の中で揺らす。
そうすると雷魚は餌だと思ってさーっと飛びついてくる。
雷魚がチンポコに食い付く寸前に両手で雷魚の頭を押さえて捕まえるのだ。

小学校の時に習った植木算や鶴亀算は中学校で方程式を知ったとたんに頭から消え去ってしまったが、この雷魚の捕まえ方はずっと記憶に残っていた。
それでいい機会だと実践したのだが、魚は取れなかった。

僕のポコチンは大きくて格好いいので、お魚はウツボか海蛇だと勘違いして怖かったのかもしれない。

 

遅い午後に海辺へ来たら、砂浜で夕陽を見るのも定番である。
ホテルのオーナーがもうひとつビーチがあるといっていたのを思い出して、ビラから海へ右側の道を歩いてみた。
こちらのビーチはセントビンセントを一周する道路からすぐに舗装道路を通って乗りつけられるようで、4WDなどが何台か停車していた。

そのせいかこちらのビーチは人が多い。
考えれ見れば、今日は土曜日なのだ。

沖に岩場があって黒人の子供たちが次々に7〜8メートルの高さから飛び込んでいるのが見える。
このビーチで泳いだり寝転んで本を読んだりしながら、日が沈むまでいた。

夜はワインとフライドチキンを夕食にした。
これがセントビンセント最後の夜だ。

そして、もう一生ここを訪れることはないだろう。

ワインでふらっとした脳味噌が同じくささやいた。

「そして、今日という日ももう二度と戻ってはこないのだ」

westindies17

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