《髭野郎とパンツカップルの登場》

そう考えながら固いビフテキの肉を切っていると、見かけない日本人が入ってきた。
僕の他に誰もいないのを見て、ちょっと迷って、隣のテーブルにつく。
その素振りがいかにも初々しい。
緊張しているのか、まず右手右足、そのあと左手左足を一緒に出して、ぎこちなく歩いている(おいおい、そんな奴いるかって!)。

旅行の素人だな‥‥。

僕にあいさつもしないのだから、旅行の仁義も知らないトウシロなのは確実だ。
ちょっとへんぴな旅先で日本人に出会ったら、まず挨拶するのが常識だ。

「こんにちわー。日本の方ですか?僕は旅行をしているんですが、来たばかりなのでよろしくお願いします。名前は○○といいます。お近付きの印に、ビールでもおごらせていただけませんか
と話し掛けるのが、まともな旅行者だ(しかし、僕はこういうちゃんとした旅行者に一度も出会ったことがない)。

年齢と雰囲気から考えて、大学生のようだ。
しかし、こいつは近頃よくいる「大学にはいったが友達の出来ない」タイプだな。
挨拶も出来ないのでは、世界中どこでも生きては行けない。
若いくせに、いやに派手なあご髭を生やしているのは、長期旅行者を気取る初心者に多いのだ。

髭を生やしているのは、世の中の常識として「気の弱さを隠すため」なのだ。

ちょうど暇だからちょっとからかってもいいが‥‥と、ほんの一瞬迷った。
でも、いかにも知的レベルの低い、面白くなさそうなやつだ。
いちいち馬鹿を相手するのも疲れる話だ。

その日本人(これを髭野郎と呼ぶ)は僕の存在を気にはしているようだが、声をかけそびれたのでわざと僕を無視する態度に出た。

僕は何時でもこのレベルの男はからかえるので、赤川次郎を読み終っての暇つぶしに取っておく事にした。
このタイプの男よりは読みかけの赤川次郎の方がまだ刺激的なのだ。
だって僕はこのタイプには世界中で出会ってもう見切っているのだから。

しかし、しばらくすると、今度は男女の二人連れが入ってきた。
見かけはちょっと変わっているが、変わっているだけでこれもまたよくあるタイプだ。

男も女も東南アジアのビーチで売っているようなたっぷりしたハーレムパンツをはいている。
女は長い髪をまとめて頭の上でまとめている。
男は長い髪を一本にまとめて後ろに垂らしている。
男の鼻の下には無理をして生やした貧相な薄い髭がある。

つまり、あご髭を生やしたかったが出来ないので、やっと口髭を生やしたのだ。

これは格好からすると、一見なかなか面白そうだ。
しかしやはり、ニセモノだ。
というのは、彼らもまた僕を見たのに挨拶しないからだ。

さっきの髭野郎のテーブルについたのは、どうやら待ち合わせをしていたらしい。
髭野郎は一人寂しくおどおどしていたのに2人が来ると、ゼンマイを巻いた猿のおもちゃのように、急に元気になった。

 

《インド攻撃の開始》

気が弱いくせに集団になれば強くなるという典型的な日本人だね(何を血迷ったか一人で中米なんかに来ないで、日本で、パソ通のオフで「仲良しごっこ」していれば、モテないもの同士で、つたなくもみにくいセックスぐらい出来るのにね!)。

これはすこーし面白いかもしんない。
3人の話の内容を聞けば、どのレベルかが判断出来る。

もちろんいくら格好だけの旅行者と思っても、世の中には100パーセント確実というは事ないのだから、こちらが攻撃する時は確認しておかないと思いがけない反撃を食う事があるのだ。

まあ、僕はどんな攻撃を受けても、負けるはずがないけれどね。

「このトルティージャというのは、インドのチャパティに似てるねー」とハーレムパンツの男がしゃべり出した。(この男をパンツ男、女をパンツ女と呼ぶ)

なるほど、パンツ男のインド攻撃が始まった。
インドにちょっと行った連中は、世界中どこでも、まず「インドで放浪した」という話を持ち出して、相手より優位に立とうとするものなのだ。

そのためには相手がインドに行った事があっては困るので、こういうふうに何気なくインドの話題を持ち出して、相手のインド経験を探ることになっている。
これは儀式みたいなもので、僕はこれを「インド攻撃」と名付けている。

「そうですね…」と髭野郎が答える。

「君は、インドはどこに行ったの?」とパンツ男がじわっと責める。

パンツ男は髭野郎の答え方で、彼がインドに行った事がないと見当をつけたようだ。
僕もそれは分かった。

なぜかというと、インド旅行者はインドの話題が出ると、すぐに飛びついて、面白くもおかしくもない自分の貧しい旅行経験に、耳学問で仕入れた退屈な嘘をつけ加えて、だらだらだらだらと話し始める迷惑な癖があるからだ。

インドの話を振られて、「そうですね」としか答えられないのは「おいおい、インドの話が出てしまったよ。インドに行った事もない素人旅行者と思われるのはいやだが、インドのチャパティの話はバンコクで出会ったインド旅行者から腐るほど聞かされているから、ここは何とかあいまいにごまかそう」という気持ちの現れなのだ。

そこで髭野郎は、せいいっぱい答える。

「いいえ、インドに行った事はないんです。けれど、僕の友達はいっぱい行ってます」

まずい答だ。
友達の多いやつが何で一人寂しく中米を旅行しているはずがあるだろう。

友達友達というやつに限って友達はいないのだ!

ここでは「インドへはまだ行った事がないんですよ」とあっさり答えて、「他にはいっぱい旅行した」と匂わせるのがいい手なのだ。
それをさらに聞かれたら、どうどうと「いいじゃないですか。僕らはグアテマラにいるんですから」としらばくれるのが一つの戦術だ。

まあこんなことは髭野郎のような人間には無理だけれどね。

もっといいのは、僕から見てもパンツカップルの方が完全に髭野郎に勝っているのだから、ここは下手に出て、相手をおだてていい気にさせ、旅行経験を探り出し、自分の勝っているところを見つけて話を強引にそこへ持って行く事だ。

しかし、こうなったらもう無理だ。
あとは髭野郎はパンツカップルの自慢話を気が狂うほど聞かされる事になる。

可哀想にね。
僕と友達になっておけばこんな目にあわなくて済んだのにね。

僕は食事を終わったが、ビールを追加し、赤川次郎を読むふりをしながら耳をそばだてていた。

 

《髭野郎の反撃》

 

旅行者の見栄の張り合いというのは、これはそばで聞いていると赤川次郎よりずっと面白いものだ。
髭野郎はもともと旅行経験が少ない上に気が弱いので、パンツカップルの「インド放浪ドラッグ攻撃」に潰されかけている。

10トントラックにひかれて潰れた小さなトカゲのようなものだ。
しかし、このまま潰されたらちっとも面白くない。
僕は心の底で「がんばれヒゲ!」と励ました。
その気持ちが届いたのか、髭野郎はやっと反撃に出た。

「中米ではクレジットカードは使えるんでしょうか。僕がニューヨークにいた時は…」
おやおや、先進国旅行経験で反撃に出たよ。

潰れたトカゲが急に飛びかかって、トラックの運転手のパンツに潜り込み、ちんちんにかみついたようなものだ。
しかし、これは規則違反の下半身攻撃だよなー。

パンツカップルの雰囲気からアジアやアフリカの怪しげなところ専門の旅行者だとは分かる。
これに反撃するためにニューヨークやパリの話を持ち出すのは、確かに間違いではないだろう。
間違いではないが完全に話がずれるので、会話は成立しないと思うよ。

「僕のゴールドカードを見せると日本人の女はすぐにホテルへついてきますが、あれはひどいですよねー。まあ、おやじの会社が…」

髭野郎は結局(ゴールドカードを持っているという事で)反則すれすれの「僕の親は金持ちだ」作戦に出た。

世界中どこでも、旅行者が10人もいて旅行の自慢話をすれば、旅行の話で負けたあげくこういう事を吹いて逆転を計るやつが必ずいるものなのだ。

これによく似た作戦には「僕はマスコミ関連」攻撃とか、「友達が有名人」アタックとか、「芸能人をよくしっている」サーブとかがある。
ただ、「マスコミ関連」とは「新聞配達」のことだし、「友達が有名人」とは「友達が有名人に似ている」ということで、「よく知っている」とは「芸能人をテレビのワイドショーで知っている」ということなのだが。

自分の職業で見栄を張りたい時は、絵描き、イラストレーター、写真家、小説家、歌手、貿易商など、よりどりみどり、口からでまかせのいい放題だ。

特に東南アジアの安宿なんかでは、相手のミエミエの嘘に対抗するために、どんどん話がエスカレートしていって、芸術家とマスコミ関係者だらけになったことがある。
しかし全員がウソツキだったので、誰も相手の嘘を見破れなかったとか。

中には何を勘違いしたか「地球の歩き方のレポーター」と嘘をついて、袋だたきにあった世間知らずもいたと言う噂だ。

無理やりにでもその場の主導権を取りたい時には、「僕は犯罪者で日本から逃げてきた」という最後の手もある。
しかし、これを持ち出せば、話題の主にはなれるが、次からは誰も相手にしてくれないので、避けた方がいいだろう。

長期旅行者の話で自分が金持ちという誰も証明のできない自慢話をするのは、これは卑怯だし、聞いていて楽しくない。
だってたとえ金持ちだとしても、どうせ安宿に泊まっているのだから、それに合わせた話をして盛り上げればいいだけなのだからね。

あ〜、面白くない!
素人旅行者の見栄の張り合いは見苦しいね!

もう席をたってソカロに面した行きつけのコーヒーショップにでも行こうかしらん。
そうおもって、ボーイを呼ぼうとした時、もう一人日本人が入ってきて先の3人に合流する。

おやおや、さて、今度はいったいどんな奴なんだろう?
僕はもう一本ビールを頼んでしまった。

antigua2