《バッグ男登場》

今度やってきた男には、特に変わった特徴はない。
ごく普通のTシャツにジーンズだ。
ただグアテマラでよく売っている民芸調のディバッグを肩からかけている。
この最後にやって来た男を分かりやすく「バッグ男」と呼ぶことにしよう。

髭もきれいに剃っているが、ただ、3人に対する態度がいやにでかい。
先に来ていた髭野郎とパンツカップルの3人も、どうやらこの男を待っていたようで、「昨日はどうも」と話しかける。
その話のようすでは、この4人はどうやら昨夜このZENで知り合ったらしい。

「コスタリカの話を聞かせて下さいよー」とパンツ女が初めてしゃべった。
4人の話をまとめると、こうだ。
このバッグ男はコスタリカへ行ってきた。
髭野郎とパンツカップルの3人は、日本からグアテマラへ来たばかりだ。
それでバッグ男の中米旅行の話を聞くという理由で3人が集まった。

今日、待ち合わせをしていたが、最後に来たバッグ男は待ち合わせに1時間以上遅れてきた。
約束の時間を1時間も遅れてきて、まったく悪びれたところがない。

いいかげんで、自分勝手で、ド厚かましい男だね。
ということは、本物の旅行者かも知れない。

というのは、本物の旅行者は、他人のことなんかちっとも考えず、とにかく自分勝手なのだから。

これはなかなか面白いかもね。

大学の後輩はグアテマラからコスタリカのサンホセまで飛行機で往復していた。
それでやったことは、コスタリカのビーチで3か月もごろごろしていて、背の高いアメリカ女を引っかけて連れてきただけだ。
だから、パナマやニカラグアとの国境の状況については情報を全く持ってなかった。
ひょっとしてこのバッグ男が陸路でパナマへ行ったのなら、こちらから話しかけて情報をもらわなければならない。

しかしちょっと話を聞いていると、バッグ男もグアテマラからコスタリカまで飛行機で往復しただけという事が分かった。

つまんないなー。

しかし、4人の話は、ここで急に盛り上がりを見せた。

「やはり、エルサルバドルを通るのは危ないんでしょうね」と髭野郎が話しかける。
「あそこはゲリラだらけで、国道でもバスが襲われるからね」とバッグ男。
「それにエルサルとホンジュラスの国境は通れないんだよ」とパンツ男。
「今、エルサルとかニカラグアを通るのは馬鹿よね」とパンツ女。

おい、おい、おい、おい、おーい!

エルサルバドルもホンジュラスもニカラグアも、国境を自分で通った事がないのに、よくこんなに話が合うね。
しかもホンジュラスとエルサルバドルの国境を越えて川田夫妻が帰ってきたのは、つい昨日の話だよ!

バッグ男は更に、確信を持って続ける。

「社会主義のニカラグアはアメリカに後押しされたコントラとの内戦が激しくて、マナグア市内でも弾が飛んでくるよ。だから今はニカラグアへの陸路入国は無理だ。グアテマラからコスタリカまでは飛行機で行くしかない」

おやおや、とんでもない話になってきたぞ。
LAの「ホテル加宝」で、僕の旅行の出発前に、つい最近、中米を陸路で抜けて南米エクアドルまで下った旅行者から話を聞いている。
中米を陸路で通るのは問題ない、という話だった。
アンティグアでも(細かく話を聞かなかったけれど)つい最近ニカラグアから帰ってきた旅行者に会った。
ニカラグアの問題点は強制両替の60ドルをどう使うかという事だけで、内戦はホンジュラスとの国境地帯のジャングルに限定されているという話だった。
しかも、つい最近読んだ「インターナショナルヘラルドトリビューン」には「ニカラグア内戦は終結状態」と報道してあった。

すると、彼らが話していることは、これはちょっとおかしい。
というか、かなりおかしい。
正直に言うと、徹底的に変だ。

「日本人はアメリカの手先だと思われてるから、入国しようとしてもニカラグアの国境で追い返されるんだよ」と、これはパンツ男。

「そういえば、僕の友達がニカラグアのビザを日本で申請したら、断られたといってました」と、旅行経験の少ない髭野郎が、何とか話に加わろうと、「僕の友達攻撃」をかけた。

「僕の友達が」とさえ付けておけば、どんないいかげんな話でも言い放題だ。

旅先で旅行知識をしゃべりまくる旅行者に出会ったら、はっきりと「いつごろ行かれたんですか?」と聞いてみるといい。
すぐに答えられれば本物の可能性が高いが、そこでぐっと詰まってしまう連中が結構多いものなのだ。
それをさらに追求すれば「僕の友達が」という言葉が出てくる。

これが出てきたら、決して信じてはいけない。

再度確認して置こう。

「僕の友達が」の話は、友達ではなくて、又聞きのいいかげんな噂話なのだ。

 

《中米旅行者連中の話》

話はますます盛り上がってきた。

「グアテマラのニカラグア大使館でも今はビザを出してないらしいね」とバッグ男。

何だって!
僕はグアテマラシティのそのニカラグア大使館でビザをもらったばかりなんだよ!

とんでもない事を言い合っているが、これは日本人特有の「知っていても知らなくても、とにかくその場の空気に合わせた話をする」という習慣から出たものだ。

こういう話が旅人の間を次々と伝わっていって、最後に「旅の常識」になると、本にまで書かれてしまったりする。
根拠がなくても誰かが自信を持って一つの考えを言い切ってしまうと、誰も反対しないので、それが一人歩きをしてしまうのだ。

この結果、「LAのダウンタウンが危ない」だとか、「LAは車がないと動けない」だとか、「マイレージを利用するのが旅行通(笑) 」だとか、ばかばかしい話が広まってしまった。

僕はそのいいかげんな旅の噂が作られるその場に立ちあっているのだ!

「つまり、ニカラグアはぼろぼろね。きっと共産主義の問題よね」とバッグ女が、知ったかぶりをして言ったが、「共産主義ってなーに」と聞かれはしないかと急に不安になったのか、たばこを取り出してぷかぷかと吸いだした。
見ると、たばこを持つ指が小さくぶるぶると震えている。

共産主義という難しい言葉が出てきたので、4人ともシーンとしたが、そこで髭野郎は話題を変えた。

「僕はこれからティカル遺跡に行きますけど、そこからジャングルの中の川をボートで通ってメキシコに入国するつもりです。とても危険な冒険ルートですけど僕はこういうのが好きなんですよね」

ふむふむ、なかなかご立派。

しかし、これは日本人旅行者が誰でも持っている「地球の歩き方」というガイドブックに「大冒険」として載せてある、もともといいかげんで有名な話なのだ。

ティカル遺跡見学の起点となる町、サンタエレーナの「ホテル・サンフアン」のロビーには、この「川を渡ってメキシコのテノシケまで抜けるルート」が壁に地図入りで貼ってある。
ボートは毎日出ていて、旅行者にはとてもポピュラーなルートなのだ。

日本では「大冒険」かもしれないが、現地ではありふれている。
この「歩き方」は、ペルーのクスコからマチュピチュへの団体御用達の観光列車に乗るのさえ大冒険にでっちあげているのだから、手慣れたものだ。

旅行通を気取っているバッグ男は、さてどういう返事をするのだろう。

「いやあ、あのルートは大変だよ。船が何時出るのかだれも分からないのだから、待つのに何日もかかるしね」とバッグ男。

ハハーン。
結局このバッグ男はティカルに行ってないな!

現地に行けばボートが毎日出発しているのは常識なのだ。
「ティカルへのバスはすごく揺れるから飛行機で行った方がいいよ」と、パンツ男。
「バスだと20時間ぐらいかかるし、道が酷くて大変よー」と、今度はパンツ女。

頭が痛くなってきた。
この話も「歩き方」に書いてあるままだ。

しかし、読者は知っているが、僕はティカル(サンタエレーナ)からグアテマラシティまでその噂のバスでやって来たのだ。
ちゃんと眠れたし、たった10時間ほどで、あっけないほど簡単なバス旅行だった。

この4人は4人ともティカルへ行った事がないのに、話がぴったりと合っている。
それもそのはず、話している内容は「歩き方」そのままなのだ。
誰も経験した事がないのに、「歩き方」の間違った情報を互いに交換して、確認し合っているのだ。

何という事だ!

ここまでいいかげんな事をしゃべられては、この馬鹿話を楽しんで聞いているわけには行かなくなった。(それに、ビールも3本目にかかっていた)

いくら完璧な人格を持っているという噂がある「世界旅行者」の僕でも、これを見過ごす訳には行かない。

 

《完結編:世界旅行者が正義を示し、神は道を示す》

いくら「人格円満だが口数が少なすぎて誤解されやすい」と評判のぼくでも、あんまりレベルの低い会話に、とうとうプッツン来てしまった。

つい、「中米では言葉もしゃべれなくて、びくびくおろおろしているくせに、日本に帰れば、立派に中米旅行者として大きな顔をして通用する、ただの素人旅行者」の楽しい会話に口を挟んでしまったのだ。

これはしょせん素人の話なのだから本物が口を出してはいけない。
口をはさむのは野暮だ。

それはわかっていたが、僕は敢えて口を出した。

だって、こういう連中が自分を大きく見せようと「中米旅行は難しい」というお伽話をでっち上げて、一般旅行者の邪魔をしているのだから。

「すみません。ここで話を聞かせて頂いたんですけれど。ぼくの友人が昨日ホンジュラスからエルサルバドルを通って帰ってきましたが、その国境は問題なく通れますよ」

言いたくはなかったが、あんまりの馬鹿馬鹿しさについ口を挟んでしまった。

急に話しかけられて、4人はどきっとしたように僕の方を向いた。
こうなったら言いたいことを言ってしまおう。

「ニカラグアのビザは、僕はグアテマラシティで取りましたよ。ニカラグアには簡単に入れると言う話です。まあこれは1週間前までですけれど」

パンツ女はうつむいてしまった。

「失礼ですが、おっしゃってたティカルの話は『地球の歩き方』にある通りじゃないんですか?テノシケルートは国境のメインルートですよ。バスもグァテから、たった10時間しかかかりませんよ」

ここまで言って、ちょっと言い過ぎだなと思ったので、おとなしくつけ加えた。

「きみたちねー、そんないいかげんな話を大声でしない方がいいんじゃない?ここはバンコクの腐ったような日本人宿と違うんですから」

丁寧にしゃべっているうちに、ここでブチッと切れた。

「お前らなー、お前らが嘘ばっかりひろめるから、迷惑する旅行者がいっぱいでてくるんや。アンティグアでションベンこいたぐらいで大きな顔するんじゃねーんだよ!」

シーンとした。

そこへ大学の後輩が入ってきた。
彼と汚い安宿で同棲中のアメリカ女も一緒だ。

女は「ハーイ、ケン」と挨拶してくる。
後輩はさすがに僕が額の血管をブチブチ切らしているのを感じたようだ。

「西本さん、どうかしたんですか?」
僕もちょっと我に返った。

「いやいや、中米旅行の話をしてたんだ。君はティカルへいっただろう?バスは何時間かかった?」
「何時間やったかなー、でも朝乗ったら夕方着きましたけど」と後輩。

「この人たちがティカルに行くそうなので、教えてあげてよ」
「いいですよ。僕はメキシコのテノシケという所からちっこい船で川を通ったんです。これは珍しいルートで、まあ普通の人間では無理ですけれどね(おいおい、君も似たような大げさなタイプだったんだね!)」と後輩は答えた。

「それに、僕はちょっと3か月ほどコスタリカのビーチにいただけですから、遺跡のことは分からないんです。その他の、世界の旅行に付いては、有名な、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、北アメリカでいろんな遺跡を見てきた本物の『世界旅行者』、この西本さんがよーく御存じですから聞かれたらどうですか」
と、正直な話をする。

しばらく沈黙が続いた。

バッグ男が「それじゃ」といって、ゆっくり立ち上がった。
パンツカップルがそれに続き、髭野郎はちょっと迷って3人に続いた。

「先輩、あの連中は何ですか?」
「分かってるだろう。どこにでもいる贋物さ」
「先輩も、若いですねー。あんなのどうでもいいじゃないですか」

「いや、でも、間違ってることは間違っていると言わないと…」と、僕。

「先輩、いい歳をしてそんな青臭いことばかり言ってると、日本に帰ってからもパソ通でいじめられて、会員削除になったり、先輩の素晴らしい世界旅行記がなかなか出版されなかったりしますよ」と後輩が話した。

「でもね、ケン。でもそのおかげでかわいい女の子にモテモテになって、最後にはベストセラーが出て、楽な生活ができるとおもうわ」と、アメリカ女は僕の耳元でささやいた。

その声を聞いた瞬間に、突然雷鳴が鳴り響き、この後輩とアメリカ女は、手をつないで、空中へ舞い上がり、光とともに、消えた。

なんと、後輩は弥勒菩薩、アメリカ女は聖母マリア様だったのだ!

 

《エピローグ》

さて、この後、アンティグアでこの4人の旅行者の顔を見たものはいない。

ただ、数日後、アンティグアの石畳の道を歩いていた僕にむかって、どこからか小石が飛んできて、足元に落ちた。

振り返ると、角を走って曲がろうとする人の後ろ姿が見えた。

その姿は髭野郎によく似ていた。

 

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