《ホテルセントラルの女》(huehuetenango,guatemala)

(これは、1989年、南米旅行を終えて、再度、コロンビア領サンアンドレス島から、中米グアテマラに飛んで、陸路でアメリカに入国する途中の話です。物価や状況はその時の話ですから、現在の状況は、自分で確認してください)

グアテマラシティ、セントロの安宿で目覚めたのは、少し早すぎる時間の、午前5時だ。
昨日アンティグアのZENから持って来た、久しぶりの日本語の本を午前1時まで読んでいた割には早く起きてしまった。

起きてしまったら最後、もう一度寝ると、寝過ごして、バスに乗り遅れてしまう。
暇つぶしにバックパックの整理をするが、昨夜ZENからがっぽりと盗ってきた本を詰め込み過ぎたので、重過ぎる。

本当はすべて捨てていってしまった方がいいのだが、あまりの知性が本を要求する。
どうしても、やはり、赤川次郎の本は捨てられない。

グアテマラシティの「ホテルサンカルロス」を出たのは6時半になった。

特に、トイレに3回ぐらい通って念には念を入れて、ウンコを出したのだ。
今日のようにあんまり設備の良くないバスに乗る時は、トイレの問題がとても重要だ。
途中でおなかが苦しくなったら、とんでもない所で置き去りにされてしまうかもしれないのだから。

 

さて、ウエウエテナンゴ行きのエルコンドル社のバスの切符は2日前に買っていたのだが、どういうシステムか、要領が解らなかった。

切符を買いに行ったら番号の書いてある紙切れを渡され、「朝8時出発なのだが、7時から7時半に事務所へ来るように」と言われていたのだ。

行ってみると何のことはない、その番号順にバスに乗り込んで、自分の好きな席に座っていいという仕組みなのだ。
これはバスでは初めて経験した。

座席は横の一列が2席と3席に別れていて、狭い。
これで5時間か…。

まあ、1列5席というバスはモロッコでもケニアでも乗ったことがある。
モロッコでは隣に100キロを優に越すというおなかの出た肥ったおじさんが座っていて、マラケシュからカサブランカまで体を斜めに歪めたまま4時間乗っていたっけ。
エジプトのハルガダからスエズまでは満員バスで立ったまま5時間という記録もある。

ブラジルでは「レイト」という寝台バスに36時間連続に乗っていたこともある。
これは非常に快適なバスで、住みつきたいくらいだった。

考えてみると、昔乗ったネパールのポカラからインドのベナレスへの、シートごと身体が跳び上がる17時間の小型バスが一番きつかった。

これだけのバス経験があるので、今では10時間以内のバスは物足りない気分がする。
やはり12時間以上バスの中にいて、体の節々が痛くなった後で、その疲れが頭に及んで、ぼーっとして来て、まるでバスの揺れと身体が一体化する感じを得るのがバスに乗る醍醐味だ(これについてはいずれじっくりと哲学的に考察してみたい)。

バスは快適に、狭いが舗装された道路をとばして、午後1時にウエウエテナンゴへ着いた。
バスがエルコンドル社の事務所の前に止まる。

隣にあった「ホテルセントラル」を当たってみる。
2人部屋を1人で使って7Q(350円)。なかなか大きい部屋だし、これに決める。
コの字形に中庭を囲んだ2階の部屋のひとつだ。

 

ウエウエテナンゴの近くには、サクレウというマヤ遺跡がある。
もちろんそれを見るのが、ここへきた目的の一つだ。

早速、サクレウ遺跡に行こうと様子を聞くと、「今日は独立記念日でサクレウ遺跡へのバスは走っていない」とのこと。
なるほど、昨日アンティグアからグアテマラシティへの道を、松明を持った大勢の人が走っていたのは独立記念日の前夜祭だったのだ。

バスから眺めて、「放火犯のマラソン大会」と思ったのはやはり間違いだ。
いくら何でもありのラテンアメリカ諸国でも、ちょっとおかしいとは思ったのだが。

ウエウエテナンゴに来たのは、ここからメキシコへ国境を越えるためだ。

グアテマラからメキシコへ直接国境を越えるルートは4つある。
そのなかから、このルートを選んだのは、この町からなら国境のエル・エスティージョを越えて、南へ下る途中で寄ったサン・クリストバル・デ・ラス・カーサスへ、1日でたどり着けることが1つ。
更には訪れたマヤ遺跡の長いリストにサクレウ遺跡を加えることが1つ。

今日はバスもないらしいし、無理やりサクレウ遺跡に行ってしまうと、明日やることがない。
そうすると明日国境を越えなければならないが、それも疲れる話だ。

明日にしよう。
長期旅行の基本は「無理をしない」これに尽きる。

 

ホテルの部屋で荷物をベッドに広げて荷物を整理する。
2日あるので、カリブ海に浮かぶコロンビア領サンアンドレス島から持って来た、濡れたままの水着やTシャツを洗うことにする。
2階の廊下の端っこに洗面所があって、その先のベランダで洗濯物を干せるようになっている。
早速石鹸でシャツやパンツを洗い出す。

洗濯をしていると、向かいの部屋から東洋人の女の子が出て来た。
たぶん、日本人だろう。
韓国人旅行者はまだヨーロッパやアメリカに限られている。

「こんにちは!」と、声をかける。

日本人旅行者は本当に世界中どこにでもいる。
まわりがあんまり日本人だらけだと声をかけにくいが、こんな所で会ったら声をかけるのは礼儀だし常識だ。
しかも若い女の子なのだから話しかけない方がおかしい。

今日はこの女の子と話をして、時間をつぶそう!と決めた。
物分かりが良くて、面白い子なら、ご褒美にSEXしてあげてもいい。

話を聞くと、彼女は日本を出てもう1年になるのだそうだ。
彼女の初めての海外旅行だ。

女の子1人で旅行に出るのが危ないとまわりから言われて、旅行雑誌で女の子2人と連絡を取り合って、一緒に旅行することにしたとか。
その女の子3人で、韓国から旅行を始めて香港・バンコク・カルカッタ・カイロと旅行した(このルートだと全部飛行機だとわかるよね。旅行のレベルからしても大したことはない)。

しかし、カイロで2人の女の子と喧嘩別れをしたそうだ。
話を聞いている途中で、きっと喧嘩別れをしたのだろうと思っていたので、納得してウンウンとうなずいてしまった。

男の子が2人で長期旅行したら絶対に駄目だ、という話は「世界旅行者」#7の《一人で旅をする》で、理路整然と論証してあるのだが、もちろん、女の子の場合もそれが言える。

ただ女の子が2人で旅行している場合は、いくら旅に慣れても、1人で旅行する不安が先に立つので、せいぜい口げんかで終わり、実際に別れるということはない。

しかし女性が3人で長期旅行すると、ほとんどの場合は2:1に分裂してしまう。

これはバルセロナのデパート「エル・コルテ・イングレス」のレストランでナンパした女の子の場合もそうだった。
彼女も3人で旅行していたのだが、旅行のルートが2:1の多数決で、いつも自分の意見が通らず、馬鹿馬鹿しくなって別れたと言っていた。

だいたい長期旅行に出ようと決意する位の女の子なら、自分一人で旅行出来るに決まっているのだ。
女の子が一人で旅していれば、まわりの人が、よってたかって助けてくれるのだから。

それを「女の子1人では危ない」などという、1人で旅行したこともない素人が頭ででっち上げた常識らしきものに惑わされて、自分の可能性を自分で閉じてしまう。

これは例えば男と2人でラブホテルに入ったくせに、まだ恥ずかしいふりをして「そんなつもりじゃないの」とか「バックはいやだから…」とかいうレベルの低い女に似ている。

アホカ!おまえは。

SEXでも旅行でも「やると決めたら思いっきりやる」。

これが本物だ。

ヨーロッパ旅行に出たら、ついモロッコに渡ってしまって、ついでにマグレブ(北アフリカ3国)を横断してしまう。

アメリカ旅行だけのつもりだったのに何故かメキシコ旅行を始めてしまい、マヤの遺跡を追いかけているうちにインカの遺跡も見たくなって南米に渡ってしまう。

その中でだんだん大胆になって行って、全く違った本当の自分を発見して行く。
ま、これが僕が実際にやった旅行だが、これが本当の旅行なんだね。

これをもっと一般的にわかりやすく、SEXを例に取って言えば、初めは正常位しかするつもりがなかったのに、つい酔っ払ってバックからやったらまた違った刺激があって面白く、駅弁スタイルまでやってしまった。
セックスしている写真を撮ってもらうついでに、ちょっと3Pを試したら大好きになり、今では2人きりだと陰気くさくてつまらない。

また、軽く遊びで縛られたらすっごく興奮してしまって、ソビエト大使館裏の(KGBが拷問に使うために建てたというう噂の)SMホテル「アルファイン」に通うようになり、ついSの方も試してみたらこちらの方がぴったしで、彼を本格的なマゾに調教してしまった。

これが本当のSEXなのだ(もっとすごい例を知りたい女の子は電話をくれれば実際に教えてあげるよ)。

長期旅行に出ようと大決心をしたのに、そこから急に「世間の常識」という得体の知れないものに捕らわれてしまって、誰かと一緒に旅行に出ようなどという全く無意味なことを始めてしまったら、一生後悔することになる。

何故かというと、長期旅行では何か必ず問題が起こるからだ。

 

素人さんは2人の旅行の方が安全だと思うだろうが、実は工学的に考えれば(僕は京都大学工学部卒業なのだが)危険のおこる確率は、もちろん1人で旅行する時の2倍近くになる。

その上同じような素人が旅行しているのだから、2人いた所で却って邪魔なだけだ。

1人なら自分1人の責任だとあきらめられる(そうするしかない)。

笑い話に出来ないくらい酷かった場合は、誰も知らないのだから、無かった事と誤魔化すことも出来る(これはほとんどの旅行者のやっていることだ)。

しかし、2人だと責任のなすり合いをしてしまう。
それに、自分の弱い所を友達に知られてしまったら、友情(そんなものがあるとしての話だが)も壊れてしまう。

問題が起こったら、世界中どこでも、助けを求めれば得られる(それが神の導きだ)。
でも、友達が助けてくれるとは限らない(友達はしょせん神ではない)。

だから、旅行に出るのは1人に限るのだ。(神と共に!)

つまり、どんなすごそうな旅行をしても、誰かと一緒なら旅行とはいえない。
これを突き詰めて行くと、世間にあふれている予定調和的な、写真付きの旅行記などというものは、根本的に旅行記とはいえないのだと、簡単に解る。

カメラマンと一緒につるんだ旅行なんて、旅行じゃない!
ましてや、探険隊とか冒険ツアーなどという「団体旅行」は旅行の内には入らない。

植村直巳氏が結局単独行を選んだのは、それこそが本当の旅行だと悟ったからだ。
彼も彼なりのレベルで、僕と同じ「旅行哲学」を発見していたのだ。

 

さて、この女の子はカイロで1人になった後、ヨーロッパで出会った人たちの家に、誘われるままに泊まり歩き(日本人のぼーっとした女が1人でいれば誰か助けてくれるものなんだ。これは別に珍しくも何ともないが、これだけで喜んで、本を書く世間知らずもいる)、アメリカに来てもヨーロッパで友達になったアメリカ人のNYの家に居候をして、6か月居たという。

これもよくある旅行の間違いだ。

旅行に出たのに、旅先での友達や、海外にいる昔からの友達を訪ねて、その家にやっかいになり、移動をせずに一か所に留まっている人達もよくいるが、これは旅行じゃないんじゃないか?
ただ、違った家に居候になってるだけだ。

「だって、安上がりでしょ」というのだが、安上がりに暮らすのが目的なら、日本の自分の家にいて、テレビでも見てインスタントラーメンを食って、屁をこいていればいい。

旅行は、自分1人になって自分1人の時間を自分の為だけに使うという、とても贅沢な営為なのだ。

結局彼女は友達の家にぼーっとしていたというだけで、どこも旅行せず、アメリカの滞在許可が切れそうになった。

思いきってメキシコからグアテマラに来て、やっと一人になったが、何もすることがなく、毎日ホテルで、またぼーっとしているらしい。
グアテマラまでやって来たのに、もう時間とお金が乏しくなっているし、それに、もっと大切な1人で旅行する気力がなくなっているのだ。

最初から自分1人で旅行していれば、素晴らしいことがいっぱいあっただろう(いや、結局この程度の女はこの程度の旅行しか出来ないのだろうか)に。

人に頼るという弱さを克服出来なかった為に、よほどうまくごまかさない限り、この旅行は決して彼女の中でいい思い出とはならない。

僕はいろんな人とであっているが、長期旅行をする為には本当の決意が必要なのだ。
それがない人たちは惨めなものだ。

 

旅行ではいろいろと迷うことがある。

好きになった町に留まろうか、移動しようか。
出会った友達ともっと一緒にいようか、一人旅立とうか?

答は決まっている。
町も人も切り捨てて1人で旅立つことだ。

旅の本質は移動し続けるということだ。

立ち止まった時は、旅を止める時なのだ。

 

次の日、メキシコ領事館を代行しているという「エル・シド」という薬局が開くのを待って、メキシコのツーリストカードをもらった(料金が5Q)。
これは明日国境を越える為の準備だ。

その後、宿に帰って両替をした。
10ドル=25Qと、公定レートより1Qの損だが仕方がない。
これからサクレウ遺跡に行く金がちょっと足りなかったのだ。

遺跡に行くバスがどこから出るのか、ホテルの人間に聞いてもはっきりしない。
女の子の「歩き方」を見せてもらいに行くと、一緒にサクレウ遺跡に行きたいという。

この女の子はこの町にもう4日もいるというのにまだサクレウ遺跡に行ってないのだ。
ここまで元気がなくなっちゃったら、人間お終いだね。
あの陰気な人間だらけの日本という憂鬱な国でだって、生きては行けないよ。

一緒に遺跡に連れて行くことにする。
さて、問題はどこからバスが出るか解らないということだ。

「シューストリング」も「歩き方」もマイクロバスが遺跡まで走っているという。
「歩き方」の場所でも「シューストリング」の場所でも待つが、それらしいバスは陰も形も見えない。

独立記念日のせいで、今日もバスが休んでいるのだろうか?
人通りも少ない道でぼけっと立っているのは、なんとなく、恥ずかしい。

ピックアップトラックが通りかかったので止めて、運転手に「サクレウ遺跡行きのバスはどこから出るんですか?」と聞く。
運転手は「荷台に乗れ」という。

「バスの乗り場を知りたいだけなんだけど」
「2人で1Qだ」と答えが返る。

どうやら、このトラックで遺跡まで運んでくれるみたいだ。
女の子と一緒に荷台に乗り込んで10分程度田舎道を揺れると、遺跡に着いた。
「帰りはこの店の前で待ってれば、バスが来るから」とアドバイスもくれた。

 

遺跡は奇麗に整備されていた。
整備され過ぎていてピラミッドはコンクリートで補修されているし、遺跡の間には芝生が敷き詰めてある。
入口には小さな博物館みたいなものがあって、パンフレットには入場料は1Qとなっていたが、タダで入れてくれた。
やはり、今日は特別な日なのだろう。

遺跡の中には大勢の人がいて、団体が輪になって踊ったりしている。
1人でいろんなピラミッドを上ったり下りたりぐるっと回ったりする。
今までのティカルやチチェンイツア・コパンの遺跡に比べれば小さいのだが、ほのぼのとして、これもこれでいいなという感じだ。

この遺跡ではどんなに頑張っても2時間以上は時間をつぶせない。
もう一度博物館を見た後で、町まで歩いて帰ることにした。

来るかどうか解らないバスを待つくらいなら、田舎道をのんびりと、歩いた方がずっといい。
女の子と、話しながら、道を尋ね尋ねして、ゆっくり歩いていたら、1時間ぐらいで町に着いた。

町へ戻って、女の子と遅い昼食をとって、ビールを飲んだ。
そのあと、エル・コンドル社で明日の国境越えの切符を買って、洗濯物を取り込んだり、荷物をまとめたりする。

あんまり話の面白くない女の子と半日も付き合うとぐったり疲れてしまう。
夜は一人で日本語の文庫本でも読みながらゆっくりビールを飲もう。

しかし、夕方、部屋の外に出ると、また女の子にぶつかってしまった。
食事についてくるという。
つれなくする理由もないので一緒に中華料理を食べる。

食事が終わった後、「僕は1人でビールを飲むので帰ってもいいよ」と、暗に一人で居たいのだと匂わせたつもりだが、一緒に居たいのだそうだ。
ホテルに帰って僕の部屋に戻っても、帰ろうとはしない。

僕は女の子と一緒の時は部屋のドアを開けて置くというほど堅い人間なのだが、こういうのは困る。
この女は世間知らずなので、男は誰でも女を押し倒すとでも思っているのだろうか。

おそらく、こうやって男の部屋にいたら、いままでの外人男性は襲いかかってきたので、それでいいと思ってやっているのだろう。

しかし、いい女とは、自分から男性を誘わなければならないんだね。

最近の若い日本女性が、セックスはするが、ちっとも色っぽくないのは、誘われれば誰とでも寝るからなんだよ。

 

僕が付き合って来たのは結構いい女ばっかりなので(「亜美ちゃんロープに文句を付ける」参照)この程度の面白くない女を押し倒して、エイズでも移ったら嫌だ。

僕は本当に知的で話の面白い、しかもぽこちんが大きくて長持ちする素敵な男なので、世界旅行中も、外人日本人を問わず、けっこう女に口説かれたりした。
でも安売りはしない。

この時も女の子の誘いが解らない振りをして、帰ってもらった。
僕とSEXしたいのなら、もっと素直な女にならなければ駄目だよ。

 

この子は結局1年も旅行して何にも得られなかった程、自分のない人間なのだ。
でも、本当は、ほとんどの人の旅行はこんな程度だ。
まあ普通は、余りにも期間が短過ぎて、旅行のつまらなさに気付かないけれどもね。

1年以上単独で旅行するためには、本物でなければならない。

まあ、どんなくだらない旅行でも、「女が1年世界旅行をした」といえば、日本の馬鹿な旅行雑誌編集者は簡単にだませる。
誰でも考えつくような面白いエピソードをでっち上げれば、本の1冊ぐらいは出せる。

でも、騙せないものがある。
自分自身だ。

むろんこんな連中に、もしも自分自身というものがあればという条件が付くけれどね。

(「ホテルセントラル」の女)