「旅先で出会う東大生はただの落ちこぼれなので、安心して馬鹿にしていい」(cuba16)

 

早稲田慶応についてまとめておこう。
慶応に会ったときは、まず「慶応はやはり下からエスカレーターで上がるのが本流なんでしょうねー」と振る。
大学から入学した人間はこれでイヤーな気持ちになる。

それで下から上がってきた人間には「すごいですねー、ずいぶんお金がかかったんでしょ?」と同情すると、ムカッとする。これで慶応には勝てる。

早稲田は東大のすべり止めという点を突けば簡単で、「東大に落ちたんですか?」「最近は早稲田は東大以上に難しいんでしょ?」「なぜ東大に行かなかったんですか?」「東大に行かないなんてもったいないですね」など、いろんなパターンで東大と比較すれば簡単に潰せる。

まあ、もともと東大じゃない人間は日本社会では大きな顔はできないのだから、いくら知的レベルの低い人間だらけの旅先だからといって、勝手にのさばらせるわけにはいかないのだ。

逆に言うと、こんな正直な話を日本社会で発言したら、とたんに嫌われるので、思ってても絶対に言わない方がいい(僕も思っているだけで、普通はこんなことは言わない)。

でも、心の中で思っていれば堂々と対応できるので覚えておくといいだろう。

「どんな美人に出会っても、その女性のウンコをする姿を想像すれば、気後れすることはなくなる」という理論があるが、それを早稲田慶応へ応用した一つの例だ。

 

さて東大は日本でトップの大学なので、誰からも尊敬される資格がある。
資格はあるが、別に尊敬する必要はない。

実は東大が本当のエリートだったのは、東大生の人数がグッと少なかった第二次世界大戦以前のころの話だ。
しかも、自然に勉強して、自然の能力のまま、無理をせずに、自然に東大に入るのが東大生の本来のあり方だが、現在は小学校から、役に立たない受験勉強を詰め込まれて、ブロイラーのような中味のない水っぽい東大生が増えてしまった。

ほとんどはもともと東大に入るレベルではない、東大に入ってはいけない人間が、受験技術だけで合格する例が増え続けた結果、現在では東大生とは「話が面白くない、受験技術だけが得意な、創造性のない、個性の欠如した、オタクタイプの、ポコチンの小さい、つまらない人間」の代名詞になっている。

実際のところ、東大の入学定員がどんどん増えてしまって、学生のレベルは低下して、日本社会でも東大卒をエリートとして扱う余裕はない。
東大卒でまともに英語をしゃべれる人間がほとんどいないという驚くべきレベルの低さなのだ。

本当のエリートと言えるのは、英語が出来なくても、やはり東大に残り、学問を続けて自然に東大教授になるコースを進んでいる場合だ。
一般大衆が目にするようなレベル、つまり東大卒で一流民間企業の「エリート」会社員程度にしかなれないようでは、東大としてはとっくに落ちこぼれている。

だから一般大衆が出会うような東大卒は一流ではないのだから、安心していいし、別に出会ったとたんに噛みついてくるわけでもないので、恐がることはない。

旅先で出会う東大卒を考えてみると、旅に出ること自体が日本社会から落ちこぼれているのだから、東大卒の時点とその後の落ちこぼれの落差がひどく、同情することこそあれ評価することはない。

正直に「東大まで出て、こんな所まで来て、大変ですねー」と言ってあげればいい。

東大を卒業したら社会のエリートになるからこそ東大に合格した意味があるわけで、東大に入って落ちこぼれたら、それまでの人生をすっかり無駄にしてしまったのだ。

 

こういうわけだから、本物の東大卒は東大卒を、わざわざ旅先で自慢することはない。

東大卒の場合は、旅に出るだけのとても深ーい理由(絶望)があるはずで、それを話すのはおそらく耐えられないだろうから、東大卒は中卒のふりをする(かもね)。

LAにいるとよくわかるが、東大卒を自称する人間にはとうてい東大のトイレのドアも開けられないレベルの人間が多い。
正直言って、旅先で「東大卒」と言う場合は、まず「99パーセントが嘘」だと考えて間違いはないのだ。

しかし、旅先で出会う「現役東大生」はだいたいが本当だ。

旅先では様々なウソツキに出会う(旅先の話は全部嘘だと思って、適当に相づちを打って聞き流すのがベテラン旅行者だ)が、その中では学歴詐称も非常に多い。

ただ、ウソツキもせいぜい早稲田大学レベルまで(早大生を自称するウソツキは非常に多い。早稲田の学生というのに出会ったら、早稲田の創設者が誰かを聞いてみたらいい。カーネルサンダースと正しく答えられる人間はほとんどいない)で、いくらウソツキでも自分を東大生とまではなかなか言い切れない。

というのは、旅に出てウソをついて大きな顔をする程度の惨めな知的レベルの人間の生活環境では、早大生ぐらいしか出会ったことがないようで、東大生の具体的なイメージが描けないのだと考えられる。

もちろん、旅先は野獣の徘徊するジャングルだから、何が起きても不思議ではない。

僕もカンボジアで東大医学部学生を自称する若者に出会ったことがあるが、あまりに辻褄の合わないことを口走っていたので、これはウソツキだと思ったことがある。
ただ、東大医学部というのは電波系の人も多いので、さすが人を見るのがプロの僕も完全にウソだとは断言できなかった。

福田君は東大の学生なのだが、長期旅行者の雰囲気なので、可哀想に学校で落ちこぼれてしまったのだろう。
東大に入っても、東大に行くとそこにいるのは東大生だらけなので、実はエリート意識が満足させられない。
エリートになったと思ったのに、まわりはエリートとして扱ってくれない。
これは東大合格だけを人生の目的として生きてきた若者には、到底絶えられない。

そこで、こういう中途半端なエリート意識の肥大した低レベルの東大生は、東大生のいないところに行って東大生であることを自慢することになる。

わかりやすく言うと、本国で女性にモテない白人がわざわざ日本に来て英会話教師をやりながら、白人大好き、英語大好き、セックスはもっと好き、な日本女性をパクパク食いまくるようなことだ。

もちろん学問や知識ではなく東大生であること自体しか自慢できないようになったら、その点で人生は終わっている。

そんな人間に中途半端な学歴自慢をさせるわけにはいかないよ。
少なくとも世界旅行者先生様の目の前ではね。

と、僕は「ホテル加宝」のロビーでニコニコしながらも、頭の中は超高速で回転を始めていた。

(cuba16)

 

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