「援助交際国家論」その4

《明るく豊かな援助交際国家をめざして》

夫が援助交際で女子高生とばかりSEXすると、妻が欲求不満になる。
その結果、主婦はふてくされて朝食を作らない。

すると、男性はハラペコで労働現場へ行くことになり、国民の労働生産性が低下する。
これは国家としての危機的状況だ。

そこで、主婦層の性的不満を解消するため、主婦層も国家の援助交際システムに組み入れることとする。

ドキッとした人もいるかもしれないが、もちろん主婦層はセーラー服を着ることはないので、心配しなくていい。
だって、主婦層はエプロン姿が似合うものだから。

エプロン姿は日本の妻の制服といってもいいかもしれないね。
これに関連して、制服が似合う女性、看護婦さん、スチワーデス、銀行員、アンナミラーズのウエイトレス等も援助交際プログラムに入れたいと思う。

そうすると、もともとプロのホステスさん、風俗嬢、AV嬢、ソープランド嬢なども国家の援助交際計画に組み入れないと、ヤキモチをやかれてしまう。
考えるのも面倒なので、全女性を援助交際計画に投入しよう!

すると、男性ばかりではなく女性もすべてSEXに満足して、犯罪のない争いのない穏やかで平和な社会が作られることになる。

思えば日本は古来からフリーセックス国家だった。
古来からの歌垣や夜這いなどの日本的な自由な性愛習俗や、江戸時代から終戦直後までの遊郭の存在は、日本における芸術文化の中核をなしていたと言っても過言ではないだろう。

現代日本になんらかの問題があるとしたら、それは、日本民族の本来のあり方に戻り、それを真摯に考えることからしか、解決は生まれないだろう。

まず日本人はもともとその民族の血に刻印される如く、本来「フリーセックス民族」であることを正直に認めることから始めなければならない。

第二次世界大戦後の日本人は、アメリカ占領軍による一夫一婦制の本質的な強制(赤線の廃止)や、アメリカ映画やミュージカルなどによる洗脳を通じて、愛だ恋だというわけの分からない言葉を叩き込まれ、民族の本質を失ってしまった。
日本文化とはまったく相容れないアメリカ占領下におけるピューリタニズムの強制によって生じたさまざまな矛盾が、現代日本の昏迷の源なのだ。

体質の合わない社会に無理に適応しようと無駄な努力をした結果、日本は精神と肉体が分離した国家になってしまったのだ。

日本はその本質を忘れ、自分を見つめることなく、ファッションとしてのアメリカ文化を追い求め、日本という国とSEXの関係を直視せずに建前だけの国となり、それが社会不安を作り出してきていたのだ。

女子高生の援助交際は、実は、その日本が本来の日本へと回帰しようとする、より大きな潮流の一部に過ぎなかったのだ。

この意味で、女子高生とは、自らその身体を捧げて、日本文化の本質と民族の再生を訴えつづけてきた、日本民族の誇るべき戦士、本当の意味での大和撫子だといえるだろう。

北朝鮮を旅行し、南北を分ける板門店を北側から望んだとき、僕は板門店の南側に立つ米軍兵に、自らの姿を望遠レンズで撮影されながら、考えつづけていた。

国境線を米軍が守る韓国は、独立した国家だといえないのではないか。

それなら、米軍の駐留を認めつづけている日本国は…?

日本は実際は独立した国家ではない。

日本固有の文化は軽薄なアメリカ文化に蹂躙され、日本女性は黒人白人を問わず、アメリカ人とお金を払ってまでSEXしている。
英語学校に通う若い女性は教師のアメリカ人とSEXするのが目的だ。
しかも米軍基地が日本に存在し、日本が米軍に協力した形でしか兵力を動かせないということは、日本が独立国家ではないことを示している。

悲しいことだが、日本は合衆国に蹂躪されつづけたまま、民族の誇りを失い、ただ経済成長によって豊かになり、アメリカ文化を消費することに慣らされてしまったアメリカの奴隷なのだ。

もっとわかりやすく言うと、日本は合衆国というヤクザにアメリカ文化という覚醒剤を注射され、ヤクザにいわれるままに黙って客を取る、精神の張りのない、主体性のない、自暴自棄の、哀しい売春婦に例えられるだろう。

振り返ってみると、日本国家は主体的な援助交際さえもできない奴隷だが、女子高生は客と対当か、客より上に立つ援助交際に励んでいる。
これは、女子高生のほうが正しい。

流行に敏感な女子高生が援助交際に励むのは、国家がこれから進むべき、援助交際の道を指し示しているだけだった。
女子高生は日本国家の道を指し示す預言者なのだ。

だから、「世界旅行者」はここで、「日本はアメリカからの真の独立を果たせ」などというつまらない議論を持ち出すことはない。
日本文化の本質は、女子高生の援助交際によって、頼もしく保たれているからだ。

援助交際は決して恥ずべき事ではない。
援助交際は、誰もが傷つかずに誰もが気持ちよくなれる、まったく新しい形の、人と人、国と国との交際方法なのだ。
援助交際こそがこれからの世界の趨勢となる新しい流れなのだ。

日本はその民族のセックス大好きな個性を正しく認め、自立した援助交際国家を目指してはどうだろう。

気持ちいいことが正しいこと。

議論や理屈や論理で世界を認識しようとする欧米的な軽薄な思考方法を脱し、日本文化が議論よりもセックスが気持ちいいことを高い位置に置く民族であることを正しく認識し、世界の中で援助交際国家の道を進み、世界に援助交際を広める使命があるのではないか。

特に、日本女性が世界中で大人気である現在、海外青年協力隊にもAV嬢(特に香港で大人気の夕樹舞子嬢)などを加え、世界各地で身体と身体の交流を促進すれば、日本に悪感情を抱く国はなくなることだろう。

日本のこれからのあり方としては、援助交際を国のテーマとして、国際的にはアメリカと援助交際し、またODA(政府開発援助)により発展途上国に援助をして交流し(これこそ援助交際そのものであるが)、国内的には女子高生の援助交際を、女子大生にも、OLにも主婦層にもすべての女性に発展させることで国内の諸問題を根本的に解決する。

援助交際の促進こそ、日本の生きるただ一つの道であると「世界旅行者」は考える。

こうして、日本は援助交際国家として、正々堂々と自信を持った独自の道を歩き始めることができるのだ。

「援助交際国家論」その4・完

kenichiro.nishimoto(c)1998

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