3:待合室へ

今回の切符入手方法は、エージェント(旅行代理店)でバウチャー(引き換え券)をもらい、それを出発当日に空港のG−30カウンターの団体受付で航空券に変えてもらうことになっていた。

以前はこういうきちんとしたカウンターがなくて、ツアーの名称を書いただけの簡単な立て看板が雑然と置いてあって、そこに航空券を持った係員がやってくるまで、その付近でうろうろするという不安な状況だったのだ(そして担当者が遅刻したり、現れなかったりというのも、正直、珍しいことではなかった)。
が、さすがに新ターミナルというべきか、時代が進歩したというべきか、ちゃんとしたカウンターに名目上のツアー名がはっきりと表示されるので、安心だ。
受け取った航空券を、こんどはEカウンターへ持っていって、PIA(パキスタン航空)にチェックインする。

席は17−Jと17−Kになった。
窓側の席とそのとなりの、両側を人にはさまれる中央の席だ。

さてここで、僕が誰かと一緒に旅行する時に、ではどちらが窓側に座るかという問題が出てくる。
僕は飛行機に乗る時は必ず早めにチェックインして、窓側の席を取るようにしている。
だって、同じ金を払うのなら、景色が見える方がいいじゃないか!

頭の中だけで旅行ガイドブックをでっちあげている連中は、「どうせ夜は外が見えないのだから、窓側より通路側がいい。トイレに行きやすいから」などと、いかにも下半身に締まりのない、頭に皺のないことを書いているものだ。
でもね、夜の闇の中から街の明かりが広がるのを見るのは、これは旅行の醍醐味の一つなのだ。

ナイトフライトで着陸寸前に見る香港の夜景はこれはまさに息をのむ美しさだ。
また、どんな汚い町でも夜の明りだけだときれいに見えるものなんだ。
こういう経験をみすみす逃してしまうようでは、旅行についてなんにも言えないはずなのだが。
それに窓側の方が寝る時に窓のほうに寄りかかれてぐっと楽なんだ。

しかしだれかと一緒に旅行すると、通常は横に並んで座ることになるだろう。
そうすると窓側の席に誰が座るかが問題になる。

僕がチリを南北に一直線に貫くパンアメリカンハイウェイを、ベンツの大型バスで南へ下っていた時も、これが問題だった。
まあ、問題とはいっても、この時に一緒にバスに乗ることになったのは旅行経験の多い、物分かりのいい男の子で、僕との力関係が決まっていたので、僕のひとことで解決したのだが。

「僕は窓側に座ることに決めているんで、君、窓側に座りたいのなら、別に席を取ってよね」
「はい、西本さんにお任せします!」
これで解決だ。

ただ、若い女の子と旅行する時は、やはり窓側の席を譲らなければならないだろうか?
いくら女の子でもそれはいやだ。

ボーディングパスから一枚引いてもらって、その席にすることにしよう。
彼女が取ったのが17−K、窓側の席だ。
「あ〜っ!Yさんが窓側になっちゃった」と、思わず情けない声が出る。
女の子は僕をいたわるように、観音様のような慈愛に満ちた目で見て、こう言った。
「西本さん、景色を見たかったら途中で席を変わってあげますからね」
「ウン、ぼく、うれしいな!」

さすがパキスタン航空というのか、搭乗ゲートは一番端のB−74だ。
その待合室の上に小さな土産物屋があった。
ここでも買うものがある。
わかるだろうか?

もちろんコンドームではない。
女の子と旅に出るのだから、礼儀として、コンドームはちゃんと荷物の中に入っている。
もちろんそれも一応調べたが、ここでは売ってないようだ。

ぼくはレミーマルタンを一本、免税品店で買ったのだから、当然酒のつまみが必要なのだ。
いろいろと見てみるが、結局「鮭ジャーキー」(1000円也)にした。

僕たちは、というか僕は常に人より先んずるので、待合室に入ったころはほとんど人がいなかったが、出発時間が近づくにつれて人が増えてきた。
なるほど、なるほど。
十数年以上前、このパキスタン航空を利用してインドへ行った時は、乗客はごく普通の人が多く、いかにも安宿旅行者という格好をしているのは、ぼくの他に数人しかいなかったものだ。
だからすぐに話しかけて、情報交換をした。
旅行情報は、肝心なことは決してガイドブックでは手に入らないものなのだから。
それがわかって、やっと旅行者の卵になったというところか。

今回のぼくの旅行は、成り行き任せだ。
カンボジアへ入るのが簡単らしいのでカンボジアへ入り、アンコールワットを見れば、まあ一応旅行の格好はつくだろう。
空港で簡単にビザが取れるという情報が思いがけなく手に入ったが、入国条件やビザ発行の状況は常に変化するものなので、それを完全に信じてはいない。
世界一周旅行中にバンコクへ立ち寄った時は、ベトナムやラオスのビザは発行に1週間かかったものだ。
この条件が変わっていなければ、たった10日の旅行ではかなりきつい。
その時はビーチでごろごろして時間を潰せばいいのだし、それも結構楽しいだろう。

最初からこれをすると決定していては本当の旅行ではない。
旅行の本質は「でたとこまかせ」なのだ。

同じルートを旅行していても、どんな宿に泊まるか、どんな交通機関を使うか、そしてどんな人間と出会うかで、まったく印象が違ってくるのだから。

そこでまず、この待合室の中で旅行情報を仕入れようと考えた。
さて、以前の旅行の時と違って、このパキスタン航空機に乗り込むのは、見るからに旅行者・旅行者した汚い若者がほとんどだ。
いかにも学生風の2〜4人連れが結構多い。

根性のない連中だよね。

たかが東南アジアを旅行するのに、一人で旅立つ気力もないのだ。
これではツアーで旅行に出た方がまだましだ。
こういう素人旅行者は何も知らないので、話しても無駄だ。

この中には最初からビーチサンダルで、どうやら以前の旅行で買い込んだらしいぼろぼろの格好をしている、いかにも社会の落ちこぼれタイプもいる。
こんな連中の頭の中は、マリファナと女に決まっているのだから、まともな旅行情報を持っていると期待する方が無理だ。
更に言うと、単純に頭が悪いので、日本語すら通じない恐れもあり、これは避けることにする。

学生風の20代前半の一人旅も見かけるが、若者はちょっとした自分の旅行を過大評価して、自分が急にたいした人物になったような幻想を抱いてしまうので、これも扱いずらい。
ちょうど今流行のパソコン通信でこそこそと通信をしているだけで、なにか意味のあることをやっていると勘違いして、パソコン通信の幻想の友人関係を過大評価する、現実には友達のいない童貞や処女連中のようなものだ。

一番情報を持っているのは、30歳前後の普通の格好をしている一人旅の男性旅行者。
結構まじめな雰囲気のやつを捕まえるのがこつだ。

いたいた!

ぼくとY嬢が座っている一つ前の席に、その描写にそっくりの旅行者がいる。
待合室には同じような旅行者がいっぱいいるのに、お互いにだれも声をかけたりせず、みんな自分の殻に閉じこもっているのが、いかにも日本人旅行者の内気な所を示している。

ぼくは世界中でいろんな人に話しかけながら旅行してきて、話を始めるこつを知っているので、話を盛り上げるのは簡単だ。

こういう時はこちらから相手の答えやすそうな質問をすれば、簡単に会話はスタートする。

「すみませ〜ん。ちょっとお聞きしたいんですが。パキスタン航空はお酒が出ましたかね〜?気になってるんですけど」

どうだい。
こういうふうにスタートさせるんだ。

もちろん、ぼくは答を知っている。
酒は出ない!
だからこそ、レミーマルタンと鮭ジャーキーをすでに買って用意しているのだから。

この男性は、一人で寂しかったのだろう、すぐに話に乗ってきた。
「いや〜、どうでしたかね。出たような出なかったような。ぼくがバンコクからパキスタン航空で来た時はあんまり気にしてなかったもんで」と答えた。

この発言はこう解釈するものだ。
(パキスタン航空で酒が出たかどうか忘れちゃったが、素人旅行者と思われるのはいやだ。以前もパキスタン航空に乗ったことを言って旅行経験があると匂わせなければ)

ところで、ぼくはこのタイプの発言はいやになるほど聞いているので、すぐ相手の期待通りの返事を返した。

「ホ〜、なるほど前回もパキスタン航空で行かれたんですか?今回はどちらへ?」
「いや、今度はほんの一週間ほどで、バンコクで知人に会うだけなんですよ」

この発言は「今度は短いが以前は長期に滞在したんだ」と言っているのだ。

「なにか面白い話はありませんかね。ぼくもたった10日程度の旅行なんですが、まだどこへ行くか決めてないんですよ」

旅行者にとって、相手に下手に出られて旅行の相談を持ちかけられるほどうれしいことはない。

日本社会では誰も話し相手になってくれず、旅先や旅行者仲間では見栄の張り合いとなり、じっくり自分の旅行を自慢出来ないからだ。

「そうですか!ぼくはカンボジアからベトナムへ陸路で通ったんですが」

なっ、なっ、なんだって!
思いがけない返事が戻ってきた!
カンボジアからベトナムの陸路国境越えだって!

これは掘り出し物だ。
じっくり聞かなければ。

ぼくは更に声をソフトにして、力を込めて話した。

「それはすごいですね。是非、その話を、聞かせて下さいよ!(こんなおいしい情報を持っているのなら、絶対に逃がしはしないよ。ふっふっふ…)」

(駆け足 #3)

 

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