8:チャオプラヤ川からパキスタン航空オフィスへ

チャオプラヤ川の船着き場までは、カオサンのすぐ近くで、歩いて10分程度だ。
チャオプラヤエクスプレス、このボートを利用すればあっという間にバンコクを移動出来る。

バンコクの交通渋滞は、これはもう本当にどうしようもなく、都市機能マヒ寸前にまで行っているので、船での移動はテレポーテーションのような役割を果たしている。
Y嬢は「船に乗るのは嬉しいな〜」と、無邪気に喜んでいる。
2人で大通りへ出たとたんに、トゥクトゥクから呼び止められた。
すぐ近くへ行くのだからトゥクトゥクに乗る必要は全くない。
だが、Y嬢をもっと喜ばせてあげようと、10Bで船着き場まで行くことにした(なんて優しいんだろう!しかし、全部割り勘だよ)。

船着き場が少し移動しているような気がして、船を待っていたドイツ人カップルとの世間話で、彼らもオリエンタルホテル付近で降りることを確認してちょっと安心する。
旅先での情報はすぐに変化するので、間違いないと思っていても絶えず確認しておかなければならない。
だから旅行ガイドブックなどというものは、もともと情報としては参考にしかならないのだが、素人旅行者はそれがわからない。
旅行者がわからないのは当たり前とも言えるが、問題なのはガイドブックの編集者自身がそれを理解しないで作っていて、それが大きな問題を引き起こしているところだろうか。(アレだよ、アレ)

ボートは6Bで、途中で右岸に観光名所の暁の寺を見たとおもったら、あっという間にオリエンタルホテルが左岸に見えてくる。
以前はボートからリエンタルホテルの高層の新館がすぐに見分けられたものだが、バンコクのホテルブームで高層ホテルがどんどん出現してからは、どれがどれかはっきりしない。

おやおやおかしいぞ、オリエンタルホテルの横の船着き場がすこし移動しているようだ。
僕が泊まっていた時に一人で借り切りのようにして泳いでいた、川に面したオリエンタルホテルのプールにも樹木が植えられているように見える。
結局ボート乗り場は新しく出来たシャングリラホテルの方へ移動していた。

これは、オリエンタルホテルの地位の凋落を意味するのか?
オリエンタルホテルは現在では日本人ツアー客を入れ始めたと聞く。
日本人ツアー客を入れるようになっては、これでは一流ホテルとは言えないだろう。

ボートから降りると、まるで浦島太郎のような心境になって、歩いている人に道を聞きながら、スリウォン通りをラマ4世通りへ歩き出す。

旅行者というものは、「歩く」、これが基本だ。
旅先で1時間程度歩けば着くところなら、交通機関を捜したりどこで乗ってどこで降りるかに頭を使うよりも、歩いた方がいい。
その精神で、僕はとにかく世界中の町を歩いてきた。

スリウォン通りも以前に端から端まで歩いていたので、別にどうもないと思っていた。
ところが今回は疲れた!
Y嬢がいっしょだといろいろ気を使ってしまって、言葉をかけたり(「疲れてない?大丈夫?」)速度を合わせたりして、2倍も歩いたような気持ちになる。
もっとずっと問題なのが、スリウォン通りの交通量の多さだ。
信号がない交差点に、隙間を見つけてはバイクや車が突っ込んでくるので、死んだ気になって車の前に飛び出さないと道の向こう側へ渡れないのだ。

パッポン近くのPIAオフィスにたどり着いた時は、精神的にも肉体的にも限界に来ていた。
(こんなとんでもない町・バンコクから早く逃げ出したいものだ!)

PIA(パキスタン航空)のオフィスは以前と同じ所にあった。
まず9月3日の僕の帰国便の再確認と、Y嬢の10月の帰国便の予約をした。
再確認しても、この便に乗るとは限らないが、とにかくこれで帰国便を確保したわけだ。

さらに雑談で9月の席の空席状態を聞こうとした時、隣に日本人の学生らしい2人組がやってきた。
彼らは英語でなにか話そうとしているようだが、彼らの英語は全く通じない。
カウンターの女の子は「航空券を見せて!」と言っている。
だって、PIAのオフィスへ来るからには、予約を入れたいのか、予約の再確認かしかないのだ(他の航空会社の場所を聞いているのかもしれないが)から、切符を見ればなにをしに来たかわかる。
彼らは慌てて、バウチャーとボーディングパスを取り出して、それを女の子に見せた。
(馬鹿な連中だ、どれが航空券か知らないのだ!)

女の子に言われて、「これが切符かな〜」と日本語で会話しつつ、やっとのことで切符を取り出し、それを見せる。
僕はなにか手伝ってあげようかと耳をそばだてていた。
一人が英語で「ウイー・ウッドライクトゥ・ゴー・トゥー・ジャパン!」という。
「フェン?」
「セプテンバー、え〜っと、これなんて言うんやろ」と、詰まる。
「ノーシート!」と、何日か聞きもせずに、無情な答えが返る。

この後も英語が通じずに少しごたごたしたが、結局パキスタン航空では9月一杯の東京行きは全席満杯、空席がなかったのだ。
この日本人学生は、きっと旅行代理店の口車に乗って帰国便の予約を入れずに日本を出てしまったのだ!
旅行代理店は僕にもその手を使おうとした。(もちろん僕は決してひっかからないが)

だから、僕が帰国便の予約が入らなければ切符を買わないと言った時、エージェントの男は「西本さんは旅慣れてらっしゃいますねぇ」と思わず本音を漏らした。
この学生の帰りの切符は無駄になってしまうのだろう。
(もちろんカウンターでキャンセル待ちをすればどうにかなると言う話はよく聞く。これについては9月2日、帰国の際の面白い話があるので期待するように!)

学生のお陰で9月一杯は空席がなく、9月3日午前2時のフライト変更は無理だとわかった。
とすると、もし僕がカンボジアからベトナムへ旅をするなら、明日カンボジアに飛ぶしかないというわけだ。

Y嬢をタイに置き去りにするのはちょっと不安だが、もともと「世界旅行者」とは自分のことしか考えていない。
しかし、Y嬢に出来るだけのことはしてあげるつもりだ。
残った時間で彼女の旅行の役に立つことを教えてあげよう。

オフィスを出て、スリウォン通りからラマ4世通りを左に曲がって、バスを止めて乗り込む。
一人 3.5B、47番のバスだ。
これで、彼女にバンコクのバスに乗るという得難い経験をさせてあげられるのだ。

バスはラマ4世通りから、パヤタイ通りへ右折した。
そのとたん動かなくなった。

そのまま30分、ほとんど前進しない。

歩く方がずっと早い。

結局ラマ1世通りへ出るのに1時間近くかかった!

カオサンに近づいたことを示す民主記念塔へ着くのに1時間半だ。

 

今朝切符の値段を聞いた、カオサンの「RAWADA TRAVEL」でBKK〜PNHの片道切符を買うことにする。
明日13:30発、カンプチア航空VJ114便、料金が2600B、頼んだのが閉店ぎりぎりでバイクで切符を取りに行くという理由で100Bよけいに請求された。

これでいい。
Y嬢には今日だけで、タクシー・トゥクトゥク・ボート・市内バスの4種類の交通機関を経験させた。
カオサンにも慣れたことだろう。

これからは、僕の旅行だ。

アンコールワットが僕を待っているのだ。

(PIA)

 

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