055《国境を越える時、最も大切なこと、今まで誰も書かなかった秘密》
世界旅行者が中国河口の出国ゲートに進もうとした時、国境警備隊の隊員に肩をぐいっとつかまれて、後ろへ強く引きずられた。
つい、「おかーさーん!」と叫んだが、実家から遠くはなれたところでそんなことを言っても、何の役にも立たないよね。
例えると、ピチピチの女子大生が早稲田のスーパーフリーのパーティに行って、階段の踊り場で強姦される時に「おかーさーん!」と叫んでも、絶対に助からない。
それどころか、「おかあさーん!」という声を聞いたら、強姦常習犯というものはますますチンコが膨らむものらしいんだよ(涙)。
ところで、2004年4月8日から判決が出始めて、早稲田のスーパーフリーの元副代表、元早大生、若松直樹被告(27)に懲役2年6月(求刑懲役4年)、フリーター関本雄貴被告(23)関本 隆浩(20)の兄弟に同2年8カ月、宇田篤史(20)に同2年4カ月(いずれも求刑懲役4年)を言い渡した。
そのあと、元東大生、高山知幸被告(21)に懲役2年6月(求刑懲役4年)、元法大生、吉野豪洋(としひろ)被告(21)も懲役2年6月、慶大生吉村直(20)は懲役2年4月とした。
続いて、元産能大生の小泉創一郎被告(21)に対し、懲役2年8カ月(求刑懲役4年)、学習院大生小林大輔被告(21)に対し、懲役6年(求刑懲役9年)の判決を言い渡した。
元早大生沼崎敏行被告(22)に対し、懲役2年10カ月(求刑懲役4年)の実刑判決、元副代表の元早大生小林潤一郎被告(22)に対して、懲役10年(求刑懲役13年)を、元日大生藤村翔被告(22)は懲役6年(求刑懲役9年)とした。
ということは、元代表、元早大生、和田真一郎被告(29)は、一審で11月2日、懲役14年(求刑懲役15年)の実刑判決が下った。
しかし、早稲田の連中は、スーパーフリーの黒幕、準強姦(ごうかん)罪で懲役7年6月(求刑懲役9年)となった、元慶大生岸本英之被告(28)のパシリだったというのが情けない。
やはりセックスに関しては、早稲田は慶応に負けているようだ。
最近の早稲田の凋落と、慶応人気は、結局はセックス可能性の極大化という、若者の戦略によって簡単に説明できる。
もっとわかりやすく言うと、慶応の方が早稲田よりもモテて、エッチのできる確率が高いので、慶応に優秀な学生が集まるってことかな。
もちろんそうではない。
それは、物事の表面だけを見る単純な考え方だ。
その逆を考えるのが、世界旅行者の論理だよ。
実は、慶応の学生の方が早稲田より入学の時に優秀だというわけではない。
入学後の学生生活が違うわけだ。
慶応の学生は、慶応というだけで早稲田よりもモテるので、セックスの機会がずっと多い。
だから、慶応の学生はエッチに満足して、勉強にも遊びにもさらに積極的になれる。
ところが、エッチが不足した早稲田の学生はエッチのことばかり考えて、勉強も手につかないってことなんだよ。
とても重要なポイントなので繰り返すておこう。
同じレベルの学生でも、女にモテる慶応に入ればセックスに満足して自信も付き、勉強も出来るようになり、人生も積極的になれる。
早稲田に入っちゃうと、モテないのでセックス不足で、セックスのことばかり頭に浮かんで、勉強に手が付かず、自信がなくなり、人生も消極的になる。
ま、このように、世の中というのは、早い話がセックスだけなんだよ。
難しいことなんか全くなくて、単純明快なものなんだ。
で、こういう強姦好きの人たちが入国審査官になったら、女の子は何をされても仕方がない。
それがわかっているから、僕は「女の子はコンドームを持って旅に出ろ!」と、日本で最初に本に書いたんだよ。
世の中というのは、とにかく、日本で想像しているようにきちんとしたところではなくて、何が起こるかわからないところ、正直何でもありなんだよね。
ただ日本では、まだ一応世の中が穏やかな状態が表面上は続いているけどね。
だが、だんだんと、家を一歩出たら無事で帰ってこれるかどうかわからない、家にいてもいつ強盗や強姦犯が入ってくるかわからないという、スリリングな社会になりつつある。
ま、そういう危険な社会になったら、アクション映画を見る必要がないから、お金の節約にはなると思うけどさ。
とにかく、一歩海外旅行に出たら、そこにはウソツキ、ひったくり、詐欺師、強盗、強姦犯、殺人鬼、精神異常者がウジャウジャいるとわかるだろう。
日本の日常生活ではそんなに出会わないが、それはただ、日本という抑圧的なシステムの中で犯罪予備軍もまた、その活力を抑えられているってだけなんだから。
ところで、思い出したが、僕は中国河口の出入国管理事務所で、国境を越えようとゲートへ進んでいる時に、ぐいっと後ろへ引っ張られたんだよね。
早稲田の強姦サークルのことを考えているうちに、どこまで語ったか忘れちゃったけどさ。
さて、僕の頭には数限りない国境越えの経験がインプットされていて、どういう場合でも対応できるように、すでにシステムが出来上がっているはずだ。
そこで、パッと頭に浮かんだのが、イランからトルコへ抜ける山の上の国境検問所のこと。
イランのマークーという絶壁にはさまれた小さな町で一泊して、乗り合いタクシーでイランの国境エリアのゲートの前まで来る。
タクシーで乗り付けたゲートを越えたところから国境地帯で、それをさらに山の上まで登って、そこに正規の出入国管理事務所があったんだ。
ゲートを抜けたところに交通機関が見つからなかったので、歩いて山の上まで行こうと、ゆっくりと歩きながら、途中の道端で立小便なんかをしていた。
するとそこへバスがやってきたので、手を上げて、バスを呼び止めて乗る。
これがゲートからイミグレーションまで行くバスだったんだよ。
山の上の事務所でバスを降りたが、他はみんなイランの人ばかりで、その人たちはまた、なにか書類をもらいにぞろぞろと建物へ入っていく。
僕も入って行ったが、そこはペルシャ語の掲示があって、みんながペルシャ語の書類をもらっている。
外国人には、完全に場違いな感じがするね。
日本人である僕は、おそらくイラン人用の書類は必要ないだろうと思うが、では出国のために、どこへ進めばいいかわからない。
困り顔をしてボケーっと立っていると、イラン人が建物の入り口を指差すので、そこへ入る。
誰もいないので、日本語で「すみませーん、誰かいますかー!」と大声を出したら、愛想のいい役人が出てきた。
そして、僕の日本のパスポートを見て「ナカタ!」と大声を出して、荷物を開けるように言う。
僕は、おかしいなと思った。
というのは、イラン入国の時はかなり厳しく荷物を改められたのだが、普通は出国の時に荷物なんか調べないものだからね。
だから、「僕はトルコへ行くんですけど」と英語で言うと、返事が「ここは違う!」で、建物の反対側を指差されたんだ。
つまり、僕はトルコへ抜けたかったのに、逆方向の、トルコからイランへの入国の税関に来てしまっていたわけだよ。
まあ、そんなマヌケなことは、この時だけだったけどね。
読者も、出国と入国を間違えたなんて話は、あまり聞いたことがないだろう。
僕もあまりに恥ずかしいので、誰にも言ってないんで、これはナイショだよ。
さてまた河口の出入国管理事務所の話題に戻るが、まさか、こんな単純な国境で出国と入国のゲートを間違うはずがないよね。
しかし、よく見ると、確かに僕は「入境(入国)」の方に進もうとしていた。
単純に、入り口を間違えたので、引き戻されただけなんだよ。
マヌケな話だよね…(涙)。
そこで今度は指差し確認して、確実に「出境(出国)」とある方へ進んで、問題なく出国スタンプをもらい、国境の橋へ進んむ。
建物を出ると、すぐに橋がある。
しかし、この国境の橋も、朝からけっこう賑わっているよ。
自転車に付けたリアカーに山のような荷物を積んで、3人がかりで押している。
その男性が、ベトナム戦争の記録映画でよく見たように、痩せていて、頭にはあのベトナム兵のつばの広いヘルメットをかぶっているのが感動的だね。
「ベトナムへ来たぞっ!」という感動が、身体の隅々まで広がるよ。
橋の上で、おそらくは日帰りでベトナムへ足を伸ばす感じの若い中国人カップルにベトナム側をバックにして写真を取ってもらう。
そのままゆったりと、国境越えの感動を味わいながら歩いて、橋を渡り終えた右側の、緑色の屋根の平屋に入る。
これがベトナム側の入国管理事務所だ。
事務所入って、軽くベトナムの入国カードに記入して、それを女性の職員に提出して、パスポートを渡す。
そのあと、カウンターを越えた向こう側のパスポートをもらう待合室へ入る。
すると、「あれー、西本さん!」と声がかかる。
うーん、世界旅行者の名前は、中越国境にまで知られていたのか。
さて、声をかけたのは誰か、また、世界旅行者はこのあと、どうやって、両替し、バスを見つけ、サパへと到着するのか??
それは次回のお楽しみ。
(「世界旅行者・海外説教旅」#55)