《世界旅行者先生の「みどくつ節」が大人気の理由》
「世界旅行者さんですね!」と、声をかけられても、別に僕はびっくりしない。
なぜって、日本で最高の海外旅行者、それが世界旅行者である僕なんだからね。
中国人の帰省客だけではなくて、日本人海外旅行者も多い新鑑真号に乗って二日目の今まで、誰も気がつかなかった方が、ちょっと不思議なくらいだ。
また、ちらっと顔を見ただけで、僕が世界旅行者自身であるとわかるのも、当然なんだ。
だって、僕は、自分の本には、自分の写真を載せまくっているからね。
また、自分のホームページのURLも書いてあり、そのホームページには、世界旅行者先生様が世界各地にいる写真が、満載されているんだ。
そのホームページ「世界旅行者の部屋」のアクセス数は、1998年6月から2003年6月現在で約60万アクセスある。
まあ、ただの海外旅行のHPがこれだけのアクセス数を持続的に稼げるというのは、これは、信じられないくらいすごいことなんだよ。
だって、日本の個人のホームページなんて、一度は興味を持っても、二度とアクセスしたくないようなつまらないものがほとんどだ。
アクセスを稼いでいるのは、ヌード写真を無料で公開しているサイトくらいのものだよ(涙)。
しかも僕のサイトは、僕の写真以外は、すべて文章だけで成立している。
だから「世界旅行者の部屋」にアクセスする人たちは、世界旅行者の文章を読みたいんだよね。
で、その文章には特徴があって、それは、通のあいだで「みどくつ節」と呼ばれている。
何でそんな変な名前かというと、僕はパソコン通信、インターネットで以前「みどりのくつした」というハンドルネームを使っていたからなんだ。
現在は、「世界旅行者」とわかりやすくしているのだが、昔から知っている人たちは「みどりのくつした」「みどくつ」と呼んでいて、これは日本のインターネットをちょっと長くやっている人たちには常識になっている。
さて、その大人気の「みどくつ節」だが、それは、人生論、セックス論、旅行論の「三位一体理論」で成立しているので、読むだけで、人生もセックスも旅行も一度にまとめてすっきりと理解できると大評判なんだ。
ただ、世界旅行者の文章は、ある程度頭がよくないと理解できない。
この頭のよさというのは、ただ暗記力がいいとか、決まりきったことを言えるとかいう能力ではない。
そんな能力は、過去の日本以外では、何の役にも立たないからね。
また、みどくつ節には、特徴のあるリズムがあって、そのリズムについてくるためには、自分で物事を考えられる、独創性が必要なんだ。
独創性というものが、日本人に一番欠けている物だから、みどくつ節は一般の日本人にはなかなか理解できない。
でも、日本人でも特に知的エリート層、海外滞在経験者には、身にしみて理解できるというくらい、国際的な感覚なんだよ。
だから、「世界旅行者の部屋」のファンは、高級官僚、医者、弁護士、一流大学生、一流大学院生、海外留学中のエリート、金持ちの人妻、純真な女子高生、芸能人、アイドル歌手、銀座ホステスさん、また本当に海外旅行経験のある人たち、などが中心だ。
つまり、「世界旅行者の部屋」を読んで、内容についてこれず、嫌な感じがした人は、頭がよくなくて、貧相な、固定観念にとらわれた、ショーもないありふれた日本人ってことだよね。
それって、哀しいね…。
という考えが、「世界旅行者さんですね!」と言われた瞬間に、頭をさっとよぎった。
僕は「ええ、僕が世界旅行者先生様ですけど」と、隠さずに答える。
その、日本人旅行者5人をまとめていた、いかにも頭のよさそうな男性は、「世界旅行者さんの本を読みましたよ。すごい本ですねー。お会いできて光栄です」と、挨拶する。
この男性は、続けて、驚くべき告白を始めた。
「実は僕は、アジア横断をしようと考えていたのですが、イランのビザを取るのが難しいと悩んでいたんです。ところが、インターネットの掲示板でみどりのくつしたさんが、イランビザは取れると書いていらっしゃったので、そのとおりイラン大使館へ行ったら、簡単に取れてしまいました。ですから、今回僕がイランを通って、アジア横断をするのは、世界旅行者さんのおかげですっ!」とのこと。
また彼は、「世界旅行者さんの「間違いだらけの海外個人旅行」「これが正しい海外個人旅行」も買いましたが、海外旅行についてだけではなくて、本当にいろいろと役に立ちました」と、涙を流さんばかりに心情を告白した。
すると、同じテーブルに座っていた、これもまたちょっと頭のよさそうな女の子が、「えーっ、本当にみどくつさんなんですか?私も、本を買いましたよ」と、うれしそうに言う。
彼女は、友達に面白いと勧められて、「間違いだらけの海外個人旅行」を買って、それで海外旅行に興味を持ち、今回の海外旅行に出たそうだ。
うーん、僕の本の影響で、1人はアジア横断に出ていて、1人は初めての海外旅行に出ている。
これだけ名前が売れていると、世界旅行者の責任は重いんだね。
でも、この2人は僕の最新作「大人の海外個人旅行」を知らないみたいだね。
いったいなぜ、「大人の海外個人旅行」を知らないんだろう。
そこには、驚くべき、真相があったのだ!
(「世界旅行者・海外説教旅」23)
《「大人の海外個人旅行」とは日本社会を揺るがす哲学と革命の書だった!》
さて、この頭のよさそうな、世界旅行者の大ファンの若者、彼の名前を仮に、緑靴好男(みどくつすきお)として話を進めよう。
彼は「間違いだらけの海外個人旅行」「これが正しい海外個人旅行」を読んで感動したという。
それならなぜ、最新版の「大人の海外個人旅行」を読んでいないのだろう??
それを聞いてみると、「大人の海外個人旅行」が出版されたことを知らないというのだ!
そうか、僕のファンは、「大人の海外個人旅行」の存在を知らないのだ。
本が出たのを知らないなら、買えないのも仕方がない。
ところでなぜ、本が出たのを知らないかというと、マスコミで大きく取り上げられなかったせいなんだよ。
しかし、「間違いだらけの海外個人旅行」のときにも、「これが正しい海外個人旅行」のときにも、週刊朝日や、VOCE、など一般週刊誌、女性誌で取り上げられた。
それでは、なぜ「大人の海外個人旅行」の場合、夕刊紙の書評欄でしか語られなかったのかというと、そこには深い深い理由があるんだ。
実は、「大人の海外個人旅行」は、普通の海外旅行本じゃないんだよ。
一見普通の海外旅行本のような体裁を取っていて、その内容は、哲学書なんだ。
「大人の海外個人旅行」の帯には、「人生をリフレッシュ!中高年のための初めての個人旅行書」と、書いてある。
しかし、正直な話、普通の中高年が「大人の海外個人旅行」を「人生をリフレッシュ」するつもりで読んだら、大変なことになる。
「大人の海外個人旅行」で言っているのは、「日本社会は間違っている」「日本の人生はつまらない」「日本人は個性もないし、能力もない」ということなんだよ。
しかも、「海外旅行なんかに行っても何の役にも立たない!」と決め付けてあるんだ(笑)。
まじめにコツコツと働いてきて、出世にも見放された疲れ果てた中年サラリーマンが、「そうだ海外個人旅行に出よう!」と思って、「大人の海外個人旅行」を読むと、そこには、「日本社会は間違っていて、そこでやっていける人間は無能で個性がない、そんな人間が海外旅行に出ても、楽しいことはないし、何の役にも立たないのでやめたほうがいい」というメッセージを発見するわけだよ。
「大人の海外個人旅行」を読んで、中高年の人が、元気が出るとは、著者の僕には、とても思えないね。
ただ、自分の人生に対して疑問を抱いて生きてきた、知的な人にはピッタリ受け入れられるわけなんだけれど、そういう人にしたって、「日本人の生き方は間違っている」なんて、さらにダメ押しされたくはないだろう。
中高年の日本人が読んでも不愉快になる本なのだが、若者が読むと、もっとイヤな気持ちになる。
「大人の海外個人旅行」には、「海外でセックスしても、海外留学しても、海外ボランティアしても、ワーホリに行っても意味がなく、若者の海外旅行そのものが何の役にも立たない。まじめにコツコツと働いてなさい!」というメッセージがこめられているのだ。
海外旅行に夢を持った若者が、「大人の海外個人旅行」を読んだら、イヤーな気持ちになるだろうね(涙)。
さらには、日本のマスコミそのものに対しても、「日本のマスコミ情報に触れない方が知的に向上する」とズバリ批判しているのだから、マスコミにしたって、「大人の海外個人旅行」が売れては困るわけだよ。
もちろん、僕のスタンスは、海外旅行の幻想(ウソ)を売って生活してきた日本の旅行ジャーナリズムを馬鹿にしているので、旅行ジャーナリズムは、僕の本に触れないようにするのは当然。
というわけで、「大人の海外個人旅行」は、現代日本に存在しているだけで、それは、爆弾のような効果を持つわけだ。
旅行本としてではなく、現代日本社会批判の書として読めば、海外旅行の豊富な実例を挙げて話を進めているので、とても読みやすく、笑い話もたくさんあり、新しい刺激が得られる、とてもオトクな本だけどね。
正直、まあ、イギリス風の自分自身を笑うユーモアと、フランス風の人生のはかなさを笑うペーソス、それから、世界どこでも通用するブラックユーモアと、日本人に大うけするシモネタまで放り込んであるので、頭がよくて余裕がある人ならば、「大人の海外個人旅行」ほど笑える本はないんだけど、そこまでの日本人は、ほとんどいないだろうね。
普通の日本人が読んでも、「大人の海外個人旅行」は、手に負えない。
「大人の海外個人旅行」を読んでみて、素直に共感できたら、その読者の知的レベルは、かなりのものだと自負していいと思うよ。
「大人の海外個人旅行」は、売り出してすぐにはブレイクしなかったわけだが、内容的には素晴らしいので、売切れれば、もうすぐ伝説の本となることだろうさ。
まだ、楽天で入手できるようなので、興味のある人は、急いで購入しておいた方がいいでしょう。
そこで僕は、なぜか一冊だけ手許にあった「大人の海外個人旅行」を取り出して、テーブルの上に置いて、「これが僕の新しい本だよ」と言った。
すると、ひとりのかわいい感じの女の子が「わーい、世界旅行者さんは、チベットへ行かれたんですか?」と、目をきらきらさせながら、聞いてくる。
おやおや、なぜ、「大人の海外個人旅行」の表紙を見ただけで中身も読んでないのに、この女の子は僕がチベットに行ったとわかったのだろう?
それは次回のお楽しみ。
(「世界旅行者・海外説教旅」024)
《世界旅行者が神に導かれているという証明》
テーブルにいた女の子の1人が、僕が何も言わないのに、僕がチベットに行ったことがわかった。
それはなぜなんだろう。
それを不思議に思うことはないんだよ。
実は、世界旅行者は、神に導かれていて、海外旅行に出る人の中で、本当に旅行の真実を求める人、そういう人にはお告げを伝えるような役割を与えられているんだから。
この「お告げ」のことを、この旅行記では、わかりやすく、敢えて「説経」と呼んでいるわけだけれどもね。
この文章は、既成宗教の、旧約聖書、新約聖書、コーラン、のような役割を果たしているわけだから、あだやおろそかに、クッキーなんかをかじって、鼻くそほじりながら読んでいたら、天罰があたるよ!
さて、僕がチベットに行ったことは、もちろんチベットに行きたい人にはそれとわかる。
チベットのセラ寺で、そう告げられていたから。
僕は、ラサで定番のポタラ宮殿、デプン寺、ジョカン寺、で祈ったあと、ゴルムドへとっととバスで抜けようとした。
すると、いろいろ問題が起きて、動きが取れない。
そこでふとひらめいて、1人でローカルバスに乗って、セラ寺へ行ったことがあった。
セラ寺の入口横で買ったバターをスプーンで、セラ寺数多くの仏像の前の灯明に継ぎ足して、祈り続けていたとき、その声が聞こえた。
「世界旅行者よ、やっと来たな。ゴルムドへのバスの切符が取れなかったのは、お前をここに呼ぶためだった。世界中のすべての寺院で、モスクで、神殿で、遺跡で祈り続けてきた世界旅行者が、ここに来てくれないのではワシも恥ずかしいからなー」
このように、腹に響く声が暗闇の中に轟いたものだ。
神様も仏様も、世界旅行者のように、世界中で祈り続けた本物が、自分のところだけに来ないとなると、ヤキモチを焼いてしまうようだよ。
セラ寺の中で一番大きい仏像が、恥ずかしそうに、しかし威厳を持って僕に告げたのだ。
「せっかくゴルムドへ行く予定を曲げてまで、セラ寺へ来てくれたのだから、お前に特別な能力を与えよう。
旅行者で、チベットに興味がある旅行者には、お前がチベットへ来たということが、すぐにわかるように、印をつけてあげよう。
旅行者に、親切にチベットへの行き方を教えてあげなさい」ってね。
だから、チベットへ行きたいと思っている旅行者がいたら、僕がチベットへ行ったことがすぐにわかるような、そのような印が僕の額に見え、また、そのようなオーラが僕から発せられているはずなんだよ。
しかし僕自身は、どのようにして僕がチベットへ行ったことがわかるのか、それは知らなかったので、この女の子に聞いてみた。
「そのとおりです、世界旅行者である僕は、確かにチベットへ行きました。そのことをあなたは、どうやってわかったのですか、やはり神のお告げですか?」ってね。
すると彼女は答えた。
「だって、世界旅行者さんの本「大人の海外個人旅行」の帯に、世界旅行者さんがチベットのポタラ宮前に立ってらっしゃる写真がありますから」だってさ。
うーん、僕の額にあるはずの見えない印でもなく、僕の身体から発するオーラでもなく、「大人の海外個人旅行」の帯の、ポタラ宮前の写真で、彼女は僕のチベット行きがわかったのか…。
しかし、本というものも、それはそのまま自分の思想の表現だし、自分の分身だともいえるわけだ。
すると、セラ寺の仏像が僕に告げた言葉は、正しかったわけだね。
このことからも、世界旅行者が、世界中の神様仏様から、認められ、守られ、導かれていることが証明されたわけだ。
そこで、僕は思った。
「この女の子がチベットへ行きたいなら、その説明をしてあげよう。しかし、僕の今までの旅行経験では、必ずかわいい女の子が、僕の行きたいところへ行くはずなのだが…」ってね。
確かに、1999年にチベットへ行ったときは美人女子大生さんと二人だった。
2000年にラオスへ行ったときも、機内で隣同士だった美人女子大生さんたちとカオサンで再会した。
2001年に西アフリカへ行ったときも、美人女子大生さんと一緒にホテルへチェックインしたものだ。
すると、2002年の今回の旅でも、当然、美人女子大生さんと知り合うのが当然の話だね。
また、僕も今までの本では、日本女性が海外でセックスしているという話を、一般論として書いてはいたが、体験としては書いていなかった。
でもそろそろ、海外旅行に出た世界旅行者が、美人女子大生とセックスをする描写が必要かもしれない。
そうすれば、本も売れるだろうさ。
ま、その本は旅行本ではなくて、フランス書院の「美人女子大生と世界旅行者の愛欲淫乱旅行」というタイトルになるだろうけどね。
でもそんなにうまく行くはずがないよ。
旅行記というものは、ウソを書いてはいけないんだから(話をちょっと大げさにするにしてもね)。
そこにもう1人の、キャミソールを着た、肌がつやつやの、いかにもセックス好きそうな女の子が言った。
「私は、上海からベトナムへ行くんですけど、どう行ったらいいかわかりますか?」
おいおい、僕は上海から雲南省経由でベトナムへ入るつもりなんだよ。
ということがこの女の子が、今度の旅で僕と一緒に行動する「外見純子」さんなのかしらん♪
ほらね、世界旅行者の旅には、オイシイことがたくさん起きるでしょ?
しかもこれは、本当の話なんだからさ(笑)。
(「世界旅行者・海外説教旅」025)
《若者たちとの会話から現代日本を哲学する》
海外旅行、それもツアーでなくて、個人で中国からベトナムへ行こうというのに、若い女の子がお化粧をしてキャミソール姿というのは、少し前まではとても考えられなかったものだね。
最近の若者の考え方はどんどん変化しているようだ。
インターネットの掲示板などの旅行相談を読むと、今でも、「安全でしょうか?予約した方がいいでしょうか?泥棒にあわないでしょうか?どこに旅に行ったらいいでしょうか?」という昔ながらの、何でもかんでも心配して他人に相談する、典型的な日本人の相談が、たくさん見つけられる。
しかし、そういう心配性の人たちばかりではなくて、海外も日本も特別に考えないで、日本での服装、日本の感覚のまま海外に出る若者も多い。
例えば、最近では、バンコクなどでも、観光名所を見て回るというのではなくて、安く夜遊びをするため、エステやマッサージを受けるのが目的で滞在している日本の女の子もいるんだよ。
実際、世界中どこにも日本人はいるし、そのなかには、いろんなタイプの人たちがいて、今では、彼らを全部海外旅行者とひとくくりには出来ないんだ。
この場の中心になっているちょっと年上の、多分二十代半ばの男性は(緑靴好男くん)、彼は僕にはわかりやすいタイプだった。
彼は僕のアドバイスでイランビザを取って、アジア横断をする計画だ。
雲南省にも何度か行ったことがあるわけで、もともと僕が話しかけたのは、雲南省の情報を得たいからだった。
しかし、雲南省の詳しい情報は聞かないことにした。
というのは、彼はなかなか信用できそうなまともな若者で、彼が雲南省に何度か行ったというのなら、それは、雲南省は行く価値があるということを示しているわけだからね。
ある場所へ行くのに、そこが行く価値があるという情報以外は、特に必要ないんだよ。
雲南省の省都、昆明へは、鉄道か飛行機を使えば行ける。
昆明へ行けば、そうしたらそこで、生の、今現在の情報を入手すればいいだけだ。
そう、1988年に僕が米国から中米を下って、南米まで行こうと思ったときもそうだったよなー。
その時期は、ガイドブックの情報も少なく、一番信用できる「Lonely Planet SouthAmerica on a Shoestring」でも、中米ホンジュラスの首都テグシガルパの地図も、いい加減なものだった。
ちなみにこのころの「Lonely Planet」では、メキシコと、中米と南米がまとめて一冊になっていて、コンパクトでとても便利だった。
現在では、「Lonely Planet」で揃えると、メキシコと、中米と、南米の三冊になり、それぞれがまたすごく厚いんだよなー。
これではとても、身軽に中南米一周なんて出来ないよ(涙)。
中米をまともに下れるのかどうか、悩んでいたところ、たまたまLAの宿で「中米を下ってエクアドルまで行ってきた」という人に出会った。
でも僕が聞いたことは一つだけだった。
「行けますか?」ってね。
で、「行けますよ」の一言で、陸路で南下することを決定したんだ。
海外旅行の情報とは、そこへ行けるのか、行く価値があるのか、これだけわかればそれでいいんだよ。
行き方とか、宿の情報とか、そんなものは、旅をしていくうちに自然とわかってくるものだしさ。
それに、他人の情報に頼ってしまうと、自分の旅行ではなくなってしまうからね。
だから、この緑靴好男くんは、これはこれで納得した。
中国奥地からクンジュラブ峠を越えて、パキスタン、イランと行くのだから、聞かれたらその旅の話でもしてあげようと、心にインプットしておく。
他の若者についても、もっと知りたかったが、そういう時はビールでも飲みながら、ワイワイやる方がいい。
しかしまだ、昼飯前だ。
そこで、「いやー、みんな面白そうな人ばっかりですね。話したいことがたくさんあるから、それじゃあ、また、夜にでもビールを飲みましょうよ♪」と言う。
今は、彼らと知り合っただけで十分だ。
もっと深い話をするのには、人数が多すぎるし、ここで引くのがいいだろう。
ところが、そのテーブルにいた背の高い男性が、「僕は、いま禁酒してますから、ダメなんです」という。
まあ、「あとで飲みましょう」というのは、一つの挨拶みたいなものだから、別に本当に飲む必要はない。
飲みたくなければ飲む必要はないのだから、わざわざ断るのは、ちょっと失礼な男だと、気分を悪くする。
しかし、彼は話を続けて、「親友5人組がいて、その1人が病気で入院している。だから、そばにいて祈ってあげなければならないのだが、旅に出てしまったので、酒を断っているんです」と説明した。
これはなかなか興味深い話だ、と僕は思った。
というのは、若い男の子が、そういう感性を持っているとは、僕にはとても考えられないからね。
僕の哲学によると、若い男性なんていい加減なもので、酒を飲み出せば飲まれるし、入院している友達のことをずっと真剣に考えることなんてしないものだ。
若い男性は、まあ、それはそれでいいんで、それが自然なものなんだよ。
友達の病気を心配して、そのために誓いを立てて、お酒を飲まない若い男性がいるなんて信じられない。
そこで、僕は思ったのだが、彼の考え方は、きっと日本のテレビドラマに影響されているだろうってことだ。
現代日本の若者は昔ほど本を読まないので、おそらくその感性は、日本のテレビドラマと日本の音楽(J−POP)の歌詞によって、形成されている。
あとは、ゲームソフトと、マンガだけれど、どれも子どもっぽく単純なのは同じだ。
だから、テレビドラマで「友情は大切」と刷り込まれると、自分では何も考えずに、友情にあふれた人間の、そういう態度をとってしまうんだよね。
でもそれは、別のドラマを見たり、別の音楽を聴くと、コロッと変化してしまう。
まあ、彼は周囲に流されて生きていく日本人の典型なのだが、でも、そういう人が現実に存在するのを見て、自分の考えの正しさが証明されたようで、うれしかった。
この考え方は、日本の女の子がなぜ恋愛至上主義なのか、なぜ海外で知り合った金目当ての外国人男性にコロッと騙されてお金を貢いでしまうのか、それと共通しているんだよ。
つまり、日本のテレビドラマやJ−POPで「恋愛がすべて」という幻想を叩き込まれているので、海外で「愛している」と言われると、なんでもしてしまうってことなんだけどね。
今までは女性の例しかなかったわけだが、この男性と会ったことで、男性の実例を入手したわけだから、僕の考え方の正しさが、さらに証明されて、世界旅行者先生は、うれしくなってしまいましたとさ。
(「世界旅行者・海外説教旅」026)
《海を見る。多くの旅人と語る。世界旅行者は旅行のイメージを作り、説経する》
昼食は、本を読みながら、1人でとった。
そのあと、甲板に出ると、太平洋のど真ん中を走っているはずなのに、あちこちに点々と名も知らぬ小さな島や岩礁が見える。
いやー、海とはいっても、案外と、いろいろと変化があるものなのだね。
海にも風景があるものなんだと新しい発見をして、ちょっと驚いて、すぐ船内へ戻る。
燕京号も新鑑真号も日中を結ぶ大型フェリーは、甲板に椅子が少なく、また高速で走るためか風が強いので、デッキ上に長く留まってはいられない。
さっき説経した医者の卵を見つけたので、包茎手術やプチ整形の話をしていると、同じ部屋にいるらしい男性がやってきた。
この二十代半ばの男性は、猛烈に忙しい仕事で消耗して、ほとんど寝る暇も自分の部屋に帰る暇もないような生活をしていて、そうなるとお金を使うこともないわけで、100万円程度のお金を貯めて、仕事をやめて、旅に出てしまったとか。
来年の6月までの旅行期間があるので、自然と、どういうルートで旅をしたらいいかという話になる。
まあ、金もある程度あり、時間も一年近くある旅行者に出会って、旅のやり方を頭に思い浮かぶまま、あることないこと説経すること、これこそ旅人の究極の楽しみなのだから、これはおいしい。
世界旅行者は、こんなおいしい旅行初心者を絶対に逃さない。
この若者は、アジアをのんびり旅行して、最後はインドに長期滞在して、そのあと日本に帰ろうと考えている。
もちろん、世界旅行者としては、そんな安易な旅は勧められない。
日本にいたときに相談されたらなら、絶対に中南米旅行に送り出していたはずだが、中国への船の上で会ったので、それはちょっと強引過ぎる。
しかし、「アジアなんか旅行しても仕方がないから、アフリカに行くのがいいよ。アフリカだとキリンやライオンとすぐに仲良くなれるよ!」と、アフリカ行きをそそのかす。
ただ、この若者も、仕事をしていたせいだろうか、人の話を純粋にそのまま受け取れないようだった。
なかなか、素直に「アフリカに行きます!」と言わない。
「でも、アジアの方が好きですし、昔からインドにあこがれていたので…」と、煮え切らない。
結局、こういうときの決断力、それが人生を決めてしまうんだよなー、と深く思う。
医者の卵と旅の話をすると、彼は、前回は中央アジアへの旅行をしたとか。
ウズベキスタンの警官がなにやかにやと旅行者に文句を付けて、お金を取るという有名な話で盛り上がる。
彼は、一日一回はやられたそうで、タシケントの地下鉄、バスターミナルは注意した方がいいということだ。
中央アジアのウズベキスタンといえば、もちろん僕も旅をしたことがある。
その話と、また、僕の知人のSくんの話をする。
このSくんというのは、LAで何回か出会った旅行者なのだが、最近会ったとき、中央アジアのビザや入国スタンプを誇らしげに見せて、中央アジアの国境越えについて、だらだらと自慢話をしてくれたのを思い出したのだ。
Sくんは、中央アジアでは警官や入国管理官につかまって、いろいろと難癖を付けていじめられ、金をせびられたことがある。
そういう時は、彼は二つの手を使って見事切り抜けたという。
その二つとは、「ウソ泣き」と「気が狂ったふり」だというのだ。
とにかく彼は、ウソ泣きとキチ○イの振りだけで、世界各地を旅してきたというとんでもない男なのだが、その話を医者の卵にしてあげた。
すると、医者の卵は「知ってますよその人!」と言う。
あの程度の旅行者が旅行者業界で知られているはずはないと、いろいろと確かめたが、どうも同じ人間のようだった。
だって、Sくんのもう一つの特技が、フーセンを使っていろいろな形を作るという「フーセン芸」なのだからさ。
まあ、旅先で問題が起きればウソ泣き、キチ○イのふりで切り抜け、得意芸が風船アートというのでは、そんなやつは他にはいないだろうしさ。
また、このSくんは、ものすごい大食いで知られているので、そこまで一致すれば、これは本人と認めざるを得ない。
これでもわかるように、案外と、海外旅行の世界は狭いものなんだよ。
だから、旅先で一度会って別れても、思いがけないところで再会するってことはよくあるんだ。
彼らと別れて、また1人で「Lonely Planet」を読んでいたが、「ここら辺の観光スポットってどこなのかな?」と疑問がわいてきた。
同じく日本のガイドブックを広げている旅行者を見つけたので、ズバリ聞いてみた。
「早い話、上海から雲南省付近で、日本人がよく行くところってどこなの?」
海外旅行とは言っても、まあ、旅行者に人気のあるところは、決まっているわけだから、そこさえ押さえればいいんだからね。
すると、「日本人が沈没するところは、陽朔(ヤンシャオ)と麗江(リージャン)だと聞いてますよけど…」と、わかりやすい答えが戻ってくる。
麗江は、これは確か、雲南省にある場所で、大理と共に名前だけは聞いたことがある。
ただ、それがどんなところか知らない。
彼のガイドブックを見ると、麗江は、なんと「世界遺産」に登録されている古い町だということだ。
そこに、日本人旅行者がが集まっているのだとか。
それならば、一応、麗江へは行くことにしよう! と決める。
しかし、陽朔とは聞いたことがないね。
「Lonely Planet」をいろいろとめくってみると見つけた。
どうやら、桂林からの有名な川下りをしたところにある、小さな町で、外国人旅行者が長期滞在しているらしい。
ただ、「Lonely Planet」の「YANGSHUO(陽朔)」の項目を見ると、「西洋風のカフェがあり、ハリウッドの映画が見られ、ボブ・マーレイの音楽が流れて、バナナパンケーキが食べられる」とある。
この表現では、陽朔は、多分、完全に欧米人個人旅行者の溜まり場になっているのだと想像できる。
ちょうどその時に、30過ぎの中国人女性が「あなたたちは、桂林にいくの?桂林はネオンがたくさんあっていいところよ!」と日本語で話しかけてきた。
なるどど、つまり、桂林は案外と都会なのかもしれない。
また、その喧騒を避けて陽朔へ行くと、そこには、欧米人の集団がいるってことだ。
それなら、桂林と陽朔は、今回は行かない! と決定する。
桂林には、日本からのツアーがたくさん出ているし、いずれ機会があれば、ツアーででもゆっくりのんびりと旅をすればいいだろう。
ただ、桂林に寄らないとすると、上海から昆明まで鉄道を使うって、60時間以上かかることになる…。
しかし、彼の持っていた日本語ガイドブックを見ると、上海〜昆明まで、K79という列車で44時間半、K181で55時間と書いてある。
正直、中国情報については日本語ガイドブックの方が情報は正確だろうし、また、最新版なので、おそらく、このK79という列車に乗れるなら、本当に45時間程度で行けるかもしれない。
前回の中国旅行で、北京西駅から成都まで約32時間の列車に乗ったこともあるし、まあ二泊三日の列車の旅ならば、乗れないことはない。
ただ、問題は、列車の切符が入手できるかどうか、そこにかかっているんだけどさ(笑)。
確かにこのあと、上海からの切符を買うのはとんでもなく大変だとわかるのだが、それはお楽しみにね。
だから、45時間程度で昆明にいけるなら(つまり、列車の切符が入手できるなら)、列車で行くことにしよう。
もし列車の切符が取れないなら、飛行機でひとっ飛びしてしまえばいいだろう。
昆明行きのやり方は、この二つと決めて、あとはその場の状況でどちらかに決めればいいさ。
これ以上の考えはないし、これ以上考えても悩んでも、それはもう無意味だ。
夕方になってまたデッキに出ると、船の前に広がる日暮れの空に、同じような大きさの雲のかたまりがずらりときれいに一直線に並んでいるのを見る。
きっとあの雲のラインで、大陸の空気と太平洋の気団がぶつかっているのだと考える。
そうしてあのラインを越えて、中国大陸へ入っていくんだ…。
夕食のあと1人でビールを飲んでいたら、昼間会った旅行者が次々と話しかけてきて、5人ほどになった。
ビールを飲みながら盛り上がる。
キャミソールの女の子は、家庭環境から、小さいころからあちこち海外旅行をしてきたそうだ。
やはり海外経験が豊富らしく、話をすると面白いし、感覚も合いそうだ。
これは、彼女と一緒に雲南省への列車に乗るという運命かと、運命を受け入れる覚悟を決める。
1人、ウルムチへ行くという旅行者がいたので、行き先をヨーロッパへ変更させようと、「若者が辺境ばかり旅行するのはダメだ。まず、ヨーロッパの高度の文化に触れないと向上心がなくなるよ」と説教をする。
キャミソールの女の子も、ヨーロッパへ長期滞在したことがあるので、二人でヨーロッパがいいという話を叩き込む。
11時過ぎまでビールを飲みながら盛り上がったが、自動販売機のビールが売り切れてしまって(それとも電源が切られたのか)お開きにする。
今日は、たくさんの旅行者と出会い、話をして旅行のイメージがだんだんできてきた。
また、いろいろ説経もした。
その説経は、その場限りのものだから、自分でも内容はあんまり覚えていないが…。
だから、この文章を読んだ人は、海外旅行者の説教、アドバイスというものは、その場限りのもので、特に根拠はないのだと、理解していて欲しいものだね。
たくさん話をして、うんとビールも飲んだ。
これが、旅行者がわざわざ日本から中国へ船で行く理由、船旅の楽しみなんだよ。
カフェテリアでは船が主催して、遅くまでカラオケ大会が開かれていた。
そういえば、明日はもう、上海到着なので、お別れパーティってことなんだよね。
(「世界旅行者・海外説教旅」027)

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