《上海浦江飯店》
上海に到着する朝は、新鑑真号が東シナ海から揚子江へ入るところを見たいという意識があったのだろう、朝の4時半ごろに目が覚めてしまった。
すぐにデッキに出たが、朝もやの中をゆっくりと進む新鑑真号は、もうとっくに揚子江へと入っていた。
河の両側には工場地帯が広がりはじめ、船は続いて上海の中央を流れる黄浦江へとはいる。
入国カードと検疫の書類を記入し、バックパックをまとめて船を下りる準備をして、ロビーにでる。
昨日から読んでいた、「犬が星見た(武田百合子著・中公文庫)」を読み終えて、テレビの下の小さな本棚に置く。
昨日話をした旅行者の皆さんが、「世界旅行者さんと一緒に写真を取りたーい♪」と言ってきたので、特別に無料で写真に納まってあげる。
僕も写真を取ろうと思うが、船は上海の中心部にいるので、デッキで取ったほうがいいだろうと外に出る。
以前も書いたと思うが、僕は風景の中に自分が入っている写真を撮るのが目的なんだ。
奇妙な形をした上海の有名なテレビ塔が目の前に見えるので、そのテレビ塔をバックに一枚。
船の前方に上海名物のバンドが見えるが、これも無理に背景にして、写真を撮ってもらった。
船は午前8時には、バンド近くの国際船岸壁に接岸して、荷物を持った乗客は、船の出口にバックパックを背にして並ぶ。
船内ビザを申し込んでいた人たちが、このときになって別に呼び出されて、ビザを交付されるようだ。
旅行者の間でなんとなくグループが出来ていたが、船内ビザの人たちは下船が遅れて別々になってしまった。
とはいっても、船で上海に着く日本人旅行者の行き先は一つなのだから、すぐにまた会える。
だって、みんなが行くホテルは「浦江飯店(Pujiang Hotel)」に決まってるんだからね。
もちろんまだ午前中なのだから、もっと気のきいた、行動力のある、そして中国語も話せる旅行者ならば、すぐに鉄道やバスで移動してしまうこともあるかもしれないけどさ。
船のタラップを降りると、マイクロバスが一台待っていて、それが乗客をすぐ近くのビルディングへ運んでいる。
が、歩いてもすぐなので、バックパックを背にして、ニ三人連れ立って、歩いていく。
ビルの中に入国管理があるが、パスポートをチェックしただけで、何の質問もなく、簡単に済む。
続いて税関もあるが、ここもノーチェックで過ぎる。
入国スタンプをもらい、税関を通り過ぎると、突き当たったところに中国銀行の両替窓口がある。
中国旅行に慣れた緑靴好男くんが、すぐに並んで両替をする。
僕は彼の後に続いて、両替をするために並ぶが、いくら両替するか、そこにちょっと迷いがあった。
というのは、とにかく今日明日中に上海から昆明への鉄道か、飛行機の切符を購入するつもりだ。
船内で「Lonely Planet」をあちこち調べて、「飛行機の料金が1860元」と書いてあるのは見つけている。
一元はだいたい14円程度と考えて、1860元は2万6千円程度だ。
古いガイドブックに記載されているこの値段は1998年以前のもので、おそらく5年程度過去の料金。
また近年中国の景気がいいわけだから、物価上昇も激しいことを考えに入れると、航空料金はもっと高くなっている可能性もある。
さらに宿代や食事代、上海の観光費用なども考えなければならない。
ただ、中国の両替でわかりやすいのは、(一部噂に聞く闇両替を除いては)どの銀行で両替してもレートは一緒だということ。
だから、到着したばかりの両替だからと、他のどこかの国のように、無理に小額に留める意味はない。
また、旅で一番問題なのは、「現金がない」ことなので、出来るだけ余裕を持った金額を両替しておいた方がいい。
そこで、一気に5万円を中国元に両替してしまおうかと考える。
しかし、もし、鉄道で移動して、案外と安く旅行できてしまったら、現金を多く持ちすぎてしまうのではないか…、と迷いが出てくる。
ここで「キリがいいから5万円替えてしまおう!」と素直に思えて、迷いなくすんなり両替できる人は、日本の社会生活でも思い切りがよくて、決断力があり、きっと人生で成功するタイプの人だと思うよ。
ただ、世界旅行者は、あれこれあれこれ考えて考えて疲れてしまうくらい、神経の細い、心配性の人間なんだよ。
だから、人生で成功してないんだけどさ…(とほほ)。
ただ、僕は、決断できないときの決断の仕方(?)は知っている。
つまり、「いま5万円両替すれば充分だが、さしあたり3万円でも何とかなるかもしれない、それなら、4万円両替する!」と、「足して二で割る」行動をとったわけだ。
これってまさに日本人的な行動なわけで、普段日本人を批判している割に日本的だよなー(ふんにゃ〜)と思うが、僕の日本人批判はもちろん自分自身をも対象にしているわけだから、それなりに筋が通っているともいえるよね。
ま、人間について考えるなら、自分について考えればいいってことだけどさ。
というわけで、日本円のトラベラーズチェックを4万円分、ズバッと両替すると、2792元3角になる(1元=約14円)。
両替をして出口へ向かおうとすると、「浦江飯店へ行きますか?」と浦江飯店の客引きの中国人から声をかけられる。
マイクロバスで浦江飯店へ連れて行くそうなので、他の乗客をすこし待つ。
両替の列は長く、旅行者の数は多いので、遅れて来た人たちはここでの両替を諦めたようで、旅行者が適当に集まってきて、マイクロバスへ乗り込む。
このマイクロバスもなかなか動かなかったが、最後に白人のカップルが乗り込むとすぐに動き出した。
マイクロバスは、多分大きな道を通るために回り道をしたのだろう。
船着場から浦江飯店までは歩いてもすぐという情報とは違って、この古いホテルの前に到着するのに時間がかかった。。
なるほど、これが、インターネットで見たことのある、浦江飯店だ。
ホテルのロビーに入ると、さすが昔は一流ホテルだったらしい天井の高さと、堂々とした受付カウンターがある。
受付の女性の雰囲気も、横にある両替カウンターも、とてもバックパッカー宿とは思えない雰囲気だ。
浦江飯店のドミトリーは均一料金の55元。
しかし、みんなが相部屋で泊まるホテルに、一人で泊まるのも話のネタになるよね。
と、念のために一部屋の値段を聞く。
常に一般旅行者とは違う、一歩踏み込んだ考え方をする、それが世界旅行者先生なんだよ。
だから浦江飯店の一部屋料金の実際の話は、これが世界で最初に公表される。
浦江飯店の(ダブルルーム一部屋の値段で)330元、つまり約4600円。
上海で一泊5000円弱は、これは、バックパッカーとしてはいくらなんでも払えない。
しかし、ひょっとして新鑑真号で知り合ったカップルが、一晩中腰が抜けるほど思い切りセックスを楽しみたいというのなら、古い格式のあるホテルで一生の想い出が作れる。
その意味では、非常に安いと思うので、この貴重な情報を参考にして、是非ご利用ください。
僕が指定されたのは、315号室の4番ベッドだ。
このドミトリーの部屋に行くと、これはもともと豪華なホテルのスイートルームらしいものにほとんど手を加えずに、ただベッドをいれてあるだけの状態だ。
だから、ドミトリー用の大部屋というのではなくて、315号室自体がいくつもの部屋に別れている。
バスルームにはトイレと洗面台があるが、このバスルームの大きい事といったら、バスルームだけで日本のワンルームマンションくらいの大きさがあるくらいだ。
僕の横のベッドには、ドイツ人らしい白人が荷物を広げていた。
部屋は雑然としていて、いわゆる旅行者宿のように、気軽に挨拶を交わす感じでもない。
僕は実は、今度の旅は「旅行者の観察」も目的なので、この有名な浦江飯店にきっと巣食っているだろうタイプの、旅行自慢の日本人長期旅行者と出会うのを楽しみにしていたのだが、この雰囲気では無理だね…。
でもまあ、今夜のベッドを確保しただけいいとしよう。
ただ、浦江飯店のドミトリーの雰囲気では、そんなに長居するところではないよ。
とにかくホテルを見て回ろうと、まず一階のロビーに降りると、船で知り合った旅行者のみなさんと出会う。
「西本さん、僕らこれから、列車の切符を買いに上海駅へ行くところですが、一緒に行きますか?」と声がかかる。
ま、それもアリでしょう。
なぜって僕は、旅に出たら、その流れのままに身を任せるんだから。
中国の列車の切符といえば、僕が北京の京華飯店に泊まっていたとき、北京西駅の外国人窓口へ切符を買いに行ったが、まったく切符が入手できなかった経験がある。
そのときは、ホテルの旅行代理店に頼んだら、ちょっと手数料を取られたが、あっけなく目的の切符を入手できた。
だから、僕の心の中では、「今回も、自分でわざわざ切符を買いに行っても無理じゃないかなー。だったら最初から、旅行代理店に頼もう!」という考えがあるんだ。
でも、声をかけられたら、流れとしては付いて行くことになるだろうさ。
「僕も上海駅へ一緒に行くよ」と返事をする。
まあ、上海駅の見学だと思えばいい。
切符を売っているから目的の切符を簡単に購入できると思うようでは、世界旅行者ではない。
中国では、切符は切符売り場にはなくて、とっくに旅行代理店に流されているものなんだよ。
しかしもちろん、僕が上海駅へ行けば、そこでは、思いがけない出来事が僕を待っていることになるわけだよね。
だって、僕は、世界旅行者先生様なのだから…。
(「世界旅行者・海外説教旅」028)
《上海から昆明行き人気列車の、翌日の硬臥切符を買うなんて、そんなこと絶対に無理です!》
切符を買いに行くのは、中国通の緑靴好男くんを中心とした男性2人女性2人のグループで、僕が加わって全部で5人になった。
女性の一人はキャミソール姿の女の子で、つくづくこの女の子とは縁がある、僕と結婚する運命なのかも…、と考える。
浦江飯店を出て、裏の通りへ出て、僕がタクシーを二台呼び止め、分乗する。
僕は気の弱そうな男の子と一緒に2人で乗る。
先に緑靴好男くんと二人の女の子を乗せた車が走り出し、僕と若者を乗せたタクシーが後に続く。
若者は、「あーん、見失ってしまう…」と心配そうだが、車を見失っても問題はない。
行き先は、上海駅に決まっているんだ。
ただもちろん、人が多いだろう上海駅で、先に出た連中と再会できるかどうか、それはわからないよ。
実は、僕は二台に別れた時点で、ま、見失って別れてしまってもそれも人生、という達観がある。
横に座っている若者は、せっかくグループになった旅行者同士で別れたくないという執着があるようだ。
その執着、それこそが人間の悲しみの根源なんだよね。
生きているということは、出会いの連続だから、出会ってしまったら必ず別れがある。
しかし、別れがなければ、新しい出会いはない。
だから、別れたら、また新しい出会いを見つければいいだけなんだよ。
ま、僕の場合、結婚していた女性と別れて以来、それっきり新しい出会いはないけどね(涙)。
と、達観してタクシーに乗っていたら、見事にもう一台を見失ったまま、上海駅に着いてしまった(笑)。
一緒の若者は、他の人たちを探そうという気持ちであちこち見回しているが、僕は目的を上海駅見学に切り替えて、駅前の売店の商品をチェックしてあるく。
すると売店の台の上に「上海市区交通地図」を見つける。
まあ、役にたとうがたつまいが、ある場所の地図というのはお土産にもなることだし、無条件に購入する。
するともう一つ小型の本を見つけた。
それが「全国鉄路旅客列車時刻表」という、中国の鉄道時刻表の最新版だ。
これは、買おうか買うまいか迷ったが、値段も安いので話のネタにと一冊購入する。
ま、これが、実際とても役に立ったんだけれど、それはあとで話してあげるね。
まあ、僕は、上海駅へ来て、面白そうなものを入手したので満足、満足!
次に駅の中でも見物しようかしら、と思っていたところに声がかかる。
「西本さーん♪」
あれっ、世界旅行者の名前を、上海駅の前で呼ぶなんて、いったい誰だろう。
もちろん、僕の名前は、ちょっとでも海外旅行に興味のある知的な日本人の間では、知られまくっていて、顔もみんな知っている。
また、海外旅行では、一度出会った人と、また別のところで再開することも珍しくはない。
すると、この声は、グアテマラで出会ったあの女の子だろうか、イタリアであった何人かの女性の1人だろうか、イスタンブールで一緒に酒を飲んだ女の子たちの1人だろうか、それとも西アフリカの、または、インドのトリバンドラムで、ひょっとしてLAで、もしかしたら、オーストラリアで、と頭は猛烈な回転を始める。
すると、目の前に現れたのは、なんと、別れたばかりのキャミソールの女の子だよ。
ま、これでわかることはだね、「いま別れたばかりの人のほうが、昔別れた人よりも再会する可能性が多い」という「海外旅行定理」だね。
緑靴好男くんもやってきたが、もう一人の女の子がいない。
その女の子はなんでも中国語もペラペラで、窓口で今日の南京行きの切符を買って、一人で行ってしまったらしい。
しかし、長距離の列車は駅の窓口では買えなかったとか。
普通の日本人旅行者は、長距離の切符が欲しいわけだから、上海駅ではちょっと無理みたいだ。
さて、一緒の仲間の行く先を考えてみよう。
緑靴好男くんはウルムチへへ硬臥(ニ等寝台)で行くつもり。
キャミソールの女の子、うーん面倒だからキャミ子ちゃんと名前をつけておこう、キャミ子ちゃんは上海から南へ下り、ベトナムへ抜けるつもり。
もう1人の男の子は、まず広州へ行くことを考えているらしい。
みんな長距離だから、硬臥の切符を希望しているが、硬臥というのは希望者が多くて、中国ではなかなか手に入りにくいものなのだ。
僕も、タテマエとしては、雲南省昆明へ二泊三日の硬臥で行くつもりということになっている。
でも、おそらく切符はないだろうから、それを確認して、飛行機に乗るという計画だ。
まあ、最初から飛行機に乗るのでは、世界旅行者としての立場がないからね。
「一応列車の切符を捜したんだけれど、無理だったんだよー。飛行機なんか使うつもりはなかったんだけれど、硬座(二等椅子席)では、とても耐えられないからね」というのが、言い訳だ。
だって、まあ、硬座というのは一応指定席ではあるらしいのだが、指定券を持ってない人がどんどん乗り込んできて、ほとんど身動きが取れないという噂の、とんでもなく大変な列車らしいんだ。
若者ならば、青春の一ページの記録にしておけば、一生自慢話になるだろうが、僕はそこまでやる気はないよ。
また、軟臥(一等寝台)もあるが、これは、見知らぬ人と4人のコンパートメントで、居心地が悪いだろう。
実は、僕は敦煌(への駅、柳園)からトルファンまで軟臥に乗ったが、そのときはたまたま日本人のツアー客と一緒で、それなりに面白い話ができて楽しかったのだが、話の通じない中国人と二泊三日はちょっと止めて欲しいしね。
「結局、切符は取れかったんでしょ?」と、最初から諦めている僕は、答えを求める。
すると「これから、近くのホテルの外国人用切符売り場へ行きます」との返事がある。
ガイドブックを見せてもらうと、「(上海)駅の西側の龍門賓館の中にある外国人用切符売り場で12日後までの切符が買える」とある。
僕としては、まあ、3日後程度の切符が取れればいいが、ま、取れないだろうと考えている。
みんなでホテルへ歩きながら、僕も中国が初めてではないのでウンチクを話す。
「中国はとにかくダマシが多いから、注意しないとだめだよ」ってね。
その龍門賓館の横には、大きな看板を掲げた旅行代理店が見える。
僕は、「これが外国人用切符売り場だと思うと、それが大違いで、この旅行代理店は、間違ってやってくる外国人をカモにしている代理店だってこともあるんだよ。ホテルの中にあるんじゃないかな」と言いながら、みんなを引き連れてホテルの中に入る。
ホテルはちゃんとしたホテルで、特に切符売り場があるようには見えないが、ボーイに聞くと、指差した先に窓口がある。
お見事、やはりさっきのホテルの横の誰でもわかる旅行代理店はニセモノで、ホテルの中で出来るだけ見つけられないように、ひっそりと営業しているのが本物の外国人用切符売り場なんだよ。
その切符売り場からは、白人が数人、ガッカリしたような顔で出てきた。
その表情からは、とても希望の切符が入手できたとは思えないね。
「外国人用の切符売り場で切符が買えると思うと、そうはいかず、切符は旅行代理店に横流しされている、それが中国という国なんだよなー」と、小さくつぶやく。
みんなが窓口に並ぶが、先頭に並んだ緑靴好男くんは、中国語がかなり出来るようで、窓口のお姉さんと話をしている。
しかし、ウルムチまでの切符がなかったようで、「西本さん、ずっと硬臥の切符がないので、僕は3日後の硬座で敦煌(柳園)まで行きます」と、蒼い顔で絶望の声を出す。
硬座で敦煌までって、その意味は、40時間以上も硬い椅子に座ったまま、中国人にびっしりと囲まれて身動きも出来ないままだよ。
それは、ある意味、ほとんど自殺行為だと、彼のために心の中で手を合わせてお経を唱える。
次のキャミ子ちゃんは、上海からちょうど24時間程度かかる、南の広州まで行きたいようだが、やはり一週間ほど硬臥は取れない。
「どうしよう…」と振り向いて迷っていたが、結局軟臥(一等寝台)を入手した。
若い男性は3日後の硬座はあると言われたが、「硬座は疲れるので…、どこか別の旅行代理店に当たって、なんとか硬臥を取ります」と、諦めて、窓口を離れる。
早い話、一緒に来た3人は、自分の目的地までの硬臥を希望して、見事に全滅だ。
僕は別に気にならない。
最初から硬臥が取れるとは、期待してないからね。
紙に「硬臥、上海→昆明、7月26日」と明日の日付を書いて、窓口の女性に見せる。
明日の26日はもちろん取れないだろうが、そのあと、27日、28日、29日と日付を変えて、チェックするつもりなのだ。
取れるはずもないが、取れないならその時のこと、キャミ子ちゃんと一緒に軟臥で広州へ行ったって悪くはない。
きっと神様は、キャミ子ちゃんと一緒に広州へ行くように、定めているのだろう。
窓口の女性は、僕が出した紙を見て、コンピューターにデータを打ち込んで、顔を上げて、僕を見て、ニヤッと笑った。
笑ったのはなぜだろう。
「突然やってきて翌日の昆明行きの切符が欲しいなんて、身の程知らずの馬鹿日本人、この田舎者!バカタレ!」と思ったのだろうか。
しかし、ここで、思いがけない、誰も信じられない、驚天動地の答えが戻ってくるのだった。
ま、それも仕方ないかもしれない。
だって、僕は、神に守られた、世界旅行者先生様なのだから!
その答えとは何か、そして、世界旅行者はどう反応するのか、それは次回のお楽しみ!
(「世界旅行者・海外説教旅」029)
《世界旅行者は、中国共産党も、何もかもまったく信じないっ!が、これは本当だった》
さて、僕はこのときまでに、中国の鉄道に乗ることに、すっかりうんざりしていた。
と言うのは、中国はとにかく人が多い。
さっき通ってきた上海駅も、膨大な数の人が行き交っていて、駅前を通り過ぎてきただけで、僕はその人いきれと熱気で、疲れてしまっている。
しかも僕は、中国の鉄道では、北京西駅から成都の二泊三日の硬臥にすでに乗って、その状況を把握している。
また、柳園からトルファンへの軟臥で一泊したこともある。
するとここで上海から昆明まで、またわざわざ硬臥に乗って旅をしたところで、たいして新しい経験ともいえないよね。
さて、ここで世界旅行者の鉄道旅行経験について、思い出してみよう。
海外旅行の基本の基本としては、もちろんヨーロッパ鉄道旅行をがんがんやっていなければ話にならない。
ヨーロッパの文明に触れずに、ただ安く旅できるからというだけで、アジア中東付近をうろついている人たちは、旅の基本を忘れているので、いくら旅行しても無駄なんだ。
基本をないがしろにして、応用ばかりをやっても、身につかないわけだね。
数学も、英語も、大工仕事も、料理も、海外旅行も、基本を忘れるとモノにならないのは一緒だ。
鉄道旅行の基本がユーレイルパスによる西欧中心の鉄道旅行ならば、もう少しすすんで、東欧も鉄道旅行しなければならない。
さらに、応用編では、アフリカの鉄道旅行、例えばモロッコのタンジェからマラケシュ、ケニアのナイロビからモンバサへの鉄道も大切だ。
西アフリカのダカール(セネガル)からバマコ(マリ)の寝台列車、これはもうすぐ廃線になるに決まっているので、絶対に乗っておかなければ話にならないよね。
廃線と言えば、チリのサンチアゴからプエルトモンまでの揺れの激しい夜行寝台列車にも乗った。
南米ならばもちろん、クスコからプーノへの通称泥棒列車にも乗っている。
米国のAMTRAKにも乗ったし、オーストラリアでも鉄道に乗った。
アジアでは、マレーシア半島の鉄道にも、パキスタンのペシャワールからクエッタへの最長鉄道(2泊3日)にも乗っている。
ということは、今ここで、上海から昆明程度を二泊三日で行こうが行くまいが、たいした問題ではない。
鉄道旅行も、ガラガラのスカスカの大きな窓を持つきちんとした車両で、例えばヨーロッパアルプスの山岳地帯の峡谷をゆったりと走って、両側に雄大な山が迫ってくると、これは最高にキモチイイね。
また、車両はぼろぼろでも、人がどんどん降りてしまったがらんとした列車で、雄大な高原をカタコト走って、開けた窓からサーッと風が吹き込んでくるような状態だと、これもまたなかなかキモチイイよね。
これは、実はパキスタンで、クエッタエクスプレスが終着駅クエッタに到着する寸前の記憶なんだけどさ。
でもまあとにかく中国では、人が多すぎて、そういうことは夢にも考えられない。
前回の経験でも、とにかく車両内はびっしりと満員で、また中国の皆さんは、しゃべるは食べるわで、とにかく精神的に疲れてしまうのだ。
それに、北京から成都のときは、燕京号で出会った女子大生さんと一緒に旅をしたので、まだちょっとは助けられて楽だったけどね。
まあ、僕が助けてもらうために、女子大生さんを誘ったってこともあるんだけどさ(笑)。
というわけで、僕が外国人用切符売り場に来た時は、「鉄道切符が手に入らないのは願ってもないことで、それを理由に、飛行機でひとっ飛びだーい♪」という結論に達していたわけなんだ。
窓口のお姉さんは、僕の顔を見て、ニヤリと笑って、一呼吸置いた。
僕は、「ダメならダメと早く言えよ!」と、目で語る。
お姉さんは、「おめでとうございまーす!ここで翌日の切符が取れた人は、あなたが最初です!中国共産党から特別に、たった今、一枚だけ切符が放出されました。あなたはよほど特別なひとなんですね」と、尊敬のまなざしで、僕に言った。
ま、この言葉は、中国語だったので、多分そう言ったのだろうと僕は思うだけで、正確な翻訳ではないんだけどね。
僕は、「オイオイ、止めてくれよ…」と思う。
もうこの歳になって、二泊三日も硬臥(ニ等寝台)で移動だなんて…。
ただ、中国共産党が僕のためだけに一枚の切符を用意してくれた(多分ね)のなら、この列車に乗らないと、逮捕されてしまうかもしれない…。
また、こういう流れになってしまったら、その流れに乗らないと、大変なことが起きると僕は知っている。
だいたいが、昼過ぎにやってきて、翌日の切符が入手できるなんて奇跡としか考えられない。
常に満員状態の上海〜昆明の、誰でも欲しがる硬臥の切符が目の前にあること自体が、とんでもないことなのだ。
このチャンスを逃すと、チャンスの神は二度と僕に振り向いてはくれないだろう。
「しかたがない、それが運命なら、従うだけだ。イヤだけど列車で昆明まで行くしかないか…」と、決意して、切符を手にする。
しかし、もちろん手にしたものが本物かどうか、日付や値段などをチェックしてみなければならない。
中国の鉄道切符はコンピューターで発券されるので、切符にはその内容がはっきりと印字してある。
そして券面には、「新空調硬座特快…」とある。
なんだって…、ここには「硬座」とあるではないか。
硬座といえば、地獄の二等椅子席だよ。
僕には硬臥といいながら、切符は硬座か。
中国は人を騙すところだが、ここまでやるかなー。
中国共産党から特別に一枚だけ放出されたといいながら、人を騙して喜ぼうという汚い魂胆だなー。
僕は、ブチブチッと血管が切れたが、こんなところで暴れても仕方がない。
窓口の女性に、切符の「硬座」のところを示して、ジェスチャーで寝る姿を描き、両手で大きくバッテンをする。
世界共通の言葉で、「僕は硬臥が欲しいんだよ。硬座では寝れない」と語ったわけだ。
すると女性は、切符の最後の方を指差した。
そこには、「新空調硬座特快臥」と、「臥」の字が書いてある。
ということはこの切符は本当に、幻の「硬臥」なのか。
それでも信じない僕は、念のために、一等寝台の切符を持っているキャミ子さんの軟臥の切符を見せてもらうと、同じような書き方だ。
つまり、やはりこれは、硬臥の切符らしい。
これだけ切符を疑うというのは、正直、自分としては、いまさら明日、硬臥なんかに乗りたくないという気持ちがあるからなんだよ。
イヤだが、本当に翌日の硬臥切符を入手してしまったみたいだね(涙)。
こんな夢みたいな話、旅行記に書いても誰も信じないだろうけれどさ、これはね、正真正銘本当の話なんだよ。
僕は明日7月26日の、昼の12時42分上海駅発、昆明行きの硬座切符を入手してしまったんだ。
でもそんな幸運が、続くはずがないよ。
次はとんでもないことが、起きてしまったのだ。
(「世界旅行者・海外説教旅」030)
《上海観光案内: 豫園からバンドへ》
世界旅行者は、上海に到着してその昼には、翌日の昆明行きの切符を手にしてしまった。
他の人が全員、希望の切符が取れなかったことを考えると、こんなすごいことはほとんど夢物語のようなものらしいよ。
切符を買いに行った4人でいっしょに、ホテルから上海駅へと戻るが、僕はボーッとして他の人について歩いているだけだ。
正直言うと、気がすすまなかった長距離列車に1人で乗らなければならなくなったので、ガッカリして身体の力が抜けてしまったのだ。
4人の中心になっている緑靴好男くんは、さすが僕のファンだけあって、計画性があり、行動力がある立派な人だ。
上海で何を見るか、ちゃんと考えているようで、みんなを引き連れて先頭に立って歩いていく。
「次は何をするのだろう…?」と考えていると、どうやら上海の市バスに乗るようだ。
僕は何も考えず、みんなの行く通りについていく。
ま、これが、巷で噂の「コバンザメ式旅行法」なんだよね。
世の中も海外旅行も、あんまり自分で考えたり、決断したりせず、他の人が行動する通りにやっていれば、それなりのことが出来るものなんだよね。
人生についても、なんとなく大学へ入り、なんとなく会社に勤めて、なんとなく結婚して、なんとなく子どもが出来て、なんとなく出世して、なんとなく浮気でもして、なんとなく定年退職して、なんとなく歳を取って、なんとなく死んでいくのが、一番いいんだから。
人間の不幸とは、自分の頭で考えること、これに尽きるわけだからね。
できるだけ、物事をあれこれ考えないようにして、周囲に流されるままに生きていくのが最高なんだ。
日本人の身体の細胞の中には、ひたすら周囲に合わせて流されるままに生きていけば、自分個人としても社会的存在としてもすんなりと生きられた、過去の日本の環境に最適な遺伝子が存在している。
問題なのは、日本社会が世界との接点を持ちはじめて、その昔のままの日本の状況が崩壊しつつあることなんだよね。
例えば、イラクで拾ったクラスター爆弾を機内に持ち込もうとして、ヨルダン空港で警備員を殺してしまった毎日新聞社の五味宏基くんなんかも、日本の新聞社の会社員らしく、戦争報道とは口先だけで、実は戦争中は安全なところに避難していたわけだ。
だから、戦争記念品なんかを拾って、日本で見せびらかして自慢しようなどと変な考えを起こさずに、日本の新聞社の社員らしく、安全第一で横並びのことをやっておけばそれでよかったんだよ。
日本の新聞社社員とすればそれでよかったわけだが、海外の本物のジャーナリストとの接点が出来たときに、これではいけないとがんばってしまうと、そこに落とし穴があったというわけだ。
これも、日本の新聞社社員と、海外のフリージャーナリストが接点を持ってしまったことが、問題を起こしてしまったんだよ。
日本の新聞社の場合は、世界中のジャーナリズムから隔絶されていて、他の国の人なんか誰も気にしていないのだから、がんばることはなかったんだよ。
ちょっと人と変わったことをして目立ちたい、そういうことを普通の人間がやってしまうから、問題を起こしてしまうわけなんだ。
本来は、日本人などというものは、たいして変わった人間もいないし、個性なんか持ってないものだから、流れるままに生きて、流れるままに自然と死んでいくのが一番の生き方なんだからね。
そういう正しい悟りを持っている世界旅行者は、緑靴好男くんの動くままに、バスに乗り込み、車内でバスの切符を購入し、ぼんやりと上海の町並みを眺めていた。
しばらくすると、どやどやとバスから人が降りて、その後についていくと、取ってつけたような中国風の町並みが並ぶ地域に入ってしまった。
建物の間の細い道に入ると、小さな店が続いているのを見て歩く。
その後、池のそばに立つ、二階建ての食べ物屋さんに入る。
この店はものすごく流行っていて、空いた席がないが、食べ終わりそうな人たちの後ろに立って、「この人はもうすぐ終わるよ」「早く席を立たないかなー」と、わいわい話をする。
もちろん、日本語で話をしているので、中国人の皆さんには言葉は理解できないが、ま、何を言ってるかは十分に理解できただろう。
席が空くと、しっかりと座り、注文を出しに行く(この店の入り口で注文し、金を払う)が、中国語がわからないので、漢字で見当をつけて注文する。
僕は「牛肉鉄板」と言うものを注文したが、まさしく熱い鉄の板の上に牛肉がジュージューパチパチと乗っていた。
ショーロンポーが名物だとかで、みんなで食べる。
さらに、昼間から、ビールを追加注文して飲む。
店を出ると、雨がぱらぱらときそうな雰囲気だ。
ビールをたくさん飲んだのでトイレに行きたくなるが、中国のトイレはあんまり気がすすまない。
もうホテルへ帰ってしまおう!と決意して、キャミ子さんといっしょに、小雨の中をタクシーを拾ってホテルへ戻る。
他の二人とは、また夕方ホテルのロビーで会うことにする。
なお、僕が行ったところは、豫園という公園の周囲にある豫園商場というところだそうで、これはこれなりに上海の観光名所らしいよ。
ホテルへ戻って、個室のトイレに入った後は、何もすることがないよ。
明日昼には上海を出てしまうので、そういえば、上海のバンドを見なければならない!と、ホテルのロビーに出ると、船で一緒だった旅行者の皆さんと出会った。
「バンドを歩こうよ」と声をかけて、男性3人、女性1人といっしょに、ホテルを出てバンドへ出る。
バンドというのは、昔の上海の建物の並ぶ一帯で、川沿いに遊歩道が長く続いている。
ずーっと歩いて、バンドの端っこにある台形の巨大な建物に入ると、そこに東南アジアによくあるタイプのレストランがあった。
つまり、大きな一つのフロアに食べ物屋さんがたくさん並んでいて、その店で食べ物を買って持ってきて、テーブル席で自由に食べるという形式だ。
ここで、焼肉の串を10本とって、ビールを8本ばかり飲んで、互いの日本での生活や、海外旅行の話、これからの行き先など、いろんな話をした。
ただ、ビールを飲んでいたので、何を話したか、正確な内容は記憶から落っこちてしまったけどね。
昼からビールばかり飲んでいるが、中国のビールの特徴はアルコール度数が低いことなので、飲んでも飲んでも酔わず、トイレに行きたくなるだけだ。
まあ、話をしながら飲むにはちょうどいい感じでしょうか。
海外旅行で強い酒を飲むと、動けなくなって困るけれど、そういう点で、中国のビールはオススメです。
豫園で別れた仲間と夕方にまたロビーで再会して、食事に行くことになっていた。
バンドを歩いた人も誘って、大勢で一緒にレストランへ行って、席に着いたのだけど、ふと思い立って1人だけ別れた。
というのは、朝からずっと他の人と一緒に動いていたので、人と話をするのに疲れてしまってたんだよね。
一日の最後は、一人でゆっくりと過ごしたかったんだ。
それに、僕は明日は上海を出て行くわけだ。
そうなると、今度の旅で上海の夜のバンドを1人歩くのも今夜が最後だ。
上海へまた来るかどうか、わからない。
というので、夜のバンドへ繰り出したが、これがすごかった。
1人で日本の中国進出や上海事変など、歴史的な物思いをしながら、ゆっくりとバンドを歩こうと思っていたら、とんでもない。
夜のバンドは、上海市民の皆様で猛烈に混雑していて、まあ例えれば、隅田川の花火大会の雑踏に近いほどの人出だったんだ。
適当な店も思いつかないので、人をかき分けかき分け、さっきビールを飲んだ大きな食堂へ戻り、夕食をとって、ビールを飲んだ。
一日の終わりに、その日を振り返りながら、1人でゆっくりと冷えたビールを飲む。
これが人生の究極の楽しみだね。
思い返すと、無事に上海へ到着して、念願の浦江飯店に泊まり、翌日の昆明行き硬臥切符を入手して、豫園という観光名所の周辺を歩いた。
バンドも歩いたし、旅行者とはうんざりするくらい話をして、(ここには書ききれない)細かい海外旅行ネタを仕入れた。
ま、それなりに、いいんじゃないでしょうかね…。
ただ、明日の昼には、昆明への二泊三日の列車に乗らなければならない。
しかも今度は、たった一人きりで、僕はもちろん中国語は話せない。
うーん、とんでもないことが起きそうな、変な予感がするよね。
むーん…。
(「世界旅行者・海外説教旅」031)




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