プノンペンからシェムリアップへ飛行機から景色を見て、「260(チェンラ)」へチェックインし、夕刻のアンコールワットを見る

[Chenla Guest House@Siem Reap(2002)]
プノンペンのキャピタルホテルから、タクシーで空港へと行く。
チェックインは一時間ほど前に始まって、僕たちの手続きが最初だった。

思いがけなく、空港税を4ドル取られたけどね。
飛行機は午後3時半の予定だった。

予定の乗客が乗ってしまったのか、なんと20分前の午後3時10分に離陸した。
機体はアントノフ24(ANTONOV AH-24)というソ連製。

一列左右に2席ずつの4席で12列、つまり48人乗りだった。
プロペラ機でエンジンは2つ。

いいのは高翼式で窓からの視界が確保されているところだね。
僕は何しろチェックインが最初だったので、選んで右側の席を取った。

これは、かなり深い考えがあった。
というのは、プノンペンからシェムリアップへの地上の景色をじっくり見たかったから。

プノンペンからシェムリアップへのフライトが北西への移動。
またこれは、午後のフライトだ。

この飛行機の右側の席に座れば、太陽の直射日光を受けないで済む。
飛行機の窓からの景色が見やすいってことね。

中型プロペラ機の高度のフライトだと、地上の風景がきれいに見える。
これはいままでもずいぶん経験があるんだ。

例えば、アマゾンの上を飛んだときの、くねった蛇のようなアマゾン川支流の流れは感動的だった。
また、ペルーのアレキパからクスコへ飛んだときの、アンデス山地の風景も見事だった。

飛行機から見下ろすと、カンボジアの森と川が見える。
また、道路が細く続いているのもたどれる。

シェムリアップ近くになって見えるトンレサップ湖がすごかった。
水は土色に濁っていた。

湖の色が茶色の部分と黒く変化したところがあって、不思議に思う。
それが雲の影だとわかるまで、頭をひねっていたよ。

トンレサップ湖は、雨季と乾季で大きさが極端に変化する。
いま8月は雨季だ。

ただ飛行機から見ると、浅く水が張った湖と陸地の区別は付きにくい。
湖の中にも樹木が水没しているところがあるしね。

小船もよく見える。
着陸態勢に入って、飛行機が低く飛ぶと、田や道路が水没しているのが見える。

午後4時2分、つまり飛行時間は50分でシェムリアップ空港に着陸。
シェムリアップの空港はとても小さく、またこのフライトの乗客も少なかった。

空港の建物を出ると、タクシーが声をかけてくる。
話を聞くと「ゲストハウス260へ連れて行く」とのことだ。

ゲストハウス260とは、キャピタルレストランの情報ノートにも書いてあった。
とにかく、日本人旅行者はみんなこの「260」へ泊まっているようだ。

このとき確か、空港から260へのタクシー料金は取らなかったんじゃないかな。
僕とハッキリくんが後ろの席に座り、ドライバーの横の助手席にバンダナ君が席を取った。

車は確か日本製のカムリだったと思う。
くたびれてない、塗装もきれいな車だった。

運転手もなかなか格好いい、30歳前後の若者。
しかも、教育のある英語を話す。

バンダナ君は関西の有名私立大学の学生で、そんなに頭は悪くない。
ただ、社会経験が大きく不足している。

これまでも指摘してきたが、社会経験の少ない若者は、旅先での変わった経験に舞い上がる傾向がある。
彼の英語能力は、普通の日本の大学生に毛が生えた程度だ。

運転手は日本人を扱いなれているようで、日本人にわかりやすい英語を話す。
すると、バンダナ君は「海外に出て現地の人と英語で会話をした!」というわけで、また舞い上がっている。

それが後ろの席で、ハッキリくんと日本語を話している僕には、微笑ましく映った。
実際は僕の気持ちとしては「社会経験の少ない若者が、海外で下手な英語が通じたくらいで思い上がられると、扱い辛いんだよなー(涙)」というものだったけどね。

タクシーは「260」に到着する。
この260というのは、260番地という意味だ。

国道6号線沿いに立つゲストハウスだ。
これが後に「チェンラゲストハウス」として有名になる宿だった。

ただ1994年には、だれもこの宿をチェンラと呼んでなかったと思う。
6号線も舗装されてない砂利道だった。

260も、そのころは平屋建てのボロッチイ建物だった。
建物に入ると、正面はホールになっていて、長いテーブルがある。

右側に部屋が並んでいた。
左の奥にも部屋があったと思う。

突き当りの奥に家族の部屋やドミがあったかもしれないが、確認していない。
宿の人が僕たち3人に部屋を割り振った。

バンダナ君とハッキリくんはここでも2人で一緒の部屋を取る。
僕が1人部屋を希望したら、入り口左の小さな部屋を、3ドルで割り振られそうになる。

そこで僕は、「こんな部屋はイヤだ。出て行く!」と260を出て行こうとした。
僕はこの1994年以前に、世界一周旅行を含んで膨大な旅行経験があった。

だから、「有名なゲストハウスの近くには、必ず、あぶれた客を狙う別のゲストハウスがある」という旅行定理を知っていたわけだ。
それで結局、広い3人部屋(1号室)を僕1人で使うことで、4ドルにしてくれた。

面白かったのは、1号室は2号室とシャワートイレが共用になっていたことかな。
つまり、両方の部屋の中間にバスルームがあって、両方にドアがあって、使用する時は、相手のドアを内側から閉じるってことね。

これは、正直初めての経験だったので、なかなか興味深かったよ。
ただ、2号室の客がドンくさいと、ドアを内側から閉じたまま自分の部屋に帰ることがある。

すると、僕の方からドアを開けられないので、2号室へ行って、開けてくれるように声をかけなければならないわけだ。
これは実際、僕が宿泊していた時に起こったことだけどね。

タクシーの運転手はバンダナ君と話をつけていたようで、僕たちが部屋に収まるのを外で待っていた。
「アンコールワットを見に行く」という。

僕は正直、日暮れのアンコールワットを見るつもりはなかった。
ただ、一緒に旅をしている人がタクシーでアンコールワットへ行くという場合、自分が行かないと料金的に負担をかけることになる。

それで「お付き合い」で見に行きました。
僕としては、アンコールワットを見るならば、翌日時間が十分にある時に、初めて対面したかった。

覚悟もなしにアンコールワットを見るのは、なにか「早漏(Premature Ejaculation)」みたいでイヤだったけどね。
でも世の中は何が起きるかわからない。

誰だって明日の朝が確実にあるとは限らないのだから。
僕はすべてのことを「神の導き」と受け取っている。

だから、「神がそう定めているなら、アンコールワットを見に行きましょう」と考える。
みんなと一緒にタクシーに乗った。

僕の記憶では、このときはアンコールワットの中には入らず、外から眺めただけではなかったかな。
ただその巨大さにはびっくりしたよ。

夕食はゲストハウスの定食(1ドル)だった。
夕食の時に、アンコールビール(3千リエル)を2本飲む。

他の人たちはホールで話をしていたようだが、僕はとっとと部屋へ引き下がって寝ました。
それが午後10時ごろ。

この日は、朝早くからいろんなことをしたね。
充実した1日も、だらだらとした1日も、どちらも、僕らが老いと死へ向かう1日に違いはないけど。

【旅行哲学】チェンラが260と呼ばれていたときに泊まってないと、カンボジア旅行自慢は出来ないよねー(笑)。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080421