カンプチア航空の事務所で、プノンペンからシェムリアップへの往復航空券を購入する


【世界旅行者@アンコールワット(2002)】

閉まっていてはしかたない。
ベトナム大使館へは明日の朝早く来ることにしよう。

でも、これは僕の予測通りだ。
もしハッキリ君の情報通りに2日でビザが取れるなら、金曜日の明日ビザの申請をして月曜日に受け取ればいいだけだ。

バイクの運ちゃんのアドバイスに従って、アンコールワットへの飛行機の予約を取りに行くことにした。
週末にかけてアンコール遺跡群へ行って、来週はベトナムに入ることに全力を注ぐことにすればいい。

バイクは混み合ったモニボン通りを少し北へ戻り、すぐに右折して裏通りに入ってちょっと走る。
普通の民家のような前庭のある建物の前で止まった。

ここがカンプチア航空の事務所らしい。
バイクを下りて、ハッキリ君と建物に入ると、コの字形のカウンターの中に女の子たちが働いていた。

「こういうところでは予約はいいかげんだから、はっきりと名前を載せないといけないよ。きっと手書きの乗客名簿でね。名前がダブってたりするんだ」と、僕は経験からハッキリ君に説明する。
この経験というのが、1980年代に、南インドのトリバンドラムからスリランカのコロンボへ飛んだときなんだけどね。

「西本さん古いですね。ここにはコンピュータがありますよ!」と、ハッキリ君が大声を出す。
確かにカウンターのところにコンピュータのモニターが置いてあって、女の子がキーボードを忙しくたたいている。

しかし、のぞき込むと、ポーカーゲームだ。
コンピュータゲームをしているようだ。

やはり僕の予想した通り、予約はコンピュータではなく、女の子が大きなノートを取り出して、中を調べた。
これが予約名簿だ。

「明日の26日で席があるのは、15:30のフライトだけです」と言う。
一日に4便ほどプノンペンとシェムリアップ間を飛んでいるが、この便は一番最後のフライトだ。

帰りの便は28日の日曜日の昼頃にしたかったが、朝9時のフライトしか空いてないという。
つまり飛行機はアンコール遺跡行きの朝の便と、帰りの午後の便が混んでいるということになる。

うまくこの混んでいるフライトを使って朝早く出て翌日午後に帰れれば、一泊するだけで2日間遺跡を見られることになるね。
でも、ぼくらのフライトも、これはこれでいいだろう。

26日遅く着いて28日朝に帰れば、ゆっくり休んでまるまる1日アンコール遺跡群を見ることができるのだから。
それに動きの取れない土日曜日を使えるのだしね。

僕の世界中の遺跡体験から言っても、見るのに何日もかかるほどの遺跡はない。
インカのマチュピチュも、シリアのパルミラも、ヨルダンのペトラも、マヤのパレンケもウシュマルもチチェンイツアもティカルも、ジャワのボロブドールも、トルコのエフェスも(あー疲れた)だいたい半日で見れる。

29日の月曜日にシェムリアップから帰ると、ベトナム大使館の開いている時間に間に合わないので、動くのが火曜日になってしまう。
僕がバンコクを発つのは来週の金曜日の2日の深夜、3日の早朝2時なのだ。

ぐずぐずしていると、ベトナムへも行けないかもしれない。
やはり日曜日には帰ってこないとまずいだろう。

シェムリアップへの往復切符は90ドルで、ドルキャッシュ払いだった。
とにかくこれで、アンコールワットへの往復はできることになったよ。 

カンプチア航空の事務所を出てバイクのところへ戻ると、運ちゃんが「王宮へ行きませんか?」と聞いてくる。
ハッキリ君が「行きましょう!」と張り切っている。

僕の本当の気持ちは、ホテルへ帰って少し休みたい。
日曜日の午前中にまたプノンペンに帰ってくるのだし、時間はまだいっぱいある。

それに、王宮を見るにしても、博物館を見るにしても、僕は一人で行きたい。
でも、それを言うのなら、もともとこのバイクタクシーにだって乗っていなかっただろう。

ハッキリ君と一緒だったから、バイクに乗ってベトナム大使館へも行ったし、こうして飛行機の予約もできた。
旅行に出るおもしろさというのは、自分と違った考え方の人と出合うことなのだ。

さしあたりやることもないのだから、一通り町中をバイクで走って土地勘を養っておくのも悪いことではないだろう。
運ちゃんの後ろに僕が乗り、その後にハッキリ君が乗って、3人乗りの50ccバイクはまた発進した。

前方の交差点のロータリーに大きな茶色のモニュメントが見えてきた。
ハッキリ君が「これは何でしょうか?」ぴったり体をくっつけた耳元で僕に言う。

僕は「ストップ、ストップ!」と声をかけて、バイクを止める。
見れるものは何でも見ておかなければね。

運ちゃんは「これはモニュマンダンデパンダンスでおます」と言う。
なるほど、これは「インディペンデンスモニュメント」すなわち「独立記念塔」をフランス語で言ったものだ。

カンボジアという国はもともとラオス、ベトナムと同じくフランスの植民地で、フランス語が通用していた。
ベトナム戦争への米軍の介入以後、英語が通用するようになっているのだが、地名の読み方などにはまだ昔のフランス語が使われているのだろう。

ハッキリ君が小型のカメラを取り出したので、バイクの運ちゃんとのツーショットを独立記念塔をバックにシャッターを押してあげた。
「西本さんもどうぞ、写真を撮りますから」とハッキリ君が言う。

これが旅行中に出会う典型的に面倒な話だ。
ここで「世界旅行主義」による、旅行写真論をやっておこう。

旅先で写真を撮ることは旅行初心者のよくやることで、別に非難すべきことではない。
旅行者というものは一時期は写真を山のように取る時期がある。(いまだとビデオだろうか?)

まあ、ハシカのようなものだ。
それを自分で眺めて自己満足している分にはいいのだが、それを友達に見せようという大胆なことを思いつき、さらには実行してしまう人までもいる。

これが大迷惑だ。
いったいぜんたい、赤の他人が旅行をした記録を見て嬉しい、などという気得な人間が、このせちがらい世の中のどこにいるだろうか?

写真を見せられる人間は、ただ我慢しているだけなのだ。
それも手帳にはさんでいた3〜4枚のスナップショットならまだ許せる。

世間知らずの人間はどこにもいるもので、この3〜4枚の写真を見せられてほっとした友人が「とてもすてきな写真ね、もっと見たいわ」と、お愛想で言った言葉を信じて、自分の旅行の細かい記録を取ろうする。

人間的には頭の単純な「いい人」なのだが、異性とつきあってもいつまでも「いい人」で終わるのがこのタイプだ。
朝起きてから眠るまで、ホテルのトイレから窓から見た景色まで、自分が注文した食事から寝ている情況まで写真に撮る。

レストランのボーイからお掃除おばさんまで、出会う人すべてを撮り始める。
それをきれいにアルバムに整理して(こうなると一日で36枚取りフィルム1本は軽く使う)、わざわざ持ち歩くという暴挙をやってしまう。

本人は親切なつもりなのだが、まわりは大迷惑だ。
喜んでいるのは本人だけで、自分は何て立派な友達思いなのだろうと自己満足してしまう。

しかし、そのうちにだんだん友達が少なくなってくる。
それで少し変だなと気づけばいいのだが、親切でやっていることを誰も注意してくれるほどおせっかいな人は多くない。

だから、お終いには友達が全部逃げていって、独りぼっちになってしまう。
これがレベルの低い旅行者の、決まってたどる道筋だ。

途中でそれに気づいて、写真を撮るのをやめるのが本物だ。
だって、絵ハガキの方がきれいなんだもん。

だから、僕は世界中から絵ハガキを出すのを趣味にしている。
絵ハガキなら切手が張ってあるし、言葉も書けるし、しかもきれいな写真がある。

世界一周していた時には行く街ごとに絵ハガキを出したもので、その300枚ほどの絵ハガキが、今はとてもいい記念になっている。
ということで、本物の旅行者は自分で写真を撮ることはない。

だいいち面倒じゃないか!
カメラが荷物になるじゃないか!

こういう悟り切った「世界旅行者」にとって面倒なのが、旅先で写真をとる旅行者に出会うことだ。
彼らは、人の写真を撮りさえすれば他人は喜ぶという、まだカメラが貴重品だったころの明治時代の考えを持っている。

でも、撮られるのを断ると角がたつ。
まあ、取られたところで、魂が吸い取られるのではないらしいから、撮らせてもいい。

写真を撮らせても構わないといえば構わない。
問題は写真を取らせると、(まともな人間なら、写真を送らなければならないので)住所を教えてくれと頼まれることだ。

でもね、たかが旅先で出会っただけで、どういう人間かもわからないやつに、住所を教える馬鹿がどこにいるだろう!
また、欲しくもない写真をもらっても面倒だし、(たいていはこうなのだが)写真を送ってくれないのもいやだ。

だって住所を教えてしまったのだからね。
この面倒を避ける方法を教えておこう。

写真は取らせるだけ取らせていい。
で、自分の住所は嘘を教えることだ。

これならば個人の情報を悪用される危険はないし、写真を送ってくれない時も気にならない。
送ってくれなくても、それがわからないのだから、いい思い出を持っていられる。

で、相手が本当に写真を送って、届かなかった時はどうするかって?
それでいいじゃないか。

相手には旅先で出会った素敵な「世界旅行者」の記憶をプレゼントできるのだから。
だから僕は機嫌よく写真を取ってもらった。

そしてバイクに3人乗りして、また走り出した。
次は、王宮だ!

http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080416