バンダナ君とジュライの旅行通との話で、日本人旅行者を旅行哲学する@ドンムアン空港の待合室

注:この旅行記は、1994年の話です。現在は、カンボジアへは陸路で簡単に行けます。


カオサンロードの風景(2005)

バンダナ君がジュライで一緒だった中年男性は、よく日本で建設工事で使うベージュ色の作業着のようなものを着ていた。
そういっても、もちろん普通の中年男性ではない。

わかる人はわかる、長期海外滞在者特有の怪しげな雰囲気がする。
バンダナ君に、いろいろなカンボジア情報を与えている。

ついでに、自分がどれだけ東南アジアに詳しいかを吹き込んでいるようだ。
「知り合いがいるので、ここまで入ってきた」と言っている。

確かにここは国際線の飛行機の待合室で、僕たちは出国審査も済ましている。
だから、ただバンダナ君の見送りのためだけに入ってこれるのはちょっと変だ。

でも、「知り合いがいる」のが本当かどうかはわからない。
外国では日本でたいしたことと思えることがあたり前で、あたり前のことが不可能だという事例は多いのだから。

彼と僕はさっきちらっと目が合った時、お互いに相手を旅行者として値踏みした。
世界中いたるところにうようよいる学生旅行者を除けば、日本人個人旅行者のタイプは限られている。

旅行者のタイプによって、興味の方向も、話題の内容も異なり、自分と話が合うかどうかも決定できる。
僕たち2人は「話が合わない」と、同じ結論に達したようだ。

旅行経験の少ない人がこの文章を読んでいることも考慮して、長期旅行者には常識のことをここで書いておこう。
実は、長期旅行者には2種類ある。

長期にいろいろな国の国境を移動し続ける旅行者と、ほとんど移動せずに長期に一か所に滞在する旅行者(?)だ。
もちろん本物の旅行者は移動するもので、これには金はもちろん、精神力も使命感も必要で、簡単にできることではない。

なぜなら、旅行を始めて3か月も連続して移動していると、体力的に持たなくなる。
そこで、ある場所にとどまることになる。

一つの場所にしばらくいると、その町にも慣れ、人間関係もできてしまい、居心地が良くなる。
そうなってしまうと、もう一度長期旅行に旅立つのはなかなか大変な決心が必要だ。

バンコクやロサンジェルス、ナイロビやイスタンブール、カルカッタやリマ、世界中にある旅行の起点となる町には、だから必ず日本人の集まる宿(日本人宿)がある。
そこには必ず「長期旅行に出たが長期滞在している」日本人がいるものだ。

まあ、最初にちょっとでも旅行をしていればまだいい。
中には日本を出て日本人宿に着いて、そのままずっとそこにいるなどという、旅行者とはとても言えない人たちも存在する。

しかしこういう旅行者は「旅行の話だけ」は腐るほど知っている。
通り過ぎていく旅行者から、噂話やエピソード、世界中のほかの日本人宿情報を毎日聞いているからだ。

個人で旅行を続ける旅行者よりも「旅行についての話」なら、彼らの方が詳しいかもしれない。
もちろん正確さについては大きな疑問符がつくのだが。

そのうちに初めて旅行に来た人達に情報を与え始める。
すると感謝される。

嬉しくなる。
もっと情報を与えたい。

しかし、旅行経験はないので自分の体験として与える情報はない。
また旅行経験がないので、情報が確かかどうか判断する能力がない。

そこで、長期滞在者は、また聞きや本で読んだりしたいいかげんな情報に、さらに尾ひれをつけて垂れ流してしまう。
そして不確かな情報が、ほぼ確実な旅行常識としてひとり歩きを始める。

例えば、イスタンブールの日本人宿「モーラ」では、僕が訪ねていった時(1988年)、「日本人はヨルダンへ陸路入国できない」という話で盛り上がっていたものだ。
僕は「できるんじゃないの」と言った。

「できないんですよ」と答える。
「でも、僕はヨルダンへ陸路で入って抜けてきたんだよ」

「それは何かの間違いですよ」
つまり、噂話がひとり歩きをはじめいる。

現実に生身の旅行者(僕)が、目の前で「僕はヨルダンに陸路入国した」と言うのを無視しようとするほど信頼性を持ってしまうのだ。
この中年男性(彼を「ジュライ男」と呼ぼう)の話を聞いていると、なかなかもっともらしいことを言っていた。

「ミャンマーもいいよ!ただミャンマーの問題点は、200ドルの強制両替があって、ホテル代はそれとは別にドルキャッシュ払いだ。両替した金の使いみちがないんだよ」

フンフン、なかなかもっともらしい。
僕が経験したニカラグアやシリアでも、両替とは別にホテル代はドルキャッシュ払いだったのでこれは納得できる話だと思った。

しかし、1994年の1月にミャンマーへ入った旅行者の話によると、この時期のミャンマー(ビルマ)ではホテル代は両替した金で払えるという。
つまり、ジュライ男は少なくとも最近の情報は持たないまま、旅行するためにかなり基本的な情報で嘘をついていることになる。

僕がこう言うと、「情況が変わったのかもしれないから、嘘というのは言い過ぎだ」と考える人もいるかもしれない。
でも、そうではない。

本当に自分で旅行していれば、情況が簡単に変化すると知っているはずだ。
だから、「僕が行ったころは」とか「今はどうかわからないが」とかの留保条件をつけるものなんだ。

僕は旅行について聞かれると、まず「よくわからない」と言う。
僕ほどの旅行をしていてこれだけのことが言えるのが、まあ本物というものなのだ。

以前ちょっと変わったところへ一度旅行したというだけで、自分(とその取り巻き連中)だけで思い上がっている旅行者はたくさんいる。
実は、インターネット(昔ならパソコン通信)や旅行サークル、マスコミなどの「旅行通」などは、話にもなんにもならないんだ。

しかし、こういうことをズバリと言ってしまうと、波風が立つ。
「世界旅行者」があんまり評判が良くない、という理由もそこにあるというわけなのね(笑)。

彼からできるだけの情報を手に入れようと考えて、質問してみた。
「ところで、プノンペンからアンコールワットへはやはり飛行機ですか?いくらかかるんでしょう。陸路で行くのは無理でしょうかね」とジュライ男に聞く。

「飛行機は往復で100ドルぐらい。陸路はほとんど無理だよ」という答だ。
「アンコールワットはどうですか?大きいですか?」

ジュライ男はぐっと詰まった。
「オレがプノンペンへ行った時はアンコールワットへ行けなかったんだ」と言う。

何だって!
彼はカンボジアへ行ったのにアンコールワットを見てないんだ。

ジュライ男は、気まずくなったのか、バンダナ君にプノンペンの細かい情報、品物の値段やなんか、を教え始めた。
これも意味のない話だ。

現地の情報、特に品物の値段なんかは、現地に行ってそこで調べればいいこと。
細かな情報になるほど実際の意味がない。

コーラやビールの値段なんか行けばわかる。
もちろんホテルの部屋代は、自分の目で部屋を見て、交渉した結果決まるものだ。

ジュライ男は最近、よほど話し相手がいなかったのだろう。
だって、最近まともな旅行者はホアランポーン鉄道駅近くの中国人街にあるジュライや楽宮といった古典的な地域から離れ初めているからだ。

ジュライホテルはほとんど全員が日本人旅行者というので、有名だった。
僕も世界一周旅行の途中で、ジュライホテルに泊まったことがあるよ(1990年)。

ジュライの前の屋台にいる日本人旅行者たちは、いくつかの仲間で固まって、いつもつるんで行動をしていた。
たまたまテーブルが一緒になって話を聞いていたことがある。

すると、「今度アフリカへ行く」「そろそろシンガポールへ行って」「中国とインドの国境は」という一般的な話だけ。
実際に「自分がどこどこへ行った時は」という話はなかった。

アフリカへ行くつもりだと話しているやつに、「僕はアフリカへいましたよ」と話を振った。
すると迷惑そうな顔をされて、話をそらされた。

後でいろいろと情報を手に入れてみると、ジュライに泊まっているのは、実はバンコクに長期滞在している連中が主で、実際の旅行者は少ないのだそうだ。
彼らが旅行情報を話すのは、ただ旅行者としての体面を保つだけで、もともと初めから移動する気持ちがないらしい。

だから現在の日本人旅行者の主流も、カオサンへと向かっている。
それがなぜわかるかというと、カオサンには日本人の女の旅行者が多いからだ。

女の旅行者が多ければ男の旅行者も集まる。
これは古今東西不滅の理論だね(笑)。

ジュライ男が「それではっ!」といなくなった。
バンダナ君はジュライ男といっしょに、バンコクの夜の街をうろうろしたようだ。

バンダナ君はまだ19歳の学生だから、日本の夜の街の経験も多くないだろう。
いやにバンダナ君が自信ありげなのだが、その理由が想像できた。

初めて旅行に出て、日本で経験できないことをちょっとやってしまった。
世界観ががらっと変わって、変な自信がついたんだね。

しかし、この程度の思いこみは、結局はハシカのようなもので、長続きはしない。
最初に旅に出て味わう、高揚感、全能感もいずれは消えてしまって、退屈な日常と化す。

本当に悟るためには、もっともっといろんな経験をして、自分の頭で考えなければいけない。
が、日本人はファッションで同じことを考える振りをしているだけなんだよなー(涙)。

僕はそんな、どうでもいいことを考えながら飛行機に乗り込んだようだ。
VJ114便、BRITISH AEROSPACE 146 の窓から、眼下に広がるジャングルを眺めていた。

http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080413