中年男性と一緒に、ドンムアン空港からタクシーに乗って、マレーシアホテルへ


【カオサンとチャクラポン通りの角のトゥクトゥク装飾ビル(2005)】

飛行機は期待に反して、スムーズに成田空港を飛び立ってしまった。
「期待に反して」という意味は、なにしろこのパキスタン航空は遅れやキャンセルが常識の航空会社だからだ。

今度の短い旅行でも、パキスタン航空が成田で飛ばなかったという人と、マニラで飛ばなかったという人の2人に出会ったほどだ。
途中寄港のマニラにも、残念ながら、時間通りに着いてしまった。

マニラでトランジットとなり、乗客はマニラ国際空港の待合室に出ることができる。
だいたいはここで狭いエコノミークラスの座席から開放されて、手足を伸ばして、トイレに行って、ほっと一息、ビールでも飲むわけだ。

だって、予想通りに機内ではアルコール類は出されなかったのだからね。
注意しておくが、アルコールを出さないからといって、機内でアルコールを飲むのが禁止なわけではない。

だから、自分で持ち込んで、氷と水を頼んで水割りを作ることも出来る(僕はミネラルウォーターも一緒に持っていた)。
マニラのトランジットで、それまで狭いエコノミークラスに縛りつけられていた旅行者諸君は、ビールでスカッとしたいものだと誰でもが思う。

しかし、ここに大きな落とし穴があることに、初めて気付く人がいる。
この世の中では、ビールを飲むためには、お金を払う必要があるのだ!

マニラのトランジットエリアでは、ビール一杯が一ドル。
ところが、ビールを買おうとして、ドルのトラベラーズチェックしか持ってない人たちは、お金が払えない。

指をくわえて他人がおいしそうにゴクゴクとビールを飲むのを眺めていなければならないのだ。
これはこの世の地獄だね…。

もちろん僕がドルの小額紙幣を持ってきているのは、こういう時のためだ。
女の子と旅行に出て、こんなところで手際よく、さっと一ドル札を取り出す。

すると、これは「ホントに頼りになる人ねっ♪」と評価がぐーんと高くなる。
女性が大好きなのは、道に迷わない頼りになる男性だ(急いでメモを取って!取って!)。

もちろん、僕はY嬢の分もさっと1ドル札を出して、ビールを買ってあげた。
Y嬢は「さすが世界旅行者のみど先生様…♪」と、完全な信頼の目で、僕をうっとりと見つめていたよ。 

機内のY嬢と僕の隣には、「ギリシア船に乗っていたが給料をもらえないので、日本で降りて働いていた」という、早い話が日本に不法滞在して就労していたパキスタン人が座っていた。
Y嬢は彼と話したそうなので、席を替わってあげた。

Y嬢は外人、特に白人が好きな女の子(実はこのあと、Y嬢はタイで黒人と出会って、突然「黒人大好き」になってしまったが)で、僕に次々と英語の質問をする。
ノートにいろいろと会話の例をメモしているのだ。

「西本さん、質問なんですがー、《もし暇ならば私と踊りに行きましょう!》、って英語だとこれでいいんですか?」
「Yさん、《もし暇ならば》ってところはよけいだよ。《踊りに行こうよ》だけでいいんじゃないのかな。そんなのが知りたいんだったら、他に《あなたはAIDSですか》とか《コンドームを着けないといやです》とか《私はバックが好き》ってやつも教えてあげようか?」

「いやだ〜、西本さん、私はそういうんじゃないんですから」

こういう知的で楽しいほのぼのとした会話をしているうちに、いつの間にか僕の腕時計で11時半、2時間の時差のあるバンコクでは夜の9時半に近づき、飛行機は降下を開始した。

眼下に光の海が広がる。
バンコクだ…。 

無事に着陸して、イミグレーションのカウンターに並ぶころにはまた佐藤氏と一緒になっていた。
結局佐藤氏とタクシーを相乗りして、マレーシアホテルエリアに行くことにした。

マレーシアホテル界隈ならば、僕も土地勘があるし、いざとなればマレーシアホテルに泊まればいいので、宿を捜すには問題がない。
どっと乗客が着いて入国カウンターは長蛇の列ができる。

こういう時に手早く入国管理をすませるには、日本人の多い列を見て、さっとその後ろに並ぶのがポイントだ。
普通の日本人は何の問題もなくさっさと通るからだ。

もう一つのポイントは、隣のカウンターが閉じているところを狙う。
急に混雑すると、その隣のカウンターで手続きを始めることが多いのだ。

今回も、「あのカウンターが開くよ」と予想していたとおりに、「クローズド」の標示板がさっと消えて、隣のカウンターで入国手続きが始まった。
佐藤氏とY嬢、それに僕の3人は急いで新しい列の先頭に並ぶ。

次は税関の検査だが、僕たちは3人ともチェックインした荷物はないので、荷物が出てくるのを待つことなくそのまま税関を通り過ぎようとした。
税関の申告書を提出しなければならないようだが、機内では配られなかった。

ということは日本と同様に、提出しなくてもよくなったのだろう。
佐藤氏は「ちょっと今夜の酒を買ってきますので」と出国ロビーにある免税品店へと走った。

彼を待つ間に、暇つぶしとY嬢に旅行を教えるために、税関前にあった申告書を書いてみた。
佐藤氏が戻り、3人で税関を通った。

Y嬢と僕が申告書を提出し、佐藤氏は提出しなかったが何も問題がなく、申告書の提出は不要であることが、ここで確認された。
ドンムアン空港の目だった特徴は、両替のブースがあちこちにいっぱいあるところだ。

その両替カウンターで、僕はトラベラーズチェックの100ドルを両替し、2458バーツを手にした。
両替率は1ドル当たり、 24.84バーツ(これからBと書く)なので手数料として26B引かれている。

大ざっぱに言うと、1B=4円だ(これは1994年であることに注意!)。
それとこの時期、1ドルは本当に100円というわかりやすいレートだったんだよ。

タイバーツを手にした後で、タクシー乗り場へと向かった。
なんでも、日本のガイドブックでは、バスに乗って市内へ行く方法が書いてあるのに、バス乗り場がどこか説明してないらしい。

バス乗り場がわからず、それで仕方なく空港リムジンを利用している旅行者もいると、今回の旅行で知った。
そこで詳しく書いておこう。

空港到着ロビーのリムジンカウンターを素通りして右側の出口から空港ビルの外に出てすぐに右に折れ、客待ち中の中型の日本製の空港タクシーの列を過ぎると、外の道路に開いたゲートが見えるので、タクシーの列を横切って外の道路に出る。

歩道に出て左に向かうと、そこにバス乗り場がある。
ここはバンコク行きのバス停なのだが、その手前にタクシーの列が見える。

佐藤氏はさすがバンコク生活が長かったらしく、すんなりタクシーに乗り込み、タイ語で運転手と何やらしゃべった。
このタクシーはメーター付きの「TAXI METER」と言うものだが、運転手はメーターを使わずに「200バーツでマレーシアホテル」と言っているらしい。

佐藤氏はそれを断り、メーターを倒させた。
「高速を使っていいですね」と佐藤氏が聞く。

僕はこういう時はお任せすることにしている。
「高速を使うと30バーツかかりますが」

タクシーはかなりのスピードで飛ばし、一度も渋滞にかかることなく、バンコク市内に入った。
マレーシアホテル近辺まで、空港からたった30分で着いてしまった。

ただ、これは奇跡に近いらしい。
同じ時刻に高速を使わなかった人がタクシーで1時間半かかった話をしてくれた。

料金はメーターが130Bと高速料が30Bの160B、一人50Bちょっとだ。
が、佐藤氏にはお世話になっているのでY嬢と僕で110B払うことにする。

佐藤氏はKTEトラベルの上にあるKTEゲストハウスが定宿だ。
以前泊まっていた宿らしく、マネージャーをたたき起こして、ドアを開けさせた。

Y嬢と僕が泊まるからというので、一応どの程度の部屋か見せてもらうことにする。
ただ、窓のない天井に裸電球一つの薄汚いツィンベッドの部屋で、シャワーもトイレも部屋の外にあって、240Bだと言う。

240Bと言えば約千円だ。
僕の長年の旅行経験から考えても、千円でこれはちょっとひどいな、と感じた。

Y嬢も、最初がこの部屋では安宿を使って旅行する気がなくなるだろう。
慣れるまでは徐々にレベルを下げていった方がいい。

旅慣れない人は、せっかく親切な旅行者と友達になったのだから、せっかくホテルまでつれてきてもらったのだから、世話になった人が勧めるホテルだから、と「このホテルはだめだ!」と決断するのに躊躇するかもしれない。

しかし、「世界旅行者」はそんなことは全く気にしない。
なにしろ、彼が他の旅行者と出会った時にまず考えることは、ただ一つ、「いつ別れるか」ということなのだから。

ちょうどいい、佐藤君とはここでお別れしよう。
僕も、今夜はゆっくりと風呂に浸かって汗を流して休みたい。

確かマレーシアホテルは3千円程度だったはずだ。
ビルマ(現在のミャンマー)へ行ったときに、泊まった時の記憶がある。

マレーシアホテルへ行こう!

佐藤氏に「それじゃあ、また!」と挨拶して、とっととホテルを出る。
もちろん、「また!」は2度とないだろうが。

バックパックを背負って夜の町をマレーシアホテルへと歩いた。
やはり夜は土地勘があるところがいい。

すぐにマレーシアホテルへ着いて、フロントで部屋を取る。
SUPERIOR TWINという大層な名前が付いていて、2人で一泊586Bぽっきりでっせ、あんさん。(2400円弱)

この部屋は下から2番目のランクだが、なぜこの部屋を取ったかというと、TVがあるとの話だったからだ(普通のツインだとTVはないそうだ)。
ボーイに案内させると、香港のスターチャンネルの映るTVがあって、大きなバスルームとエアコンが付いている。

昔に比べれば少し古ぼけてはいるが、広さと設備は日本のシティホテル並みの、なかなかまともなホテルだ。
まあ、この程度のホテルに泊まって、タクシーをがんがん使って旅行すれば、旅行は楽なのだが、面白くはない。

1984年にインド旅行の途中で泊まった時は、マレーシアホテルのレセプションの横に生演奏のバーがあった。
ロビーに降りてみると、どうも現在はなくなってしまったようだ。

こういうホテルの回りには、必ずホテルの客を狙ったバーがあるものだ。
ホテルのゲートを出て捜すと、すぐに見つかった。

「BLUE FOX」
なかなか洒落たバーで、がんがんと流行の音楽と有名なタイのMTVを流している。

冷えたCARLSBURG (ビール)の大瓶が70B、Y嬢がジントニックを取って50Bだ。
部屋に戻って、何となく寝つけず、成田で買った鮭ジャーキーをつまみにレミーマルタンを飲んでいたら、一本空いてしまった。

明日は、カオサンへ行かなければならない。
さて、本当にうまくカンボジアやベトナムへ行けるだろうか?

でも旅に出れば、どう動くかについて悩んではいけない。
なぜなら、それはただ神が決めることだからだ。

http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080408