「タイ・カンボジア・ベトナム駆け足旅行記(1994)」の現代的意味とは「旅は計画しない方がいい」です

【世界旅行者先生は銀座のバーで、ファンにおごってもらいながらも、旅行哲学をします】
「タイ・カンボジア・ベトナム駆け足旅行記(1994)」は1994年の、夏の終わりのたった10日間の旅行を書いたものです。
もちろん、現地の状況も、物価も、ビザの取り方も交通手段も、いま(2008年)とは違っています。

14年前の旅行をなぜいま書いたのか。
それには、ちゃんとした理由があるわけですね。

現在では、旅に出る人は、インターネットで旅行情報を調べ、旅行記を読み、旅行者に質問します。
旅先の宿も出来るだけ予約をし、現地の交通手段も予約をします。

現地情報はレストランから、観光の仕方から、服装から、気候から、調べます。
出発前には、ほとんど旅を終えたような感じになってます。

足りないのは、実際の旅行だけ。
だから、とにかく、あとはがんばって計画通りにやり遂げるだけです。

また、1人で寂しいことも考えて、誰か一緒に旅をする人をネットで捜したりします。
見つからない場合は、現地で一緒に食事をしてくれる人をネットで集めます。

そういう「情報を集めまくる、予約と計画だらけの旅行は、間違っている」というのが、僕の主張です。
旅に出れば、自然と現地で情報も集まり、友達も出来ます。

日本人外国人に限らず、たくさんの人と知り合います。
僕は正直、あんまりワイワイがやがやとやるのがイヤなので、旅先で知り合ったら別れることを考えます。

そのせいで、旅先で、いろんな人と次々に知り合っていきます。
知り合った人と別れて、また新しい人と知り合う(そして、また別れる)ことの繰り返しです。

その「旅先でどう情報を集めるか、旅先での人との付き合い方」のエッセンスが「駆け足旅行記」に詰まっています。
だから、いまの時代こそ、このたった10日間の旅行が発表される必要があったというわけです。

世界旅行者先生(2002)
1994年の旅で、僕は、ピチピチヤングギャルに誘われて、バンコク往復切符を買います。
成田で旅慣れた日本人旅行者を見つけて、情報を仕入れ、タクシーをワリカンにして、バンコクの町へ。

飛び込みで「マレーシアホテル」の部屋を取る。
翌日は、カオサンの「ニュージョーゲストハウス」へ移動。

女の子にバンコクの案内をして、航空券の予約の再確認をする。
カオサンで航空券の値段を調べて、プノンペン(カンボジア)への片道切符を購入します。

女の子にプーケットのアドバイスをして、あっさりと別れます。
続いて、ローカルバスでドンムアン空港へ行き、チェックインカウンターで日本人の学生2人と知り合います。

その学生の情報で、タクシーをシェアして、いまも有名な「キャピタルホテル」へ行って泊まります。
ベトナム大使館へ行って、ビザを取ろうとトライします(これは失敗)。

バイタクの運転手に教えられて、シェムリアップへの往復航空券を購入する。
シェムリアップでは「260(現在のチェンラゲストハウス)」に飛び込んで、部屋を取る。

車を3人で借り切って、アンコール遺跡群を見て回ります。
プノンペンへ戻り、1人で自転車に乗って、国立博物館や王宮へ。

空港で日本人と知り合い、4人でサイゴンからのタクシーをワリカンにする。
3人で「バンカンホテル」に行き、1人で中央郵便局などを見て回る。

次の日は、「サイゴンホテル」へ移動して、統一会堂や戦争犯罪博物館を見る。
夜は1人で、ドンコイ通りのバーに入る。

サイゴンからドンムアン空港へ着き、北バスターミナル経由でパタヤビーチ。
「アンザックホテル」に飛び込んで部屋を確保する。

次の日に、パタヤからコサメット(サメット島)へ移動。
歩いてバンガローを見つけ、泳いで泊まる。

サメットの帰りはフランス人と一緒。
東バスターミナルからカオサンへ戻り、オーストラリア人のカップルとタクシーをシェアして、空港へ。

空港で、フランスから長期旅行してきた若者と立ち話。
空港のチェックインカウンターでは、日本人旅行者諸君と、ワイワイ盛り上がる。

最後は、「飛行機に積み残された旅行者」という、おいしいネタもゲット。
これはすべて、旅に出る前には予定してなかったことでした。

だってこんな旅行を計画したところで、できるはずがないですから。
でも、現地で自分で動くと、なぜか内容充実の旅になり、次々と人と出会えるわけです。

そこで、世界旅行主義の基本がわかるわけです。
「旅は計画しない方がいい」ってね。

【旅行哲学】旅は計画しない方がいい。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080516#p1