1994年の夏の終わり、ドンムアン空港でパキスタン航空に乗りそこなった日本人の若者たち

【成田空港にて(2007)】
カオサンからオーストラリア人のカップルとタクシーを相乗りして、ドンムアン空港に着いたのが、9月2日午後8時。
パキスタン航空の成田行き「PK762」の出発が、翌朝の午前2時5分(成田着、午後12時40分)。

チェックインが2時間前の午前零時だが、もちろん僕はその前にチェックインするつもりだ。
ドンムアン空港には椅子がたくさんあるので、それまで本を読んで時間つぶしすればいい。

暇つぶしに空港の中をうろうろする。
空港というのは常に変化しているものだから、あちこち見て回ると、いろいろ勉強になるものなんだよ。

歩いていると、一緒のタクシーで来たフィリックとモニカに再会した。
フィリックの航空券は「ウェイティング」だとか。

「とにかくカウンターに最初に並ばなきゃ」と、彼らは早めにカウンターへ向かった。
次に出会ったのが、コサメットからのおんぼろバスで一緒だったフランス人だ。

まあ、コサメットからバンコクへ戻るという意味は、同じくタイの最終日だったということか。
ともに軽く話をして、「サヨナラ!」、「元気でね♪」を言う。

旅先の出会いも、別れも、あっさりしているのがキモチイイ。
だから、いい思い出だけが残るわけだね。

時間つぶしに、空港内のキオスクで、絵葉書や小さなみやげ物を見ていた。
同じく土産物を見ている、ちょっと旅に疲れた感じの(つまり服装が旅で古くなったという雰囲気の)日本人の若者を見つける。

面白そうなので話しかけてみる。
というのは、服装や表情からは長期旅行の形跡があるのだが、人格的にはまだ崩れていない、まともな人間だったからだ。

彼は、バンコクのジュライホテルに1か月滞在していたとか。
誰でも考えるように、バンコクで夜遊びをしていたのか、というと、そうではない。

彼は、もともとパリに8ヶ月いて、語学学校に通っていた。
そのあと、ヨーロッパを周遊する。

続いてイランをとばして、陸路でアジア横断をした。
インドからバンコクへ飛んで、それでジュライに何もしないで、1か月いたというわけだ。

僕は彼が旅に疲れて、バンコクのジュライで1か月過ごしたことを不思議に思わなかった。
居心地のいい部屋を見つけると、そこから動きたくないものだからね。

それに、僕自身1990年にジュライにいて、「ここでこのままのんびり過ごせたらいいなー」と思わないことはなかったんだ。
ただ僕は世界一周旅行のオワリで、お金も心細かったので、香港へ飛んだんだけどね。

彼はこれだけの長い旅をしたら、また旅に出たくなるだろう。
ヨーロッパとアジアはすでに旅をしているわけだから、僕はアメリカを勧めた。

そして、ロサンジェルスの有名な安宿「ホテル加宝」を教えてあげたよ。

彼と別れて、キオスクで絵葉書を3枚買った。
シンハビール(Signha Beer)が60B(240円)、ミネラルウォーターが15B(60円)を買う。

やはり空港の物価は高いね。
椅子に座って、テレビモニターを見ていたら、僕の乗るパキスタン航空/PIA(PK)のチェックインカウンターが「ROW5」と出た。

カウンター番号が出ないので、インフォメーションで聞いたら、N、P、Qとのことだ。
どうせ僕は本を読んでいるだけなのだから、Qの先頭に立って本を読んでいた。

僕がチェックインカウンター前に立っていると、日本人の若者がどんどん集まってくる。
話をすると、なんと彼らは、ほとんどまともな予約が入ってないのだそうだ。

これにも、いろんな種類がある。
「切符はあるが全く予約が入ってない人」、「予約を入れようとして入らず、ウェイティングリストに名前がある人」、「予約は入っていたが、予約の再確認をしなかった人」なんかね。

これはこれは面白いと話を聞いて、ツッコミを入れて、盛り上げる。
彼らはやはり、インド帰りが多いようだ。

読者も覚えていると思うが(ま、覚えてないでしょうけれどね)、僕はY嬢と一緒にバンコクのパキスタン航空のオフィスへ行った。
その時に僕は帰りのフライトの予約の再確認をしている。

僕はパキスタン航空のカウンターで、「バンコクから成田のフライトは9月一杯、全席満員」と、ハッキリ聞いている。
ただもちろん、予約をしていても、予約の再確認をしていても、やってこない人はいる。

やってこない人が何人なのか、という問題だけどね。
「乗れるとしても、この中のほんの数人かな」と、僕の心の底では思う。

でも、このフライトに乗れなければ、彼らはまた次のフライトに並ばなければならないだろう。
しかしだよ、学生ならば、授業も始まるわけだから、何日もバンコクで粘るわけには行かない。

結局は、お金を払って、新しく切符を買って、日本へ戻ることにならざるを得ない。
だから、何番目に並ぶかというのは、数万円の損失ばかりか、学業にも大きく影響を与えるんだ(履修届けなんかで)。

ひいては人生そのものもガラッと変わってしまうかもしれない。
だから、「帰りの予約の入ってない航空券は鼻紙だ」と、僕は何度も言ってるんだけどね。

でもまあ、旅では何も確かなことはない。
だから、案外と空いていて、ガラガラで、予約をしてなくても乗れるかもしれない(うーん)。

僕は予約をしてない若者たちに、「まあ何とかなると思うよ、人生適当でいいんだ」と慰めていた。
係員がやってきて、Qのところに「First/Executive」という看板をつける。

そこでエコノミーのNへ移動したら、2番目になった(涙)。
「名前がウェイティングリストにある」という学生がPの先頭になった。

僕はもちろん、予約もあり、予約の再確認もしていて、早めにチェックインするのだから、全く問題はない。
この時期は、窓際の席が好きだったので、希望通り「7K」という窓際の席をゲットした。

出国審査をあっさりと済ませ、免税店で「Glenfiddich」を1本買った。
これは、アルコールの出ないパキスタン航空の機内で寝酒に飲むためだ。

搭乗を待っていると、チェックインカウンターでシタールを持っていた男が、話しかけてきた。
チェックインカウンターではみんなで元気付けあって、ある種の仲間意識が芽生えていたんだ。

彼によると、あの集団の中で一番目立っていた「インド帰りの白い服の男」が乗れなかったそうだ。
白い服の男は、「僕はインドで鍛えてきましたからねー、飛行機に乗るくらい大丈夫ですよ!」と豪語していたのだが…。

結局、チェックインカウンターに集まっていた集団の中から、15人ほど置き去りにされたとか。
シタール男は、デリーのパキスタン航空のオフィスでリコンファームをしたそうだ。

彼は「オッケー」と言われて、航空券に「オッケー」と書いてもらった。
ところが、他の旅行者は、現地で「オッケー」と言われただけ。

なにも証拠がないので、そういう人は全員置き去りにされたとか。
うーん、うれしい♪

だって、これで、「帰りの予約をしなかったために、夏の終わりの帰りのフライトに乗り遅れる人がいる」という旅行ネタが出来たからね。
海外旅行ネタとはね、いくらもっともらしくても、「頭で考えてはダメ」なんだよ(笑)。

海外旅行ではとにかく思いがけないことが起きるのだから、理屈ではなくて、自分で体験するか、自分の目で見てなければいけない。
いくら他人から聞いたもっともらしい話を集めても、それは旅行話としてはダメダメなんだよなー(笑)。

自分で体験した話か、聞いた話か、頭ででっち上げた話か。
それは、僕みたいな人間が読めばすぐにわかるんだ。

僕は慎重な人間だから、もちろん飛行機に乗り遅れたりすることはない。
予約の再確認を忘れることもなく、予約をしないで飛行機に乗ろうなんて思わない。

でも、目の前で話をしていた元気な若者たちが十数人も、飛行機の乗れずに置き去りにされた。
それをハッキリと体験したわけだよ。

これならば、僕の旅行ネタとしては使えるわけだ。
でも、僕の話を読んで、他のライターが書いたらダメなんだよ。

それは、「ただの聞き書き」なんだからね(笑)。
日本の旅行本の致命的な欠点はだね、本当に旅行した人間が書いてないってことなんだよ(涙)。
だから、日本の旅行本は、いつまでも御伽話か、ほら話になってしまうんだよなー(笑)。
機内へ入ると、バンコクで日本人旅行者の積み残しが出る理由が、はっきりと理解できた。

トランジットのパキスタン人の出稼ぎがぞろぞろと乗り込んできたんだ。
パキスタン航空機はジャンボなんだけれども、バンコクで乗れる人数自体が本当に少なかったんだね。

【旅行哲学】帰りの予約の入ってない航空券はちり紙以下。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080513