タンソンニャット(タンソニュット)空港で知り合った日本人で協力して、一緒のタクシーをシェアしてサイゴンの町へ

【サイゴン中央郵便局(2002)】
1994年8月29日午前5時、プノンペンのキャピタルホテル215室で目覚める。
この時期のキャピタルホテルは、朝早く京劇風の音楽が鳴っていたものだが、今日はそれがなかった。

バックパックに荷物をまとめる。
レストランへ降りていって、ビーフヌードル(1500リエル)を食べる。

サイゴンへのフライトは、午前8時半発、ベトナム航空810便だ。
切符には「空港へ1時間前に来い」と書いてある。

しかし、世界旅行者はとにかく心配性だ。
というか、ほとんどすべてのものを信用していない。

プノンペンの旅行社も、カンボジアも、ベトナム航空も、航空券に書いてあることも、なんにも信じてない。
一応国際線でもあるし、2時間前には空港へ行くことにした。

これは、世界旅行主義の重要な法則の一つ「空港へ行くのは早ければ早いほどいい」を使ったわけだ。
キャピタルレストランの前にいたバイクに乗って空港へ向かう(1ドル)。

これまで一緒に行動していたハッキリくんとは、別行動を取った。
またもちろん、バンコクからシェムリアップと一緒に旅をしてきたバンダナ君とはプノンペンでお別れだ。

バンダナ君は、これからバンコクへ戻るからね。
僕が1人でバイクに乗って空港へ向かった理由はもう一つあった。

いままでプノンペンの空港とキャピタルホテルの間はタクシーで移動していた。
僕は常に新しい経験を求めているので、バイクで行ったらどうなるか、やってみたかったんだ。

それにだよ、タクシーで移動すれば空港まで4ドルだ。
2人でシェアしても一人当たり2ドル。

だったら、バイタクの方が安いからね(笑)。
バックパックを背負って、バイクにまたがり、運転手にしがみつく。

走り出すと、とても気持ちよかった。
プノンペンの朝の風が当たるしね。

30分もかからず、多分20分程度で、午前6時40分には空港(Pochentong International Airport)へ着いてしまう。
もちろん、僕が一番乗りだ。

乗客が本格的に集まったのは、フライトの30分前のぎりぎりになってから。
これは国際線としては、ちょっと問題だと思ったよ。

ただこれは1994年の、ほとんど観光客がいなかった時代の話です。
いまは観光客も多いだろうして、セキュリティも厳しいでしょう。

時間つぶしに、ノートに出来事をメモしながら、旅行のことをいろいろ考えてみた。
バンコクのカオサン通りで、「バンコク→プノンペン→サイゴン→バンコク」が8300バーツだった。

この時期1バーツが4円と考えると、33200円だ。
バンコクでプノンペンまで買うと2600バーツ(1万4百円)、プノンペンで残りのルートを買ったら185ドル。

ノートを見ると、このとき、1ドルは100円で計算していた。
過去のレートを調べてみたら、実際、この時期1ドルは100円ちょっとだったよ。

すると、185ドルは1万8千5百円。
合計すると、現地で買った場合が2万8千9百円。

これはバンコクで全ルートを買った場合よりも4千円安かったことになる。
これもまた、世界旅行主義の「現地に行けば安い切符があるもの」という法則を見事に証明しているわけだ。

待合室でノートを整理して日記を書いていたら、ハッキリくんもバイタクでやってきた。
チェックイン作業が始まる。

このときは国際線のせいか、8ドル取られた(国内線は4ドルだった)。
もちろんこれは1994年の話で、現在はもっと空港税が高くなってるらしいです。

僕もハッキリくんが嫌いになったというわけではない。
ただ、いつも一緒にいて、ちょっと疲れてしまっただけだ。

昨日の午後と今朝、つまり丸1日近く会ってないと、また仲良くなれる。
人間関係とは、べたべたしないのが一番なんだよね。

空港の待合室で、他の日本人2人と出会う。
1人は50歳代の中年のおじさん。

彼は日本からタイ航空の往復切符でやってきた。
ベトナムのビザは日本の旅行代理店で、かなりの料金(数万円)を払って入手したそうだ。

アンコールワットは危険だという話を聞いたので、行かなかったとのこと。
ただ僕が見ると、この中年男性は、観光とは別に、他に目的がありそうな雰囲気だったね。

あと1人が日本人の若者。
彼は東京在住で、生活圏が僕とかぶっていた。

雑談しているうちに、同じ図書館に通っているとわかったので、深く話すことはやめた。
かわいい女の子ならば別だが、特に興味のない人に、個人情報を与えすぎても面倒だからね。

プノンペンからサイゴンへのフライトは、「Tupolev Tu-134B3」だった。
午前8時半に離陸して、午前9時にはサイゴンへ到着。

実際の飛行時間はたった25分だった。
サイゴン(ホーチミンシティ)のタンソニュット国際空港へ到着する。

この時期、ベトナムの情報はほとんどなかった。
とにかく安全が一番。

日本人はみんな一緒に、固まって町へ出ようという話になる。
一緒になった日本人の中年男性は、宿を決めている。

彼はホンセンホテルへ行くという。
ホンセンホテル(Huong Sen Hotel)はサイゴンの繁華街、ドンコイ通りに面した中級ホテルだ。

中年のおじさんを除いた僕たち若者3人は、一緒のホテルへ行こうかという話になる。
誰が言い出したのだろうか(僕かな?)、なぜか「バンカンホテル」という名前が出てくる。

空港から町まで、タクシーは7ドルが相場だとか。
4人でタクシーに乗って、ホンセンホテルで中年男性を一人降ろす。

そして、バンカンホテルまで行く。
これを、プラス1ドルの8ドルにする。

4人で8ドルなら、4人でワリカンにしやすいからね。
ベトナム戦争のドキュメンタリーなどで映像としてはよく知っているサイゴン。

はたして、1994年はどういう状況なのでしょう。

【旅行哲学】旅先で出会う人との情報の交換、協力は大切ですね。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080428