《実は、世界旅行者はインターネット(パソ通)以前から、アサヒジャーナル、週刊文春で、とっくに有名人だったんだよ》

この週の新鑑真号は大阪港国際フェリーターミナルから正午に出港することになっている。
フェリーターミナルへの集合は午前10時。
だから、新大阪駅に午前8時半に到着したからと、大阪城見物をしたり、UFJでスヌーピーと遊んだりなどという楽しい時間は取れない。
ちなみにロサンジェルスではスヌーピーがいるのはナッツベリーファームです。
ロサンジェルスのユニバーサルスタジオに行ってもスヌーピーには会えまえせんよ♪。
複雑怪奇な大阪の地下鉄網を乗り継いで、大阪港国際フェリーターミナルの近くにあるというコスモスクエア駅へと進撃しなければならない。
その大阪の地下鉄に乗るために新大阪駅から下りのエスカレーターを利用した。
その時に、大阪ではエスカレーターの右側に人が立ち、左側はエスカレーターを歩く人のために空けてあるのに気がついた。
それに対して、現在の東京では、エスカレーターの左側に人が立ち、右側を人が歩いているよね。
以前は、エスカレーターを歩くこと自体が下品なことで、完全なマナー違反だった。
現在でも東京の都営地下鉄では「エスカレーターを歩かないように」との注意書きが出ている。
実際、東京の地下鉄の駅では、人が多いときなど、エスカレーターを歩きたくない人たちが、片側の左側に長い列を作って並んでいる。
本当は歩きたくもないのに、エスカレーターの右側に並んだばかりに、無理やり歩かされてしまう人も多い。
無理にエスカレーターを歩いた結果、身体を壊してしまって、つらくて涙ぐんでいる人も多いよね(涙)。
エスカレーターで歩くのは間違ったことだった。
いつの間にか、エスカレーターの片方を空けて、誰も歩きたくないのに歩かなければいけない異常な状況が一般化してしまっている。
変だよね、いったいなぜなんだろう?
ところで、世界旅行者は世界中のほとんどすべてのことを説明できる。
この東京の地下鉄の左側通行について、実は、僕ほど語れる人間はいないんだよ(笑)。
みんなが迷惑しているこのエスカレーターを歩く馬鹿な習慣は、実は、馬鹿な大東亜戦争と同じく、あの朝日新聞が推進したものだ。
しかも、その音頭を取ったのは、現在では「噂の真相」で「ホンカツ氏」とからかわれている、本多勝一という元朝日新聞記者だった。
今はなき「朝日ジャーナル」という雑誌で、そのホンカツ氏は「世界中でエスカレーターは片側に立つのがルールである」という、誰も聞いたことも見たこともない、奇妙な論理を展開した。
さて、世界旅行者みどりのくつした(みどくつさん/みど先生)は、そのころ世界一周旅行から帰ってきたばかりだった。
東京都ユースホステル協会での中南米旅行講演、世界旅行講演などで名前を売りだしていた。
また、旅先から寄稿したJTBの「自遊自在」というガイドブックの編集者と、旅行本の出版について相談をしたりしていた。
その流れで、「朝日ジャーナル」とも、僕の本を出版しないかと、相談を持ちかけていたわけだね。
その相談の中で、たまたま「世界中でエスカレーターの片側に立つというルールはない」と指摘したら、ある編集者が「是非、読者の声として取り上げたい」という話になって、それを許可した。
また、「西本さんのような本物の世界旅行者さんには、こんど朝日ジャーナルの座談会に出ていただいて、売り出しましょう!」という話になった。
まあそのころでも、旅行者の中でまともな学歴を持つ人間はほとんどいなかった。
僕は京都大学という一流国立大学を卒業していて、海外旅行経験が多いのだから、誰が考えても当然の話だよね。
ところが、ホンカツ氏は、読者の投稿という形で朝日ジャーナルに掲載された「世界中にエスカレーターの片側に立つというルールは存在しない」という指摘に怒ったらしい。
朝日ジャーナルの編集部の副編集長を通して、世界旅行者に謝罪要求をしてきたってわけだ。
しかしもちろん、世界旅行者は、有名新聞社の、有名雑誌の編集部の「副編集長」を通して、有名ジャーナリストから文句をつけられたくらいで、簡単に謝罪なんかしないものなんだよね。
相手はしょせんサラリーマンなんだからさ(笑)。
これから後の話を、さらに詳細に面白おかしく書くと、また変な人たちから謝罪要求をされたりするかもしれない。
面倒なので、書かないが、これでも僕は大きく名前を売った。
この関連で、週刊文春は4ページにわたって僕の特集記事を組んで、写真入りで「世界旅行家」と紹介した
また、その関連というのではないが、ロス暴動のときには、ロスから週刊文春の取材のお手伝いをして、誌面に名前を載せたこともある。
朝日ジャーナルは、僕の名前を載せた後、あっという間に廃刊してしまった。
そのせいか、一部では「朝日ジャーナルを潰したのは世界旅行者だ」という噂が流れているようだ。
僕の立場としては、それが正しいかどうか、わかりません。
ただ、僕がそのころの編集長、下村満子女史に内容証明郵便を送付した後に突然廃刊になったのは、確かなことだけどね(笑)。
なぜか朝日ジャーナルが潰れてしまったので、朝日ジャーナルの世界旅行座談会によって僕を売り出す計画は、潰れてしまったわけだね。
JTBの方もファンになってくれた編集者はいたのだが、その上司が僕を嫌ったらしく、旅行本の出版話は立ち消えになった。
もちろん、僕は過去のいきさつになんか全くとらわれないあっさりした人間だ。
今からでも朝日新聞が僕の本を出したいなら、断ることはないよ。
また、JTBから話を持ち込まれても気にしない。
びくびくせずに、申し込んで欲しいものだよね。
そうあれは、1992年だから、もう10年も前のことになるよなー。
世界旅行者と敵対した朝日新聞は、どんどん読者をなくして行って、あと5年もしたら存在を止めているかもしれない。
世界旅行者は、ますます名前を売っている。
結局、生き残るのは本物だけなんだよなー」という感慨が、大阪の地下鉄のエスカレーターを見た、その一瞬に湧いてきたね。
でもまあ、そのころ朝日ジャーナルで僕を売り出していたとしても、JTBから旅行本を出版していたとしてもダメだっただろう。
今のような本当の本物にはなっていなかっただろう、と思い返す。
そのころも今も、世界一周してきた程度の旅行者は山ほどいる。
その程度で一人前になったと勘違いして、旅行記を出版しようなどという身の程知らずのことを考える人間は引きも切らない。
最近は納まったようだが、青少年向けのヌード雑誌「週刊プレイボーイ」などでは、ネタがなくなると決まって、暇ネタとして、底の浅い海外旅行関連の特集を組んだりしたものだ。
その中には、「週プレが世界旅行者を認定する」などという、いかにも高卒や三流私大卒の安ライターが思いつきそうな身の程知らずの企画があった。
僕はわざわざ手紙を書いて、「世界旅行者を認定するのは、世界旅行者協会だけだ。旅行もしたことのない安ライターが、勘違いするな!」と、やさしく指摘してあげたこともあったっけ…。
僕自身、そのころは、(もちろんそれ以前にも長期旅行はしていたが)ちょっと2年8ヶ月間世界5大陸を連続して個人旅行をした後に、さらにロスに6ヶ月滞在していた程度で、まだまだ本当に本格的な旅行者ではなかった。
僕はその後、さらに二回目の世界一周をやったばかりか、アフリカ縦断、アジア横断、世界三大滝に加えてエンゼルフォールズまでにも行った。
そして、ほとんど完璧な世界旅行者としての地位を確立したわけだ。
しかも僕は、2001年の西アフリカ旅行によって、アフリカの東、西、南、北すべてを個人旅行してしまったので、今回は、日本人旅行者の定番、とてもお手軽な、船による上海旅行までやってしまおうというわけだ。
世界旅行者の考えること、することは、すべて神に導かれている。
だから、この新鑑真号での上海行きでも、なにか思いがけない、すごいことが起きるはずだし、そして起きるのだった。
が、どのように起きるかは、全部読まないとわからないよ(笑)。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080530#p3
(「世界旅行者・海外説教旅」014)