『新鑑真号と燕京号を比較し、中国人妻との出会いから、日本人と日本文化を考える始める』

新鑑真号の受付から階段で上がったスペースに、ちょっとしたテーブルと椅子があった。
僕はそこに座って、窓の外の出港風景を眺めている。
前回、燕京号に乗ったときは、初めて船で中国・天津に向かい、それからシルクロードを通ってアジアを横断する長い旅への出発だった。
その感動があったので、デッキに出て、出港風景を飽きずに眺めていたものだ。
今回はどうなるかわからないが、最短のコースだと、上海へ船で行って、バンドをあるいて、それだけで帰ってくる。
船に乗って上海へ行くこと自体が旅の目的なので、船が岸壁を離れることにそれほどの感動はない。
新鑑真号と燕京号を比較すると、共に1万トンを越えている。
船室の配置を見ても、ほとんど同じといって、言い過ぎではない。
もちろん、二等洋室の部屋のベッドの数などは違うけれど、ま全体的な印象って言うんでしょうか、それなんだけどさ。
ただ、新鑑真には図書室がないのがちょっと欠点だ。
ロビーにあるテーブルも少ないので、旅人同士の出会いもないと思われる。
部屋にはベッドしかないし、これは昼間の居場所がないよ、困ったなー、と小さく舌打ちをする。
海外旅行とはいっても、すべてがすべて楽しく面白いことばかりではなく、うんざりしたり、ガッカリしたりすることが多いわけだ。
日常生活と違うのは、それがただ目の前を次々と通り過ぎていくから、気にならないってことかな。
日本の日常生活では悪いことが起きれば、それがそこに留まって、だんだん積み重なっていく。
海外旅行では、その場限りで過ぎ去ってしまう。
結局、苦しいこと悪いことも、海外旅行では通り過ぎていく。
過ぎ去ってしまったものは、最終的には「いい想い出」になるわけだ。
と思いながら、船内の自動販売機で、缶ビールを購入して、飲みはじめる。
国際フェリーの中では、税金の関係だろう、日本のビールが日本国内より安く売られている。
これはいいよねー。
というふうに、ほんの小さなことに喜びを見出すと、とても幸せになれる。
小さな幸せに酔っていると、「すみません、いいですかー」と、声をかけられる。
子どもを抱いた30ちょっとすぎの女性で、僕のテーブルの向かい側に座る許可を得たい。
もちろん「どーぞ、どーぞ」と答える。
旅に出るとだれかれかまわず話をしても変ではないので、「上海への旅行ですか?」と、声をかける。
すると彼女は中国人で、日本の男性と結婚して子どもを連れての中国への里帰りだそうだ。
「中国も最近は発展して、上海なんかは、日本以上の大都会だそうですね」と、とにかくほめる。
でも、彼女の実家は、豊かではないそうだ。
「日本では布団は買い換えるけれど、中国では一つの布団を一生使います」とのこと。
「夫はまじめな人で、夜遅くまで働いて、働いてばかりいます」と、悲しそうな顔をする。
うーん、中国でも東南アジアでも、金銭的には貧しいかもしれないが、結構気楽な生活だ。
僕が前回訪れた四川省の省都、成都を歩いていたら、中国人のお姉さんたちが道端で麻雀をやっていたのにぶつかった。
そういえば、スペインではお年寄りたちが、公園の木の陰で、ドミノをやっていたのを見たっけ。
日本には金はあるが、庶民の幸せな生活はないよね。
お金があっても、その使い道がわからないので、酒を飲んで女を買って、ゴルフをしてしまう。
日本という国は、幸せのないところだね。
幸せになる方法を忘れてしまっているんだ。
日本人が幸せでないのは、結局、日本人が、日本とはどういう国か、日本人はどうあるのが幸せなのか、を考えないこと。
ただひたすらお金を稼ぐことに狂奔してきたからだ。
そしてせっかくバブルが崩壊したのに、まだ、お金を稼ぐにはどうしたらいいかをみんなで考えている。
馬鹿だね。
バブルのときに、「お金があっても、お金を使う思想がなければ、意味がない」とわかったはずなのに…。
つまり、日本人は、自分からは何も考えないんだよ。
そして、時々考えた振りはするが、本当は自分で全く考えないという性質、これがまた日本人そのものなんだよ。
でも、日本人が何も考えなくても、日本社会を見れば、日本人の本質は誰にでも簡単に理解できる。
日本社会を見るよりももっと簡単なのは、海外旅行をしている日本人旅行者を見ることだね。
注:あとでわかったんですが、新鑑真号はレストランを開放していたので、人と出会うスペースが十分にありました♪
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20090228
(「世界旅行者・海外説教旅」016)