『日本人旅行者・タイプ3(T−3 カメラを持つ旅行者・カメラマン)との出会い』

船は快晴の空の下、大阪港を出て、南へ南へとすすむ。
1999年のアジア横断のときの燕京号は、瀬戸内海を横切って、関門海峡を通った(また、そのために本四架橋を全部見れるので、敢て燕京号を選んだのだが)。
今回の新鑑真号は淡路島との間の紀淡海峡を通過する。
さらに、紀伊水道を通って、太平洋へ抜けるってわけだ。
紀伊水道といえば思い出すのが、そうそう、僕が京大の学生だった何年目かの夏だ。
京都から九州へ自転車で帰省したとき、この海をフェリーで徳島へ渡ったことがあった。
その日の朝に思いついて、計画も何もなしで京都の下宿を自転車で出て、走りに走って、どこかの港からフェリーに乗って、その夜に徳島ユースへ到着。
今考えれば、無茶な旅行をしていたよね。
あのころは、若かったが、あっという間に、歳を取ってしまった。
人生なんて、ホント短いものだ(涙)。
だから、人生の先輩として、この文章を読んでいる若い人、特に若い女の子に人生のアドバイスをしておくね。
とにかく、若い女の子は、若いうちに、いろんな人とたくさん恋愛をしておいたほうがいいよ。
僕は、船のデッキに出て、海風を受けながら、進行方向右側に見える陸地、すなわち四国を見る。
愛用のカメラ、コンタックスT−2をもっているが、自分では写真を取らない。
その理由をここで書いて置くね。
【人類が旅の写真を取る理由】
日本人観光客の典型として、「眼鏡をかけて、出っ歯で、肩からカメラをさげている」というステレオタイプのイメージがあった(いまもある)。
これでもわかるように、日本人はとにかくカメラが好きだ。
海外旅行に出ると、片っ端から写真を取りたがる。
しかし、もちろん、旅の写真は写真を取っただけでは、完結しない。
海外旅行の写真を他人に見せびらかさなければならない。
そして、「わーキレイねー。私もこんなところに行きたかったわ、よかったわねー。うらやましいわー」と言わせて、やっと一つの決着が付くわけだ。
特に重要なのが、最後の「うらやましーわー」という一言だ。
結局、人間の行動原理は、「他人より自分が優れていると確認する、他人より自分がエライことを見せびらかすこと」(「世界旅行主義」より)なのだからね。
ところが、最近は誰でも海外旅行に出ていて、雑誌やテレビで海外旅行情報を入手していて、海外旅行のウンチクを持っている。
下手に写真を見せると、「あー、私も行った、行った。この奥に、とてもステキなレストランがあるんだけれど、あなた行かなかったの?それはダメよ。そこに行かないと意味がないわ。海外旅行に出て、損したわね!」と、バカにされたりする。
せっかく金を使って、時間を使って、海外旅行に出て写真を取ったのに、バカにされるのでは、こんな損な話はない。
写真をバカにされた上に、海外旅行の自慢ができないなら、自殺した方がいいくらいだ。
だから、現代では、海外旅行に出て、気楽に写真を取っても、それを見せびらかす行為は、非常に危険だ。
誰にも見せられない写真なんて、ヌードやエッチ写真以外、持ってても邪魔になるだけで、意味ないよね(ふむふむ)。
旅の写真を他人に見せることは危険だから、旅慣れてくると、海外旅行の写真など取らないのが普通になっている。
それに、きれいな景色の場所の写真を取っても、写真にすると、その感動の3パーセントしか残らない。
自分がその場所にいるときには、その季節の気候の天候の中にいて、気温、湿度、臭い、日差しをそのまま感じている。
写真にしたら、その記憶はボロボロに壊れてしまう。
だから、海外で感動した場所のことは、写真を取らないほうがいい。
記憶の中だけに留めておく方がいいんだよ。
記憶のいいところは、遠くなればなるほど、自動的にきれいな思い出に変化させてくれることだしね。
例えば、僕が結婚していたころを思い出すと、別れた嫁さんとはけんかばかりしていた。
それも今では、いいところ、仲のよかったころのこと、楽しかったことだけしか、思い出さなくなってしまっている。
ここで例えば、目を吊り上げて口論している、つかみあって喧嘩しているときの写真が残っていたらどうだろう(ま、そんな写真なんか撮らないだろうけどね)。
喧嘩している写真があったら、また、そのときの怒り、苦しいつらい想い出が呼び起こされてしまうだろう。
だから、海外旅行の写真も、結婚相手の写真も、また、子どもの写真なんかも残さない方がいいんだよ。
どうせ、何十年かして、みんな死んでしまったら、誰かが捨ててしまうんだからさ。
すべての経験は、想い出のなかにインプットしておくのがいい。
死ぬまで自分だけで楽しめるのだからね(ま、ボケてしまうまでの話だけどさ)。
この論理で、一般の人が海外旅行の写真を取るのは大間違いだ、と結論が出たわけだ。
【世界旅行者がカメラを持つ理由】
という理由で、世界旅行者は伝説の世界一周旅行のときも、写真は取らなかった。
これは、正直、助かったと思うよ。
僕は2年8ヶ月連続して、ほとんど移動の連続で世界一周をしたのだから、写真を取っていたら、莫大な量になっていただろう。
で、そんな写真を現像して、アルバムにしたところで、誰も興味を持たず、何の役にも立たないばかりか、保存するだけ面倒なのだから、大損したってことになるよね。
実際、この最初の世界一周旅行のときの写真としては、エジプトのアスワンで出会った人妻さんが撮ってくれた、貸し自転車でルクソールの渡し舟に乗るときの写真しかないんだから。
でも、それで十分なのだから、それ以上の写真は無意味だったってことね。
今現在、僕が旅に出て写真を取るのは、単に自分の本を出すときに使えるからって、それだけの理由なんだ。
となると、当然、自分が画面に入ってないと、何の意味もない。
ただきれいなだけの写真ならば、どこかにあるんだからね。
僕がコンタックスを持って、というか、コンタックスを専用のバッグに入れて、ジーンズのベルトに付けているのは、自分の手で写真を撮るためではなくて、誰か適当な人を見つけて、「自分の写真を撮ってもらうため」なんだよね。
【日本人旅行者・タイプ3(T−3)との出会い】
というわけで、僕は、「誰か写真を撮るのを頼めそうなやつはいないかなー」と、甲板をうろうろしていた。
すると、突然声がかかる。
「すみません、写真を取らせてもらえますか?」
なんだって! 
写真を取ってくれる人間を捜して、うろついていたら、写真を撮りたいという人間が出現したよっ!
正直、僕も、もう伝説になってしまったパソコン通信の時代に名前を轟かせて以来、引き続き、インターネットの初期から発展期の現在まで、常に時代の先端にいて、名前を売り続けていた。
そればかりか、本も三冊出して、そのどれもが驚異的な売行きを示しているという、まあ、時代の寵児、チョー有名人だよ。
「まいったなー、僕が世界旅行者先生様だとわかって、写真を撮ろうというのか…」と、直感する。
それならいくらか金をもらわないといけないな、と思ったが、声をかけた人間の顔を見たらそれが間違いだとわかった。
彼は、日本人旅行者の中の典型的なタイプ分類の「T−3」だったからだ。
さて、「T−3」とはなんだろう?
それは、明日のお楽しみ♪
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20090301
(「世界旅行者・海外説教旅」017)