第18話 『日本人旅行者・T−3、カメラマンを論じて、日本人の本質に迫る』

海外旅行に出て、海外の景色がきれいだった、海外で出会った人が親切だった、海外の食べ物がおいしかった。
海外でやったセックスが興奮した、まあ、こんなことを言っているようでは、まだまだ旅行の素人だ。
海外が日本とは違っている、と考えるのは、海外旅行に出始めたばかりの何もわからない時代のころだけ。
海外旅行を繰り返すと、「海外も日本も本質的には変わらないね」と、正しく理解できる。
こうなって、海外旅行も、世の中も、少しわかったレベルだ。
しかし、僕くらいになると、海外に出るのは、海外を見るためではない。
海外で日本と日本人を考えるために、海外に出るわけだよ。
というのは、日本人が日本にいると、日本にピッタリ当てはまっていて、本質が見えないからね。
海外という日本とは異なった場所に日本人を置いたとき、日本人がくっきりと見え出すわけなんだ。
ま、例えば、銀座の高級クラブのホステスさんと、会社の交際費を使って、お店でいくら話をしても、ホステスさんの本性はわからない。
しかし、高級クラブのホステスさんと、新橋養老の滝で安い酒を飲みながらワリカンで話をすれば、ホステスさんではない素顔の女性として理解できるようなものだ。
正直な話、これが僕のやってきたことだからね。
僕が旅に出るのは、日本と日本人を考えるためで、だから、書くものも、一般の旅行記とは大きく違うんだよ。
「世界旅行者さんのお書きになるものには、つねに日本人とはなにか、日本とはなにか、されにそれを超えて、人間とは、人生とはという哲学がありますね!」とよく言われる。
というわけで、もう何十年も日本と日本人を考え続けてきているので、僕には日本人を分類している。
そして今目の前に出現した男、T−3とは、その分類の一つだったのだ。
海外旅行に出て、いろんな旅行者に会うが、僕は自分からその職業を尋ねることはない。
というのは、普通の一週間程度の旅行者は別にして、ちょっと長く旅をしている日本人旅行者というものは、日本社会のオチコボレ、つまり、無職に決まっているからだ。
ところが、日本人というのは、日本社会の共同体から外れていることに恐怖を持ち、また、共同体から排除された状態であることを、他の日本人に知られたくない。
だから、どうしても、職業については嘘をついてしまうわけだよ。
でもその嘘をもまた楽しむのが、旅の秘訣なんだよね。
中には、旅に出た理由、旅で何をしているのか、日本に戻ったらどういう生き方をするのか、そんなウソを一生懸命に考えている旅行者もいる。
こちらが聞きもしないのにペラペラと話し出す人間もいるところがかわいい。
日本人というのは、個性のかけらもない民族なので、いくら一生懸命に考えても、パターン化するのがまた興味深いところだ。
僕は、旅先で出会う旅行者、日本人を、タイプ別に分類してあるんだよ。
そして、T−3というのは、その僕の分類で「(自称)カメラマン」となっている。
カメラマンの場合は、カメラさえ持っていれば誰でもカメラマンだと言える。
また、持っているカメラが必ずしも高価なものである必要もない。
カメラマンが本物かどうかという話になると、撮った写真でお金を稼げるかどうか、そこにかかっているだろう。
でもまあ、安宿に泊まって、長期海外旅行をしているような人間に、まともなカメラマンはいない。
でも特に問題になるようなことはないので、深く考えず、適当に受け流せばいい。
特に問題のない、無害なタイプに当たるんだね。
カメラマンという場合は、一つの特徴があることを付け加えておこう。
それは、カメラを利用して、人と話すことが出来るってことだよね。
カメラマンがカメラを持っていないと、それは普通の気の弱い個性のない「ありふれた日本人」だ。
しかし、ありふれた日本人がカメラを持つと、カメラマンに変身し、他の人とコミュニケートするようになる。
逆に言うと、カメラを持つことで、自分をカメラマンという特別な立場において、その立場で他人とつながることが可能となるわけだね。
だから、海外で出会う自称カメラマンは、自分から積極的に人に話しかけてくる。
ただ、カメラを隠してしまうと、カメラマンではなくなってしまうので、急に無口になるところが面白いね。
カメラを持っていることで、自分のアイデンティティがあるだけで、それがなければ全く何もないってわけだ。
この一眼レフカメラを手にした日本人男性は、船の甲板上で、パチパチパチリと、これ見よがしに、カメラのシャッターを切り続けている。
そして、僕の写真をとってもいいか、声をかけてきたわけだ。
そうそう思い起こせば、僕も世界のあちこちで写真を撮られてきた。
一つ強く記憶に残っているのが、1988年にイタリアのジェノバ駅のカフェテリアで、日本人のカップルに会った時。
ちょっと話をしたらわかったが、彼らはマスコミ関係の不倫カップルのようだった。
それで、あたりさわりのない世間話をしていた。
しかし、どうやら僕が、赤軍派の幹部だと誤解したようで、さっと写真を撮られてしまったことがある。
この時期、ソウルオリンピック直前だったので、破壊活動で日本の過激派がヨーロッパをうろついているという噂があったようだからね。
写真を撮った彼は、日本に帰国後、過激派のリストと僕の写真を照らし合わせたろう。
残念ながら、僕は、過激派ではなくて、単なる世界旅行者先生様だったけどね(笑)。
そのときの記憶があるなら、今では結構出世しているはずだから、僕に雑誌のコラムでも頼んでくれればいいのにね。
恥ずかしがらずに、どんどん連絡をくれてかまわないんですからね♪
ごく普通に旅行者同士で写真を取ったり取られたりすることは、これはだれにでもある。
僕は、世界一周旅行をしていたときは、日本に住所がなかったし、別に写真がほしくもなかった。
だから素直に、「送り先がないのでいいですよ」と、さわやかに別れてきたものだ。
まあ、正直、写真の送り先なんか、知らせない方がいいんだよ。
その理由は、一つには、住所や電話番号を知らせると、あとあと面倒が起きる可能性があること。
また、旅先で知り合った人から連絡があっても、日本で再会しても話をすることもないので、連絡先を知ってても意味がないってことだけどさ。
もっと根本的な理由としては、「写真を送ります」と言う人は、だいたい写真なんか送ってこないものなんだよ(笑)。
でも、最初から送り先を教えないで置けば気楽だ。
だって、「あの人はひょっとしたら、住所を教えておけば写真を送ってくれるような誠実な人だったかもしれないなー」と、いい想い出のままでいられるってわけだ。
もちろん、住所を教えていたら、絶対に写真を送ってはこないんだけどね。
僕は写真を取られること自体は、別にどうでもいいので、いくらでも写真は取らせてあげる。
そこで、カメラマンには、「どーぞ、どーぞ」と、写真を撮ることを許可して、海を見る世界旅行者というポーズを取ってあげた。
ついでに、カメラマンに僕のコンタックスを渡して、自分の写真を撮ってもらう。
普通だと、一人の人には一枚しか頼まない。
というのは、写真を撮るのが下手な人や、それだけならいいのだが、わざと失敗した写真を撮る人間がいるからなんだよ。
これは、どうやら日本人の特徴のようで、わざと手ブレを起こしたり、フレームをずらしたりする日本人は確かに多い。
ペルーのチチカカ湖畔の町、プーノの船着場で、アルゼンチン人の夫婦に出会って、一緒にウロス島ツアーに参加した。
そのとき、僕が写真を取ってあげようと申し出た。
すると、「この前の日本人は二人の写真の片方だけしか写さなかった事があるのよ」と言っていた。
つまり、日本人旅行者はわざと変な写真を取ると、世界中で有名なくらい、よくあることなんだね。
「日本人に写真を撮るように頼むと、わざと失敗写真を取る」って、外国でも知れわたっているんだよ。
恥ずかしいことだよね(笑)。
日本人は、表面は親切そうに見えていながら、実際は、底意地の悪い、陰険な人間が多いってわかるね(涙)。
カメラマンについてはこれからも、話をすることがあるだろうが、船上のカメラマンの話はこれでオワリ。
甲板を歩いていると、別のタイプの日本人旅行者を見つけた。
ほうほう、この日本人は、別のタイプ、T−7だね。
T−7については、次回に話すことにするので、お楽しみにね♪
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20090302#p1
(「世界旅行者・海外説教旅」018)