《新鑑真号の中でガイドブックを読むが、旅行計画は立てない》

船の中での生活も、二日目になった。
船は、晴天の太平洋を順調に走り続け、揺れはほとんど感じられない。
僕は早く起きだして、顔を洗い、歯を磨き、トイレに行き、シャワーを浴びる。
これは、船が満員なので、人で混み合うかと早め早めに動いたわけだ。
しかし、船客のほとんどは中国人だった。
日本人旅行者のみなさんも、てきぱきした人はいなようで、みなさん、のんびり寝ているようだった。
新鑑真号はパブリックスペースが小さくて、ゆっくり本を読む所も、人と話し合う場所もないと思っていた。
が、なんとこの船では、食事時間以外も食堂を開放している。
朝からさっそく食堂のテーブルに座って、無料のお茶を飲みながら、ゆったりとガイドブックとノートを広げる。
これから、今度の旅についてちょっと考えてみるつもりなんだ。
さて、今回手許にあるガイドブックはまず、英文定番ガイドブックの「Lonely Planet」が二冊。
「CHINA」と「South-East Asia on a Shoestring」だ。
ただ、CHINAは、1999年にアジア横断をしたときに持っていったものなので、出版が1998年7月の第6版と、ちょっと古い。
シューストリングの東南アジアは、昔から定評のあるガイドブックで、初版は1975年という伝統がある。
僕が持っているのは、2001年10月に出たばかりの11版、最新版だ。
中国へ行くのに、古い版のガイドブックを持ってく理由はというと、ま、ガイドブックの情報は、もともとそれほど頼りにならないからなんだ。
海外旅行で必要なのは、海外の町の地図が正確であることが一番。
そして地図はたいして変化はしない(急に地下鉄が出来たりすることもあるが、地下鉄の駅に行けばルートマップがあるしね)。
あとは、旅の交通手段と、そのだいたいの値段、それから移動時間が大切な情報かな。
しかし、こういうものは、常に変化しているので、本当に正確な話は、現地へ行かなければわからない。
現地へ行ってわかっても、それはその時だけのことで、またすぐに変化する。
だから、旅行には、もともと正確な情報そのものが存在しない。
旅行情報は常に変化することだけが、正しいわけだ。
ただ、その目安としてガイドブックを利用するだけだから、情報が古いことがわかっていて使うのなら、十分に使えるんだよ。
旅行計画用のB−4サイズのノートを広げて、簡単に、中国南部の地図を描いてみる。
上海、昆明をページの右と左に書き、その途中に桂林という町の名前を書く。
ノートの下方に、ベトナム国境の線を引いて、昆明や桂林からベトナムへのルートの線を描く。
ガイドブックを読みながら、上海を出て、ベトナム国境を越えるルートを調べる。
どうやら、中国からベトナムへは、大きく2つあるらしい(厳密に言うと3つだとか)。
一つは、昆明からベトナムのラオカイへ抜けるルート。
もう一つが、桂林から南下して、南寧経由で、ドンダンという国境を越えるルート。
東京で取ってきたベトナムのビザは、出入国の国境に制限がない(以前はビザに記入された国境でしか出入国が出来なかった)ので、どちらを選んでもいい。
上海で問題がなければ、一応雲南省へ行くつもりなので、その中心都市、昆明のことを調べる。
鉄道で行くことを考えて、上海〜桂林〜昆明の鉄道の所要時間と料金をガイドブックから拾う。
手持ちのロンリープラネットでは、上海〜昆明の列車は、なんと62時間かかると書いてあるよ。
これはちょっとばかり、長すぎるね。
62時間といえば3泊4日になるが、言葉も通じない、人がぎっしりと乗っている中国の列車で3泊というのは退屈すぎる。
中国国内線の飛行機ももちろん飛んでいるわけだから、ここは飛行機を使う方が身体が楽でいい。
ま、逆に考えれば、40時間程度なら、ここは列車に乗らないと世界旅行者先生の名がすたる。
でも、60時間を超えているなら、それは飛行機を使っても仕方がないともいえるかしら。
それとも、62時間が長すぎるなら、ルートを途中で切ってもいい。
途中の景勝地、桂林などにに寄って行くのがいいかもしれない。
ところで、最近日本人旅行者に人気のある雲南省には、いったい何があるのだろう。
本を読むと、どうやら少数民族がいるだけのようだ。
こんなところ、わざわざ行く意味があるかな?
なぜ他の旅行者が行きたがるのだろう?
と、当然の疑問がわいてくる。
しかし、こういう疑問は、いくら本を読んでも、解決されない。
なにか疑問を持ったら、昆明の情報を持っている、昆明に行ったことがある旅行者に聞けばいいだけなのだ。
そして、日本から上海へ向かうフェリーの中には、その情報を持った日本人旅行者が必ず乗船しているだろう。
昼近くなってレストランには人が増えてきた。
まわりをぐるりとチェックすると、背の高い日本人の若者が、1人でテーブルに座ってぼんやりしているのを見つけた。
雲南省情報が得られるかと話しかけてみる。
が、彼は初めての中国旅行で、今回の旅行で中国を1ヶ月程度、広州、成都などを回り、四川料理、広東料理を食べるのが目的だとか。
彼は雲南省の情報は持っていない。
「つまらない人間だなー。こいつは存在価値がないな!」と思った。
人間をそんなに簡単に判断してはダメだよ。
確かに彼は、雲南省の情報は持ってなかった。
しかし、「雲南省に何回も行ったという人があそこにいますよ」と教えてくれる。
うーん、なかなか役に立つ人間じゃあないか!
なるほど、彼の存在理由、つまり、彼が今まで生きてきた人生の目的が理解できた。
彼がこれまで生きてきたのは、僕に雲南省旅行経験者を紹介するという重要な役割だったわけだ。
このように、旅先で出会う人間には、まあ、役に立たない人間っていないんだよ。
だから、すぐに人を判断してはだめだ。
僕は、その雲南省旅行経験者のいるテーブルへ、進む。
4人がけのテーブルには、なんと、二十歳くらいの女の子が3人、少し年上の男性が二人いて、話をしている。
5人はみんな個人旅行の雰囲気なので、「若い女を3人も捕まえやがって!これは一つ説経してやろうかな」と思う。
だって「海外旅行では女の子はみんなの共有物」なんだからね。
男性二人で女を三人というのは、理屈が通ってないよ。
様子を見ると、中心になっているのは1人の男性で、なかなかいい顔をしている。
ここで「いい顔」というのは、きれいだとか、かわゆいというのではなく、人格がきちっとしている雰囲気だ。
どういう顔かわからない人は、世界旅行者である僕の写真を見れば、僕の言いたい、その感覚がわかるだろう。
人間というものは、単純に言うと、自分の顔を作るために生きているといえるかもしれないわけだ。
確かに僕の顔は、世界一周旅行に出る前よりも、戻ってきた時の方が渋くなっていたよ。
テーブルに近寄り、「すみませーん。こちらに、雲南省へ行った人がいると聞いたんですけど…」と声をかける。
すると、このグループの中心人物、僕がいい顔をしていると描写した日本人男性が、僕の顔をじっと見ている。
そして、彼は、目を大きく開いて、大声を上げた。
「あれっ、世界旅行者のみどりのくつしたさんじゃないですか。みどくつさんですよねっ!」
もちろん僕は、世に隠れなき世界旅行者先生様だ。
でも、なぜ彼は僕が世界旅行者先生様だとわかったのだろう??
まっ、それは次回のお楽しみ。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080816#p2
(「世界旅行者・海外説教旅」022)