《若者たちとの会話から現代日本を哲学する》

海外旅行、それもツアーでなくて、個人で中国からベトナムへ行こうというのに、若い女の子がお化粧をしてキャミソール姿というのは、少し前まではとても考えられなかったものだね。
最近の若者の考え方はどんどん変化しているようだ。
インターネットの掲示板などの旅行相談を読むと、今でも、「安全でしょうか?予約した方がいいでしょうか?泥棒にあわないでしょうか?どこに旅に行ったらいいでしょうか?」という昔ながらの、何でもかんでも心配して他人に相談する、典型的な日本人の相談が、たくさん見つけられる。
しかし、そういう心配性の人たちばかりではなくて、海外も日本も特別に考えないで、日本での服装、日本の感覚のまま海外に出る若者も多い。
例えば、最近では、バンコクなどでも、観光名所を見て回るというのではなくて、安く夜遊びをするため、エステやマッサージを受けるのが目的で滞在している日本の女の子もいるんだよ。
実際、世界中どこにも日本人はいるし、そのなかには、いろんなタイプの人たちがいて、今では、彼らを全部海外旅行者とひとくくりには出来ないんだ。
この場の中心になっているちょっと年上の、多分二十代半ばの男性は(緑靴好男くん)、彼は僕にはわかりやすいタイプだった。
彼は僕のアドバイスでイランビザを取って、アジア横断をする計画だ。
雲南省にも何度か行ったことがあるわけで、もともと僕が話しかけたのは、雲南省の情報を得たいからだった。
しかし、雲南省の詳しい情報は聞かないことにした。
というのは、彼はなかなか信用できそうなまともな若者で、彼が雲南省に何度か行ったというのなら、それは、雲南省は行く価値があるということを示しているわけだからね。
ある場所へ行くのに、そこが行く価値があるという情報以外は、特に必要ないんだよ。
雲南省の省都、昆明へは、鉄道か飛行機を使えば行ける。
昆明へ行けば、そうしたらそこで、生の、今現在の情報を入手すればいいだけだ。
そう、1988年に僕が米国から中米を下って、南米まで行こうと思ったときもそうだったよなー。
その時期は、ガイドブックの情報も少なかった。
一番信用できる「Lonely Planet SouthAmerica on a Shoestring」でも、中米ホンジュラスの首都テグシガルパの地図も、手書きスケッチ風のいい加減なものだった。
この時期の「Lonely Planet」では、メキシコと、中米と南米がまとめて一冊になっていて、コンパクトでとても便利だった。
現在では、「Lonely Planet」で揃えると、メキシコと、中米と、南米の三冊になり、それぞれがまたすごく厚いんだよなー。
これではとても、身軽に中南米一周なんて出来ないよ(涙)。
中米をまともに下れるのかどうか、悩んでいた。
たまたまLAの宿で「中米を下ってエクアドルまで行ってきた」という人に出会った。
でも僕が聞いたことは一つだけだった。
「行けますか?」ってね。
で、「行けますよ」の一言で、陸路で南下することを決定したんだ。
海外旅行の情報とは、そこへ行けるのか、行く価値があるのか、これだけわかればそれでいいんだよ。
行き方とか、宿の情報とか、そんなものは、旅をしていくうちに自然とわかってくるものだしさ。
それに、他人の情報に頼ってしまうと、自分の旅行ではなくなってしまうからね。
だから、この緑靴好男くんは、これはこれで納得した。
中国奥地からクンジュラブ峠を越えて、パキスタン、イランと行くようだ。
聞かれたらその旅の話でもしてあげようと、心にインプットしておく。
他の若者についても、もっと知りたかったが、そういう時はビールでも飲みながら、ワイワイやる方がいい。
しかしまだ、昼飯前だ。
そこで、「いやー、みんな面白そうな人ばっかりですね。話したいことがたくさんあるから、それじゃあ、また、夜にでもビールを飲みましょうよ♪」と言う。
今は、彼らと知り合っただけで十分だ。
もっと深い話をするのには、人数が多すぎるし、ここで引くのがいいだろう。
ところが、そのテーブルにいた背の高い男性が、「僕は、いま禁酒してますから、ダメなんです」という。
まあ、「あとで飲みましょう」というのは、一つの挨拶みたいなものだから、別に本当に飲む必要はない。
飲みたくなければ飲む必要はないのだから、わざわざ断るのは、ちょっと失礼な男だと、気分を悪くする。
彼は話を続けて、「親友5人組がいて、その1人が病気で入院している。だから、本当はそばにいて回復を祈ってあげなければならない。だが、旅に出てしまったので、酒を断っているんです」と説明した。
これはなかなか興味深い話だ、と僕は思った。
若い男の子が、そういう感性を持っているとは、僕にはとても考えられないからね。
僕の哲学によると、若い男性なんていい加減なもので、酒を飲み出せば飲まれるもの。
入院している友達のことをずっと真剣に考えることなんてしないものだ。
若い男性は、まあ、それはそれでいいんで、それが自然なものなんだよ。
友達の病気を心配して、そのために誓いを立てて、お酒を飲まない若い男性がいるなんて信じられない。
そこで、僕は思った。
彼の考え方は、きっと日本のテレビドラマに影響されているだろうってね。
現代日本の若者は昔ほど本を読まない。
おそらくその感性は、日本のテレビドラマと日本の音楽(J−POP)の歌詞によって、形成されている。
あとは、ゲームソフトと、マンガだけれど、どれも子どもっぽく単純なのは同じだ。
だから、テレビドラマで「友情は大切」と刷り込まれると、自分では何も考えずに、友情にあふれた人間の態度をとってしまうんだ。
でもそれは、別のドラマを見たり、別の音楽を聴くと、コロッと変化してしまう。
まあ、彼は周囲に流されて生きていく日本人の典型なのだろう。
そういう人が現実に存在するのを見て、自分の考えの正しさが証明されたようで、うれしかった。
この考え方は、日本の女の子がなぜ恋愛至上主義なのか、なぜ海外で知り合った金目当ての外国人男性にコロッと騙されてお金を貢いでしまうのか、それと共通しているんだよ。
日本女性は、日本のテレビドラマやJ−POPで「恋愛がすべて」という幻想を叩き込まれている。
だから、海外で「愛している」と言われると、なんでもしてしまうってことなんだけどね。
今までは女性の例しかなかったわけだ。
この男性と会ったことで、男性の実例を入手したわけだ。
ここでも、僕の考え方の正しさが、さらに証明された。
そこで、世界旅行者先生は、ちょっぴりうれしくなってしまいましたとさ。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20090310
(「世界旅行者・海外説教旅」026)