《上海観光案内: 豫園からバンドへ》
世界旅行者は、上海に到着してその昼には、翌日の昆明行きの切符を手にしてしまった。
他の人が全員、希望の切符が取れなかったことを考えると、こんなすごいことはほとんど夢物語のようなものらしいよ。
切符を買いに行った4人でいっしょに、ホテルから上海駅へと戻るが、僕はボーッとして他の人について歩いているだけだ。
正直言うと、気がすすまなかった長距離列車に1人で乗らなければならなくなったので、ガッカリして身体の力が抜けてしまったのだ。
4人の中心になっている緑靴好男くんは、さすが僕のファンだけあって、計画性があり、行動力がある立派な人だ。
上海で何を見るか、ちゃんと考えているようで、みんなを引き連れて先頭に立って歩いていく。
「次は何をするのだろう…?」と考えていると、どうやら上海の市バスに乗るようだ。
僕は何も考えず、みんなの行く通りについていく。
ま、これが、巷で噂の「コバンザメ式旅行法」なんだよね。
世の中も海外旅行も、あんまり自分で考えたり、決断したりしない方がいい。
他の人が行動する通りにやっていれば、それなりのことが出来るものなんだよね。
人生についても、なんとなく大学へ入り、なんとなく会社に勤めて、なんとなく結婚した方がいい。
なんとなく子どもが出来て、なんとなく出世して、なんとなく浮気でもして、なんとなく定年退職して、なんとなく歳を取って、なんとなく死んでいくのが、一番いいんだから。
人間の不幸とは、自分の頭で考えること、これに尽きるわけだからね。
できるだけ、物事をあれこれ考えないようにして、周囲に流されるままに生きていくのが最高なんだ。
日本人の身体の細胞の中には、ひたすら周囲に合わせて流されるままに生きていけば、自分個人としても社会的存在としてもすんなりと生きられた、過去の日本の環境に最適な遺伝子が存在している。
問題なのは、日本社会が世界との接点を持ちはじめて、その昔のままの日本の状況が崩壊しつつあることなんだよね。
イラクで拾ったクラスター爆弾を機内に持ち込もうとして、ヨルダン空港で警備員を殺してしまった毎日新聞社の五味宏基くんを考えてみよう。
彼も日本の新聞社の会社員らしく、戦争報道とは口先だけで、実は戦争中は安全なところに避難していたわけだ。
だから、戦争記念品なんかを拾って、日本で見せびらかして自慢しようなどと変な考えを起こさなければよかった。
日本の新聞社の社員らしく、安全第一で横並びのことをやっておけばそれでよかったんだよ。
日本の新聞社社員とすればそれでよかった。
だ、海外の本物のジャーナリストとの接点が出来たときに、これではいけないとがんばってしまうと、そこに落とし穴があったというわけだ。
これも、日本の新聞社社員と、海外のフリージャーナリストが接点を持ってしまったことが、問題を起こしてしまったんだよ。
日本の新聞社の場合は、世界中のジャーナリズムから隔絶されている。
他の国の人なんか誰も気にしていないのだから、がんばることはなかったんだよ。
ちょっと人と変わったことをして目立ちたい、そういうことを普通の人間がやってしまうから、問題を起こしてしまうわけなんだ。
本来は、日本人などというものは、たいして変わった人間もいない。
もともと個性なんか持ってないものだから、流れるままに生きて、流れるままに自然と死んでいくのが一番の生き方なんだからね。
そういう正しい悟りを持っている世界旅行者は、緑靴好男くんの動くままに、バスに乗り込み、車内でバスの切符を購入し、ぼんやりと上海の町並みを眺めていた。
しばらくすると、どやどやとバスから人が降りて、その後についていくと、取ってつけたような中国風の町並みが並ぶ地域に入ってしまった。
建物の間の細い道に入ると、小さな店が続いているのを見て歩く。
その後、池のそばに立つ、二階建ての食べ物屋さんに入る。
この店はものすごく流行っていて、空いた席がないが、食べ終わりそうな人たちの後ろに立って、「この人はもうすぐ終わるよ」「早く席を立たないかなー」と、わいわい話をする。
もちろん、日本語で話をしているので、中国人の皆さんには言葉は理解できないが、ま、何を言ってるかは十分に理解できただろう。
席が空くと、しっかりと座り、注文を出しに行く(この店の入り口で注文し、金を払う)が、中国語がわからないので、漢字で見当をつけて注文する。
僕は「牛肉鉄板」と言うものを注文したが、まさしく熱い鉄の板の上に牛肉がジュージューパチパチと乗っていた。
ショーロンポーが名物だとかで、みんなで食べる。
さらに、昼間から、ビールを追加注文して飲む。
店を出ると、雨がぱらぱらときそうな雰囲気だ。
ビールをたくさん飲んだのでトイレに行きたくなるが、中国のトイレはあんまり気がすすまない。
もうホテルへ帰ってしまおう!と決意して、キャミ子さんといっしょに、小雨の中をタクシーを拾ってホテルへ戻る。
他の二人とは、また夕方ホテルのロビーで会うことにする。
なお、僕が行ったところは、豫園という公園の周囲にある豫園商場というところだそうだ。
これはこれなりに上海の観光名所らしいよ。
ホテルへ戻って、個室のトイレに入った後は、何もすることがないよ。
明日昼には上海を出てしまうので、そういえば、上海のバンドを見なければならない!と、ホテルのロビーに出ると、船で一緒だった旅行者の皆さんと出会った。
「バンドを歩こうよ」と声をかけて、男性3人、女性1人といっしょに、ホテルを出てバンドへ出る。
バンドというのは、昔の上海の建物の並ぶ一帯で、川沿いに遊歩道が長く続いている。
ずーっと歩いて、バンドの端っこにある台形の巨大な建物に入ると、そこに東南アジアによくあるタイプのレストランがあった。
つまり、大きな一つのフロアに食べ物屋さんがたくさん並んでいて、その店で食べ物を買って持ってきて、テーブル席で自由に食べるという「フードコート」形式だ。
ここで、焼肉の串を10本とって、ビールを8本ばかり飲んで、互いの日本での生活や、海外旅行の話、これからの行き先など、いろんな話をした。
ただ、ビールを飲んでいたので、何を話したか、正確な内容は記憶から落っこちてしまったけどね。
昼からビールばかり飲んでいるが、中国のビールの特徴はアルコール度数が低いこと。
飲んでも飲んでも酔わず、トイレに行きたくなるだけだ。
まあ、話をしながら飲むにはちょうどいい感じでしょうか。
海外旅行で強い酒を飲むと、動けなくなって困るけれど、そういう点で、中国のビールはオススメです。
豫園で別れた仲間と夕方にまたロビーで再会して、食事に行くことになっていた。
バンドを歩いた人も誘って、大勢で一緒にレストランへ行って、席に着いたのだけど、ふと思い立って1人だけ別れた。
というのは、朝からずっと他の人と一緒に動いていたので、人と話をするのに疲れてしまってたんだよね。
一日の最後は、一人でゆっくりと過ごしたかったんだ。
それに、僕は明日は上海を出て行くわけだ。
そうなると、今度の旅で上海の夜のバンドを1人歩くのも今夜が最後だ。
上海へまた来るかどうか、わからない。
というので、夜のバンドへ繰り出したが、これがすごかった。
1人で日本の中国進出や上海事変など、歴史的な物思いをしながら、ゆっくりとバンドを歩こうと思っていたら、とんでもない。
夜のバンドは、上海市民の皆様で猛烈に混雑していて、まあ例えれば、隅田川の花火大会の雑踏に近いほどの人出だったんだ。
適当な店も思いつかないので、人をかき分けかき分け進む。
さっきビールを飲んだ大きな食堂へ戻り、夕食をとって、1人でビールを飲んだ。
一日の終わりに、その日を振り返りながら、1人でゆっくりと冷えたビールを飲む。
これが人生の究極の楽しみだね。
思い返すと、無事に上海へ到着して、念願の浦江飯店に泊まり、翌日の昆明行き硬臥切符を入手して、豫園という観光名所の周辺を歩いた。
バンドも歩いたし、旅行者とはうんざりするくらい話をして、(ここには書ききれない)細かい海外旅行ネタを仕入れた。
ま、それなりに、いいんじゃないでしょうかね…。
ただ、明日の昼には、昆明への二泊三日の列車に乗らなければならない。
しかも今度は、たった一人きりで、僕はもちろん中国語は話せない。
うーん、とんでもないことが起きそうな、変な予感がするよね。
むーん…。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080801#p3
(「世界旅行者・海外説教旅」031)