「旅に出たら現地の人とふれあわなければならない」という日本の旅行産業がでっち上げた幻想の犠牲になる日本人旅行者諸君

【世界旅行者みどりのくつした@新鑑真号(2002)】
僕は、船で上海へ着いたその日に切符を入手して、翌日には昆明まで順調に走って45時間もかかる、二泊三日のK79次列車に無事乗車することが出来た。
僕は新鑑真号に乗ったとき、また浦江飯店に泊まったとき、僕はまわりの人たちに声をかけまくって、どんどん知り合いを作った。
この旅行記を読んでいる人は、「世界旅行者さんのことだから、昆明への列車の中でも、他の人と仲良くなって、楽しいふれあいをしたのだろうなー」と思うかもしれない。
ところがすっとこどっこい、それでは、僕の考え方が半分しかわかってないんだよ。
僕がよく書くのは、「ある場所で人と知り合っておくのは、安全のためだし、また情報を入手するため」ということだ。
しかし、これを逆に読むと、「安全を確保するためでもなく、情報も入手する必要がないなら、人と知り合う意味はない」ってわけだよね。
この列車の中がそうなんだよ。
びっしりと中国人で詰まった、この列車の中で、中国人と知り合っても意味がない。
僕は中国語ができないので、中国人と話ができない。
また、中国人が英語が少々出来たとしても、僕の旅行に役に立つような情報は持っているはずがない。
さらには、下手に人間関係を作ると、「こいつはいいやつだ」と思われたりする。
「いいやつ」とは、つまり「扱いやすいやつ」のことだ。
普通の日本人旅行者は、世界中で、「おとなしくて、文句も言わず、臆病で、しかも金を持っている」という定説が確立しているんだ。
現代中国は、ますます拝金主義になり、さらに世界中の情報が入っている。
中国人の中で、誰か1人でも、僕のことを「なーんだ、ただの日本人の一人旅か、それなら金は持ってるし、中国語もしゃべれないし、盗んでも大丈夫だな」と思ってしまうかもしれない。
それなら僕から盗むのはちっとも難しくない。
トイレに行くときに全財産を持っていけるわけではないし、お湯を取りにちょっと席を離れることだってある。
個人旅行者から何かを盗もうと思ったら、これほど簡単なことはないんだよ。
それを避けるためには、1人ではなく、2人以上で旅をすればいい。
旅先で同行者を見つければいい。
だが、今回はあまりに調子よく切符が取れてしまったために、一人旅にならざるを得なかったんだけどね(涙)。
一人旅の危険を逃れるのに一番いいのは、「わけのわからない人間」になっていることだ。
だれだって、わけのわからない人間をどうこうしようとは思わない。
こういう人間だと見当をつけた後で、盗んだり、襲ったりするわけなんだからね。
というわけだから、僕は「この状況では、同じ列車の中国人の皆さんと仲良くならない」と決めた。
ま、これが、普通の日本人にはなかなか出来ないことなんだよ。
というのは日本人の海外旅行幻想の一つに、「現地の人と仲良くなることはいいことだ」というのがあるんだよね。
日本人はとにかく、旅に出たら現地の人と仲良くなりさえすれば、それでいい旅だったと思い込んでいる。
逆に、現地の人とのふれあいがなければ、その旅は失敗だと思い込む人さえいる。
これはもちろん、日本の旅行記ビジネスの基本になっているものだ。
日本の旅行記というものは、とにかくなんでもかんでも「私は普通の日本人と違って、現地の人と仲良くなりました」というのが売りになっているわけだ。
だから、海外に出かけた日本人ほど簡単なものはないんだ。
例えば、僕自身、ちょっと暇で話し相手が欲しかったとき、バンコクのホアランポーン駅構内で、日本人旅行者に声をかけたことがある。
ちょっと声をかけて、一緒に飯を食ったり酒を飲んだりしたことが何回もある。
でもよく考えたら、いくら親しげに話しかけられたからといって、それはまずいよ。
わけのわからない中年男(僕のことだけどね)といっしょに知らない店へ入るなんて、かなり危険なことじゃないかな。
ということは、心細そうな日本人旅行者と親しくなるのはものすごく簡単で、世界中には日本人と親しくなって食い物にする人間が必ず出現する、ってわけだよ。
相手が日本女性の場合は、セックスして金を貢がせることも簡単だ。
また、男性女性に関わらず、日本人旅行者から金を取る、物を盗む、という事件は、毎日毎日、世界中で数限りないほど起きている。
この根本的な原因は、日本人旅行者が「現地の人と知り合って仲良くなるのはいいことだ」という、間違った幻想にとらわれているからだよね。
それは、結局、「日本人が自分を持ってない」からなんだよ。
欧米人の場合は、それがたとえ間違っているにしろ、自分なりの考え方、行動様式を持っている。
そして、それを変えようとはしない。
行き過ぎると、人種的偏見、人種差別、文化差別にもなるわけだが、彼らは発展途上国を旅行するときには、現地の人を人間として考えないという態度を取ることもある。
だから、わけのわからない現地の人間が声をかけてきても、完全に無視することが出来て、それが心理的負担にならない。。
ところが日本人は、もともと周囲に合わせることだけを考えてきた民族だ。
だから、旅先でも旅先の状況に自分を合わせようと考える。
旅先で誰か知らない人から声をかけられたら、とにかく返事をして、どんな形でも相手に反応してしまうんだよ。
一度返事をしてしまえば、そこに人間関係が成立してしまったのだから、その人間関係を発展させることは簡単だ。
列車の中を例に取ると、列車で一緒になった人と挨拶をして、自己紹介をして、旅の話でもしてしまったら、もうだめだ。
親しくなった相手から食べ物飲み物を勧められて、断れる日本人はいない
いくら「睡眠薬強盗が多いので、知らない人から食べ物飲み物を勧められても断ってください」と情報が流れていても、日本人は断れない。
これは自分の危険よりも、人間関係を壊さない方を重視してしまうからだね。
自分の身の危険と、ちょっと列車の中で話をした人との人間関係を比較したら、それは、誰が考えても自分の安全が大切だ。
しかし、日本人はとにかく、雰囲気を壊さないことが第一、相手の感情を害さないことが最高、の生き方だ。
だから、断ることが出来ない。
今この瞬間にも、世界中で日本人旅行者が、騙され、奪われ、盗まれ、強奪され、強姦されているってわけなんだよ。
日本人の持つ、むやみに周囲に合わせる考え方、それ自体が、日本人の弱点なんだ。
逆に言うと、それを本当に理解していれば、その弱点を防御することが出来る。
僕は、やはり日本人だから、中国人と人間関係を作ってしまうと、それから簡単には逃げられない。
列車内で人間関係は作らないことにした。
ほとんどの時間を上段のベッドに寝転んで、本を読んで過ごした。
また、下に降りて、通路の折りたたみ椅子に座っているときも、持ってきた本を読んで、他の人との関係を持たないようにしたわけだ。
前回、外見純子さんと一緒に旅をしたときは彼女と話をすることもあった。
そうなると退屈そうな中国人おばさんから、話しかけられたりした。
思い出せば、僕はその時も、そのおばさんと親しくなろうとはしなかったんだよ。
僕は、自分が話しかけられたときは、純子さんを読んで、彼女に僕の代わりに話をさせたんだ。
その中国人のおばさんは、下段のベッドを堂々と占拠していてた。
かなり荷物も多く、金持ちで知識もありそうな人だった。
部厚い難しそうな本を読んでいたのだが、それに飽きて、日本人に目をつけてしまったのだ。
僕は、ニコニコして、「純子さーん、この中国人のおばさんが話したがってるから、キミが相手をしてよ!」と、純子さんを人身御供に差し出した。
その結果、純子さんは、それからずーっと、おばさんの相手にされた。
僕が貸したノートを使って、中国語の勉強を叩き込まれてしまったんだよ。
中国語を無理やりに教え込まれ、発音までさせられていた。
横から見ていた僕も、純子さんに同情したくらいだ。
純子さんは、この中国人おばさんが離してくれないので、ほんとうに疲れ果てていた。
でも日本の若い女の子なので、はっきりとイヤ言えず、死にそうになるまで相手をさせられていた。
僕は、「あーよかった。自分でなくて♪」と、のんびりしていたけどね。
この影響で、彼女は僕が少し嫌いになったかもしれない。
彼女は、「世界旅行者先生と一緒に北京から成都へ列車に乗ったら、しつこい中国人のおばさんから、無理やりに、しつこく中国語を教えられてしまった」という記憶を持つことになった。
しかしこれは、日本人旅行者として考えた場合、「列車の中での現地の人とのふれあい」が成立したわけだ。
最終的にはそんなに悪い想い出ではなかったのじゃないかな。
だから、世界旅行者は、K79次の上段のベッドで、本を読みながら、出来るだけ他人と関係を持たないようにして、寝転んでいましたとさっ。
ただ人間関係を持たないと決意したからと、人間関係を持たなくて済むほど、人間関係というものはそんなに簡単なものではない。
世界旅行者は、否応なく、列車の中で濃密な人間関係を持つこととなる、恐るべき謎の中国人と出会ってしまったのだ。
しかしそれは、また次回に話すことにしよう。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080807#p4
(「世界旅行者・海外説教旅034」)