《第二夜:中国留学中の日本人大学生に、日中関係と留学生の果たす役割について説教をする》

【大理古城のバックパッカーストリート/護国路】
朝早く起きて、荷物をまとめて、大理には帰ってこないかもという覚悟でバスに乗った。
しかし、麗江がたいしたところではなくて、また大理へと日帰りしてしまった。
でも、本当はホッとしている。
僕は大理のバックパッカーストリート護国路の雰囲気も、紅山茶賓館の静かな部屋も、菊屋の食事も結構気に入ってたからね。
ただ、大理に来たのに麗江へ行かないという話はなかった。
絶対に麗江へ行かなければならなかった。
それは、旅人としての義務だよね。
ある町へ来て、その奥にさらに一つの町があるなら、それから逃げるわけにはいかないよ。
ここで逃げてしまったら、世界旅行者とは言えない。
だから世界旅行者は、大理から麗江へと行った。
でも麗江がつまらないと思ったらすぐに、そこを離れてしまう。
これも、今まで世界各地で、数限りない町を見てきたから出来ることなんだ。
いろんなところで、初めての町を歩いて、その町を考えて、一つ一つに評価を下してきた。
その連続があるから、町のにおいを感じることが出来る。
ちょっと歩いただけで、「この町は昔歩いたあの町と同じタイプだ」と、すぐに結論付けられるってわけなんだよ。
その僕の体験からは、麗江よりも大理の方がずっと雰囲気のある、面白そうな町だった。
菊屋に入ると、また誰もいなかったが、また本棚のそばにどっかと腰を下ろして、本を読みながらビールを飲む。
本棚にあった昔の「地球の歩き方」を数冊パラパラとめくると、なかなか面白いことが書いてある。
僕が今回乗ってきたのは大阪からの新鑑真号。
1992年から1995年までの「地球の歩き方」を次々に読むと、新鑑真号の前の「鑑真号」は、なんと横浜から出港していたという。
横浜から上海まで3泊4日の船旅で、料金が二等洋室で横浜から32500円、神戸、大阪から25000円(1993年6月)。
僕は2002年に大阪から上海まで2万円だった。
ということは、昔の方が料金は高かったってわけだよね。
ふーん。
そのころ横浜から3泊4日も船に乗っていれば、もっと深く旅行者同士が知りあえて、面白かっただろうね。
今よりも中国旅行なんかに出る人は少なかっただろうし、もちろん今よりも個性的な人が多かったことだろう。
そこには、様々なドラマがあり、いろんな出会いも、きっと燃え上がる恋だって、いくつもあったことだろうさ。
そして、その鑑真号の出来事すべてが、今は忘れ去られている…。
ちょうど映画「タイタニック」のレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレット(役名は誰も覚えてない?)の一夜の恋のようなものもあったことだろう。
ま、二等船室だと、カーテンを閉めたベッドで声を出さないようにこっそりセックスしたかもしれない。
トイレで立ちバックでセックスしたりと、落ち着かなかっただろうけれどさ。
ま、それもまたすっごく興奮しただろう♪
でも、恋の話はおろか、昔は横浜から上海までの船があったなんてことも、もう今は、誰も覚えていない。
人間なんてさ、何をやったところで、結局はすべてが忘れ去られていくものなんだよ。
歴史的な人物として名を残したところで、死んでしまえば、だからどうということもない。
だって、名前が残ろうが残るまいが、死んだ本人にとっては、どーでもいいしね(涙)。
という旅行哲学を軽くやっていたところに、若い学生風の男が菊屋に入ってきた。
チラッと雰囲気を見て、「キミ、ここに座らない?ビールおごってあげるからさ」と、誘う。
とはいっても、僕は誰とでも話したり、誰でも誘ったりするわけではないよ。
そこにはやはり、相手のタイプを瞬時に判断しているわけだ。
海外個人旅行をしているからといって、誰でも同じように話をしたり、盛り上がったり出来るわけではない。
そこにははっきりとタイプがある。
今思い出すのが、1999年、シルクロードの奥地、中国新疆ウイグル自治区のカシュガルでのことだ。
カシュガルは近くのカラクリ湖への観光拠点でもあるし、またクンジュラブ峠を越えてカラコルムハイウェーを通り、パキスタンへの通過点でもある。
ところがカラコルムハイウェーは崖崩れなどがあると、簡単に通行不能になる。
そうなるとカシュガルに旅行者が溜まってしまうことがよくあるんだね。
たまたまこの時期、パキスタン行きのバスが出ていた其尼瓦克賓館(Qiniwake Hotel)には日本人がウジャウジャといた。
ホテルのロビーのテーブルにずらりと並んでいた。
そこにはいろんなタイプの日本人旅行者がいたが、やはりグループができていたんだ。
いつも10人程度のグループでいた人たちとは、ちょっと話をしても、まったく話がかみ合わなかった。
彼らとは別に、ロビーでちょっと言葉を交わしただけで、僕の興味を引いた女の子がいた。
僕は、「夜は一緒に食事でもしようよ」と、軽く声をかけた。
そういう話になっても、別にはっきり約束をしたわけではなくて、ただの挨拶みたいなものだった。
だが、暇つぶしに夕方ロビーへ降りたら、その女の子が僕を待っていたよ。
他に男女二人がいた。
僕たちは男女二人ずつの合計四人で、串焼肉(ケバブ)を食べにレストランへ歩いた。
ケバブを食べてビールをどんどん飲んで、話が盛り上がった。
話をしていると、僕が気になった女の子は早稲田の文学部で中国留学中だった。
もう1人の女の子は東京外大の留学生、男性は(はっきりは言わなかったが)東大の経済学部らしかった。
ここでもはっきりわかるけれど、同じようなタイプの人間同士ならば、すぐにわかり合えるし、基本的に話が合うものなんだよ。
話をしても簡単に発展するし、突っ込みも知的で、すぐに盛り上がるからね。
しかし、他に10人ほど一緒にいた日本人旅行者諸君は、ちょっと話をしても、頭が固いし、知識もない。
ただの旅行自慢しかしないので、ちっとも面白くなかったってわけだね。
つまり、人種がはっきりと違ってるんだよ。
誤解があると困るけれども、僕は決して学歴で差別しているわけではないんだからね。
有名大学の学生で、ものすごく頭が固くて、話が全く合わないということもよくあ。
ホントのことを言うと、学歴が高いほど話は面白くないものだ。
ただ、ある程度頭がよくて、中国の辺境に、ただの個人旅行ではなくて、留学や研究の合間にやってくるようなタイプは違う。
柔軟性もあり、面白い経験も話のネタも持っているので、話が面白いってことなんだけどさ。
それは、海外個人旅行をしまくって、その海外旅行の話しかできない、よくいる旅行通、旅行ベテランというタイプを考えてみればわかる。
世界中を個人旅行しまくっていながら、書くことは海外旅行の話ではなくて、人生論だったり、セックス論だったりする世界旅行者先生が、まったくレベルが違うってことと同じ関係だろうね。
だって、海外旅行をするのは、海外旅行が目的であっては、まだまだなわけなんでね。
海外旅行先で何かを見て、自分の経験知識を元にして、自分の頭で考えることが、大切なわけだ。
いくら海外旅行をして、多くの国を訪ねても、そこで自分の思想を作れなければ、海外に行っただけ、金と時間の損だってことなんだからさ。
そこを誤解して、海外旅行した国の数を自慢しているようでは、まったくわかってないってことなんだよ。
というわけで、この菊屋に入ってきた若者を見て、僕は、瞬間に、「こいつとは話が合うだろう」と感じたわけだ。
その通り、彼は日本の大学生で、中国語の勉強のために一年間留学しているということだった。
こういう場合は、もちろん、彼の留学生活、語学の勉強の話、中国社会について、彼は話すことがあるから、それを引き出してあげなければならない。
いろんな体験をしているのだから、それを話したいに決まってるんだからね。
ただ、「中国はどうですか」「どんなところが好きですか、嫌いですか」「中国語は難しいですか」といった、ありふれた話の持って行き方をしてはだめだ。
そんな形だけの質問では、「何でいちいち答えなければならないんだよ」と、相手を怒らせてしまう。
彼の話を引き出すためには、自分の方である仮定を立てて、「中国はこうだと思うんですが、違いますかね」「中国ってこんなところはいいですけれど、こういう嫌なところがあるんでしょ」「中国語は僕もちょっとだけやったんですが、ここがやさしく、ここが難しいですよね」と、具体的に、自分の考えを付け加えなくてはダメなんだよ。
そうすると、もともと彼自身で考えていることも当然あるだろうし、話したいことはあるのだから、次々と話が広まり、また深くなるってわけだ。
さらに、相手をほめ上げ、おだてあげ、さらに質問をする。
こうすれば話はいくらでも出来ることになる。
中国語の四声が難しくて僕には発音できないということから始める。
中国語はやはり日本人の女性の留学生の方が上達が早い、という話を聞き出す。
さらに、中国の発展は、このまま続くかどうか?
日中関係の将来像は?
と、話を広げる。
その中では、もちろん日中戦争の話も出る。
中国の大学に本格的に留学した日本人学生の就職状況などを聞く。
日本人は、「日中友好」を言ってさえいれば中国では歓迎される、と思う人もいるだろう。
僕の考えでは中国人は日本人をなんとも思っていないので、その例を挙げて、話を進める。
というのは、以前、仏跡で有名な敦煌の鉄道駅、柳園からトルファンまで軟臥(一等寝台車)に乗ったとき、たまたま日本からの高校教師の団体と一緒になった。
その軟臥のコンパートメントには、ツアー仲間の日本人教師2名と個人旅行をしている僕のほかに、日本語をしゃべる中国人ガイドさんが一緒だったわけだ。
いかにも日本人らしいそつのなさで、日本人3人で中国の発展をほめたたえた。
「これからは日中がさらに友好関係を深めて、経済協力を進めて、共に発展していきましょう!」と、取ってつけたような中身スッカラカンの見事な話を、ニコニコとしていた。
すると、この日本語通訳氏は、ついうっかり「中国だけで出来ますから」とポロリと本心をもらしてした(笑)。
一瞬冷たい空気が流れたことがあったんだよね。
考えてみれば、中国は大国で、資源も人口もあるし、才能のある人たちも大勢いる。
だから、日本との協力関係なんか、将来にわたって必要ないと考えていても、不思議ではない(というか、当たり前だ)よね。
そういう話が一段落付くと、旅人同士だから、次はどこへ行くかというテーマに移る。
彼は明日、なんと、僕が日帰りしたばかりの麗江へ行くのだそうだ。
こうなると、世界旅行者の麗江分析には、止め処がない。
実質1時間くらいしか見てないのに、麗江の世界遺産の位置づけ、麗江に集まる旅行者の性格分析まで、2〜3時間話をしてあげた。
「麗江なんか行っても仕方ないから、大理にいた方がいいよ」とまで、お節介にもアドバイスしてあげる。
そこからは、海外旅行のあり方についての説経を始め、日中交流の中で留学生の果たす役割についても説経を行った。
ただ、このころになると、日中関係の将来について何を言ったのか、まったく思い出せないんだけどね(ごめんなさい)。
中国のビールはアルコール度数が低いので、いくら飲んでもとにかく酔わない。
がんがん飲んで、トイレに行きたくなると、護国路と博愛路の角をちょっと西へ曲がったところにある公衆トイレへ行くと、使用料が2角。
ビールを飲んで、一度トイレに行くと、トイレ行きが止まらなくなる。
これを医学的に説明すると、体中の水分が、ビールに置き換わっていて、ちょっとビールを飲むと、その分だけおしっこが溢れて出てしまうわけだ。
ちょっと変な気もするが、この話は旅先で出会った「東大医学部の学生」に聞いたことなので正しいと思うよ。
トイレと菊屋を往復していると、昨日会った高校教師がやってきた。
が、もうトイレに行き続けなので、挨拶をしただけで話を切り上げて、ホテルへ戻った。
さて、今日も、いろんなことがあったが、明日は何が起きるだろう。
でもまあ、何が起きるも何も、明日はこの快適な紅山茶賓館を追い出されてしまうんだよなー。
しかし、明日部屋がないとしても、まだまだこのホテルの部屋を取る手は残っているさ。
これは、海外個人旅行で役に立つ話だから、もう少し出し惜しみをしておこう。
(「世界旅行者・海外説教旅」042)