《旅先での話はどういう風に進展すれば盛り上がるか@菊屋/大理》
僕は紅山茶賓館の211号室を出て、菊屋へ歩いたが、誰もいなかった。
またちょっと他の旅行者の皆さんたちよりも、早すぎたようだ。
世界旅行者は歳を取っているので、もともと早起きだ。
特に旅に出ると、さらにがんばって早く起きるので、夜も早くなる。
夕食を取ったら、部屋に戻り、ゆっくりとお酒を飲んで、その日の出来事をメモして、居心地のいいベッドに横になって、本でも読みながらのんびりしたい、というキモチなんだね。
だから、夕食を取る時間も他の若い旅行者のみなさんたちよりも早くなってしまう。
大理はもともと、とても治安がいい。
その上、旅行者の集まる護国路にいるのだから、遅くまでうろうろしてても安全だ。
護国路はバックパッカーストリートなので、人通りも多いし、出会いもあるし、夜遅くなればなるほど、楽しいかもしれないね。
若い人たちはうんと夜更かしをしてワイワイやってください。
しかし、治安に問題があって、旅行者も多くないような町では、暗い時間に外に出て食事をすること自体が危険だ。
世界では、日が暮れたとたんに、町へ出ること自体が無謀だという町がたくさんある。
僕がアフリカにいた時などは、わざと午後三時ごろにヘビーな食事を取って、それを中心にして、夜は軽くビールとつまみ程度で済ませていた。
遅い昼食(早い夕食)を中心にして、一日の予定を立てていたんだよね。
この方が寝起きの気分もすっきりしているので、朝早くから行動を起こすのが基本の海外旅行には合ってもいるんだしさ。
その癖があるせいか、その日もまた、菊屋に夕方一番乗りをしてしまった。
野菜炒めをつまみに、チンタオ(青島)ビールを飲みながら、適当な日本語の本を棚から取り出して、読んでいる。
そのうちに、誰か日本人旅行者が来るだろうと、ノンビリしている。
そこへ、日本人の学生が一人、カメラバッグを持って入ってきて、僕の横のテーブルに座る。
話しかけようかと思ったが、ちょっと雰囲気がよくない。
彼が入ってきた時、店には僕一人しかいなかった。
だから、一応礼儀として僕に「こんにちわー」くらい声をかけるのが、普通の人間のというか、旅先のルールだよね。
実は昨夜、菊屋で、僕が中国留学中の学生さんと話をしていた時、いま隣にいる学生は、別のテーブルでもう一人の男子学生といっしょだったのを記憶している。
僕は、こちらでなにか熱心に話をしていながら、別のテーブルの話も気になるときはチェックを入れていたんだ。
もちろん、彼らの話もすでにチェックを入れていた。
ただ、その時の話というのが、あんまり面白くなかったんだよ。
昨夜2人の話を漏れ聞いたところでは、もう一人の学生は、確か、医学部の学生だった。
僕の横にいる学生君も、工学部の学生のはずだ。
たが、2人はたがいに、自分の専攻や大学の話をしているだけで、それからの発展がなかったんだ。
つまり、2人は話をしているのではなかった。
ひとりごとを2人で言い合っているような感じだったんだよ。
つまり彼らは、会話が出来ない人たちじゃないかなと思った。
この工学部の学生に、僕が話しかけてもよかったんだが、どう考えても話が盛り上がらないのが見えている。
だから、誰か別の人間が来るまで知らん振りをしていようと決めて、本を読み続ける。
ところが次に菊屋へ入ってきたのが、昨日の医学部学生だ。
イーちゃんは、おそらく待ち合わせをしていたのだろう、コーちゃん(ここでは、医学部の学生をイーちゃん、工学部の学生をコーちゃんと呼ぶことにする)の向かいに座った。
僕は本を読みながら、もちろん、彼ら2人の話に注意を払う。
2人はもう昨日で、話すネタがもう完全に切れているようだった。
実際、旅先で、旅人同士の話が面白いと思えるのは、知らない人と初めて会うからだ。
初めて会った人の、普通の情報を聞くだけでも、ある程度の興味が満足させられて、確かに面白いんだよ。
その次には、各個人の旅の経験、旅の情報交換が話のネタになる。
でも、ここまで話すと、普通は、それ以上の話が続かなくなる。
それから、互いに旅をしたところに対しての意見を交換し合って、そこかからさらに、世界情勢にまで話が広る。
それぞれの情報や考え方から、世界観にまでもっと話が深まれば、それはとても知的に楽しいことだろう。
別に本当に話が深まるってことじゃなくても、そういう風に話を広げられれば、話は永遠に尽きないだろうってことなんだけどさ。
例えばいま、雲南省の少数民族地域にいるのだから、その少数民族と漢民族の関係は話すのは自然だよね。
自分で感じた少数民族の人の性格、立場、なんかは、かなり話せるだろう(少なくとも自分が直接見て考えたことだから)。
中国の近代化の将来の形、日本との関係、さらには、中国のアジアにおける支配力はどこまで強くなるか、台湾問題、など、いくらでも話を広げていけるはずなんだ。
またもちろん、雲南省大理に来るまでに中国北部を旅してきていたら、中国の北と南の風土の違いが語れる。
そこに住む人間の考え方のズレなんかも話せるだろう。
新疆ウイグル自治区の方から来たならば、イスラム教の影響や、ウイグル族の分離独立問題も話せるだろうね。
ただ、普通の日本人でそこまで話せる人はいない。
もともと日本人は、物事をそんなに深く考えないんだよ。
日本人旅行者に出来るのは、旅の自慢話、旅行経験の交換、これ以外はないんだ。
もし、一人が深い話ができるとしても、もう一人もまたそういう話に興味を持って、しかも話を展開できる能力を持っているかというと、ま、そういう状況はなかなかないよね。
そこで、2人はこの後どう話をするか、それにちょっと興味を持った。
というのは、2人は、話すネタがなくても、別れて一人になることはないだろう、と思っているからだ。
日本人というものは、とにかく一人ぼっちが嫌いで、誰かと一緒にいたい。
せっかく一人で旅に出るときでも、わざわざ一緒に旅に行ってくれる人を(昔は雑誌で集めたりしたものだが、今は)インターネットで募集したりする。
または、現地で会える人を、出発前に見つけておこうとする。
でも、正直、旅に出てしまえば、いくらでも出会いのチャンスはあるものなんだよ。
それは、僕のこの旅行記をここまで読んできたキミには、とっくに、なるほどと了解できているだろうけどね。
僕の横にいる二人の学生さん、イーちゃんとコーちゃんは、雰囲気からしてまだ一人旅に慣れていない。
つまり、一人になること自体を怖がっている。
興味のない相手とでも、一人でいて話し相手がいないよりはマシ。
そういう気持ちで、一緒にいることを続けるだろうと思ったんだ。
でも、話が尽きてしまったら、どういう方向に進むのだろう?
そこに興味があった。
僕はひとりで本を読み続けながら、ビールを飲み、彼らの話の続きに期待していた。
話が完全に煮詰まったら、僕が入っていって、話を盛り上げてあげてもいいわけだしね。
というのは、話のつまらない人と2人きりというのは困るけれど、もう一人が入って3人になれば、話はいくらでも広げられるからだ。
一人一人の話を聞きだして、それをぶつけて、二人の違いを際立たせて、もう一歩深く話をするように持って行くことも、僕にとっては簡単なことなんだ。
ところが、コーちゃんが突然、「ここの旅行ノートを読んだんですけれど、世界旅行者という人が、いろいろ書いてましたねー」と言い出した。
(「世界旅行者・海外説教旅」44)
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080810#p1