《世界旅行者は、開遠でバスから放り出されて、地図もなく言葉もわからず、立ちすくむ》

【昆明から開遠へのバス】
翌朝、いつものように朝6時ごろに、目が覚める。
いつも移動の日はこの程度の時間に起きてちょうどいいのだが、ところが今日のバスは、なんと午前11時出発だよ。
まあ、自分で選んだんだけどね(笑)。
念のために目覚まし時計をかけて、もう一度無理に寝ても、7時半には本格的に起きてしまった。
朝の中途半端な時間は、ホント潰しようがないね。
シャワーを二回浴びて、旅行ノートの整理をして、トイレに何度も行って、無理に粘っていたのだ。
が、お掃除おばさんがノックをしてきたので、9時45分にホテルをチェックアウトする。
そして駅から一直線に伸びる北京路を、バスターミナルの方へ、できるだけゆっくり歩いて、高速バス専用待合室へ入る。
豪華な高速バス待合室には、テレビが置いてあって、なんと英語のアナウンスが流れる。
時間があるので、バスターミナルのトイレに二回も通う。
バスの切符を見せると、無料でトイレを使えるので、オシッコを搾り出す。
実は、開遠までの普通のバスはたくさんあったんだよ。
なぜ11時のバスにしたかというと、これだけが高速バス。
当然設備がいいはずで、トイレがあるかもしれない、と思ったからだ。
昆明から大理への往復もこの雲南高速バスを使った。
バスはボルボの大型バスで、シートはもちろんリクライニングして、映画も見れる上に、ミネラルウォーターも、記念品もくれる。
そして一番問題なこと、トイレがついてるんだよ。
僕の旅行記を読むと、なぜかトイレの話がよく出てくると、不思議に思う人もいると思うんだけどさ。
もちろん、過去の、思い出したくない忌まわしい記憶があるんだ。
それが、メキシコのサン・クリストバル・デ・ラス・カーサスからちょっと山を下ったトゥクストラ・グティエーレスへバスの経験なんだ。
このとき僕は中米、南米旅行を終えて、グアテマラシティから米国へ北上していた。
グアテマラからメキシコへの国境を越えて、サン・クリストバル・デ・ラス・カーサスに一泊して、オアハカへのバスに乗った。
その乗る前に、知り合った欧米人旅行者諸君とビールを飲んで盛り上がっちゃってたんだよ。
乗ったとたんにみんなオシッコをしたくなったんだが、そのバスにはトイレがついてない。
みんなでわいわいと運転手に頼んで、バス会社のオフィスに行った。
オフィスにトイレはあったんだけれど、そこの職員がトイレを使わせず、両手を広げて、通せんぼされてしまった(涙)。
そのままバスで山を降りて、一時間半もトイレを我慢して、トゥクストラ・グティエーレスのバスターミナルに着いた。
急いでトイレに行ったら、トイレの前にはすでにながーい列ができていた。
バスターミナルの周囲は繁華街なので、立小便なんかできる雰囲気ではない。
他の外人はそれほど切羽詰ってなかったらしくって、トイレの列に並んだ(欧米人のトイレの回数が少ないのは、驚くほどだよ)。
東洋人である僕は、もう本当にちびりそうだった。
近くの中華料理店へ飛び込んで、トイレに入って、すっきりして、ニコニコしながら「再見!」と出てきたんだ。
とにかくバスに乗った時のトイレの問題って、世界旅行者にとっては深刻なトラウマになってるんだ。
わざわざ選んで、ボルボ製の豪華急行バスに乗り込んだってわけだ。
バスに乗り込んで確認したら、このバスにはトイレはついてなかったけどね(涙)。
バスは定刻通りの11時に昆明を出た。
ちょっと走ると、バスの窓からは、地面から飛び出した岩がポツリポツリと見える。
こういうものがたくさんあるのが、昆明から日帰りする名所「石林」っていうところなんだろうけどね。
と、このときになって、石林を見損なったことに気がついた。
でも、見なくても問題はない。
だって、世界的に有名な桂林の奇岩ならば、それは見る価値も語る意味もある。
でも、昆明の近くの石林なんて場所のことは、普通の日本人は誰も知らない。
知らなければ興味を持ってくれないし、話してもあくびをされるだけ。
もちろん僕も、たいして興味はない。
実はこれも、ちゃんとした経験が下敷きになっている。
それが、ボリビアの首都ラパスの近郊にある「月の谷」ってところ。
現地に行くと、月の谷というのが一応名所になっているし、日本のガイドブックにも紹介してある。
で、わざわざローカルバスに乗って、ずいぶんと坂道を歩いて登って、やっとたどりついた。
しかし実際の月の谷は、ただの工事現場のようなところ。
すぐ近所には普通の家も、サッカーコートも見える、どうでもいいところだったんだよ。
ラパスの近郊にはたいした名所もないらしく、無理やり名所を作ってしまったようだ。
世界中には名所旧跡は山ほどあるが、世界的に知られているところ以外は、わざわざ行っても、ガッカリすることが多いってわけね。
と、ちょっと旅行哲学して、バスの中で快適に文庫本を読んでいた。
これが胡桃沢耕史の「カスバの女」という短編集だ。
胡桃沢耕史は、以前清水正二郎といって大量の「快楽小説」を書き、その版権を売り飛ばして、世界旅行に出た作家だ。
帰国後、海外体験、海外旅行に取材した小説、また特に日中戦争の時代を背景にした謀略冒険ものを書き、シベリア抑留を題材にした「黒パン俘虜記」で89回直木賞を取った。
ただ、「黒パン俘虜記」自体は、たいした作品ではない。
当然取るべきだったのが、その前回の88回の直木賞候補、「天山を越えて」だというのが、定評になっている。
しかし、本当にすごいのは、85回の最初の候補になった「ロン・コン《母の河で唄え》」「ロン・コンPARTU《母の河に眠れ》」だ。
これは、光風社出版から出された『旅人よ』という本にある。
この本にある短編小説のすべてが、海外体験を元にしていて、そのそれぞれが哀しく、切ないんだよね。
85回の直木賞を取ったのが、ただの時代に乗るだけがうまい、あの青島幸夫の「人間万事塞翁が丙午」だった。
今では誰もわざわざ読む気にもならないだろう作品だというのが、ガクッと来るよね。
僕はしかし、ロサンジェルスにいる時に、古本屋の「正直屋」で、徳間文庫の「旅人よ」を買って、大切に持っている。
この本は僕の宝だ。
だって、この徳間文庫の「旅人よ」には、まだ「文庫注文カード」が付いたままで、新品のまま、そのまま古本屋行きになったという、ま、非常に珍しいものなんだからね。
僕の場合、しかし、日本国内ではほとんど胡桃沢耕史の本は読まない、というか、どうしてもわざわざ読む気にならない。
ただ、海外に出ると、なぜかむやみに読みたくなる。
ロサンジェルスの市立図書館では、「翔んでる警視正」シリーズを始めとして、図書館にあるだけの胡桃沢耕史の本を片っ端から読んでいたものだ。
バンコクの古本屋「エリートブック」にも、彼の本はたくさん置いてあった。
世界各地の日本人宿のライブラリーには、胡桃沢耕史の本が、必ず残されている。
もちろん手元の本は、大理の菊屋の本棚から借りてきたものなんだ。
どうやら彼の本の感覚が、海外旅行にぴったりと合うようなんだよ。
彼の著作にある、旅をするものの哀しさ、生きる哀しさは、旅するものが、旅の中で読んで初めて、真に理解できるものなのかもしれない。
11時に昆明を出て、12時30分に宣良という町を通過、午後一時にちょっと長いトイレ休息がある。
バスターミナルにある店で、トウモロコシやお菓子を買って食事する人もいた。
午後二時に保平、2時半に弥勒と通過して、開遠に到着したのは、午後3時。
結局4時間かかったわけだ。
キモチでは午後2時到着のつもりだったので、イライラしながら、窓の外を眺める。
大きな道からぐるりと回って、町に近づいていくと、目の前に巨大な工場らしきものが出現して、それを右に見て、通り過ぎる。
工場の煙突からは、煙がもうもうと上がっている。
なんとなく、空気も汚れている感じだ。
バスターミナルに入って、小汚いバスの並ぶ広場で停車する。
車の車体下のトランクに入れておいたバックパックをもらって背負い、バスターミナルのホールに入る。
ホールはがらんとして人気がなく、イヤに暗い。
階段を登ると、少し明るくなったが、そこが一階だった。
ホールとバスが到着した駐車場はターミナルの正面入り口から、一段下がっているようだ。
ターミナルの正面に立っても、がらんとしている。
町並みはありふれた、くすんだ中国の町だが、別に賑わっているわけでもなく、目に前にあるのは薄汚い通りだ。
天候が悪く、空は曇っていて、その空の暗さが、先ほど見た工場の煤煙からできているような気がする。
イメージ悪いね…。
この町は、こんなものかなー。
こんなところに泊まっても意味ないね。
ちょっと遅くなってもいいから、このまま別のバスに乗って、河口まで行っちゃおうかしら…。
という考えで、バスの切符売り場へ行ってノートを出して、筆談で聞く。
昆明を朝9時45分に出た高速バスが開遠に着いて、それが午後2時に出発する。
それ以外はないそうだ。
おいおい、ということは、わざわざここで一泊しても、乗るバスは昆明を朝に出るバス。
そうなると、どの高速バスに乗っても、河口到着が午後の9時ってことになるのか。
すると、今日ここまで来た意味が全くないじゃないか。
他に河口へ行くバスがないのかと、ノートに「河口」と書いてみせると、手振りでないという。
困った顔をして粘っていると、窓口の女性は僕のノートを取り上げて、「南駅」と書き、電話番号を書いてくれた。
僕の感じたことは、このターミナルからは、河口へ行くバスはない。
どうやらこのバスターミナルとは別に、開遠には南駅という場所があるらしいね。
そこから、河口へのバスが出ているような雰囲気だ。
おいおい、でも、電話番号をもらっても、僕は中国語ができないので、電話がかけられない。
しかも、地図もないのだから、どこへ行ったらいいかわからない。
こんな地方都市に英語がわかるような気の利いた人間がいるとは考えられない。
これは、世界旅行者が開遠で、迷い子になっちゃったってことじゃないかな。
うーん。
これは、地図もない、言葉も通じない、異国の地に放り出されたってことだよね。
この苦境を、世界旅行者が、どう切り抜けるか、それは次回のお楽しみ。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080811#p1
(「世界旅行者・海外説教旅」#48)