《開遠、青年路の食堂で中国人民と楽しい会話》

【青年路片區商業歩行街@開遠】
開遠大酒店正面の階段をトントンと下りて、大きな通りを左へ、つまり南へ歩き出す。
本の詰まった、僕の10kg以上するバックパックを部屋に置いたので、とっても身軽だ。
実は、南駅から歩いて戻ってくる時に、なにやら賑やかそうな通りを見つけていた。
それを、青年路という。
なぜ名前がわかるかというと、この通りの入り口に中国風のゲートがあって、そこに「青年路片區商業歩行街」と書いてあったからね。
つまり、青年路は歩行者天国なんだよ。
歩行者天国ならば、いろんなお店もあれば、食堂、レストランもあるだろうさ。
また、歩行者天国と言うものは、銀座、新宿に限らず、もともと町の中心部に通じているものだ。
僕の計画としては、青年路をぶらぶら歩いて、開遠の中心街を見物する。
適当な食堂でもあれば、そこでビールを飲んで、夕食を取る。
できれば、その上に、お酒とつまみを買ってきて、部屋でゆっくりと今日一日を回想する。
旅の喜びは、ただ、今日一日を無事に生き延びたことを確認する、ここにあるわけだ。
青年路に入って、ずんずん歩くと、中国の商業街そのままに、服屋から、雑貨屋から、食料品店から、食堂までたくさん見つかった。
さらに、青年路の終わりまで、ずいずいっと進むと、右側にかなり感じのいいホテルが見つかる。
その一階が、大きなレストランになっていて、多くの人がわいわいと食事をしているのが、青年路に面した窓からよく見える。
きっとおいしいんだろうね…。
楽しいんだろうね…。
しかし、こういうところは、言葉のできない一人旅の旅行者が入るには、ちょっと似合わない。
一人旅の旅行者の本当の友達は、慣れ親しんだ孤独だけ、なんだからね。
そのホテルは青年路がぶつかった人民中路という、おそらくは繁華街のメインストリートとの角に立っている。
人民中路には車が走っているが、その両側には、よく手入れされた並木と歩道があり、新華書店まであるのを見つける。
通り過ぎたホテルの入り口で人込みがして、フラッシュが見えるので、戻ってみると、なんと、タキシードとウェディングドレスの美男美女の新婚夫婦が、車に乗り込むところだった。
いやはや、最初は開遠をくすんだ工業都市だと思ったりしていたが、やはり中心街に来ると、発展し続けている中国の活力が感じられる。
で、人民中路にまともなスーパーマーケットを見つけたので、中国製ワインとフライドチキンを購入。
これで夜食は一応確保したが、ちょっと夕食を取りたいキモチで、青年路を戻る。
食堂はぽつぽつ見つかるが、問題は、言葉が通じないので、注文ができないのと、値段がわからないこと。
僕の今までの経験では、中国では値段表のないところでは必ずぼったくるものなのだ…。
少々ぼったくられても仕方がないが、またそこで、言い争いをしたり、ゴタゴタするのがイヤなんだよね。
青年路の最初のゲートの近くまで帰ってきた。
が、やはり夕食を食べたいし…と、また後戻りして、なんとなくよさそうな食堂を見つける。
中国人の家族が6人くらいで丸テーブルを囲んで食事をしているので、ひどいところではないだろうと思う。
思い切って入っていって、ジェスチャーで野菜炒めとビールを頼み、さらにギョーザを注文すると、それが水餃子で、日本風の焼き餃子はないようだった。
しかもその水餃子が、出来合いのものらしく、ちっともおいしくない。
一人で本を読みながらビールを飲み食事をしていると、中国人家族の中の青年が話しかけてきた。
で、ノートに「我日本人」と書いたりして、筆談をする。
でも、鉄道に乗った時も書いたと思うが、僕は食事の時に、わざわざ中国の人と、筆談で会話をしたい気持ちはないんだよ。
僕は、海外で地元の人とちょっと話をしただけで、「世界中どこでも変わらない人の優しさを知りました」なんて喜ぶ、そんな低レベルの旅行者じゃないんだからさ。
こんなところで、別に中国人民と、自分が日本人の旅行者で明日河口に行くなんて、そういう世間話なんかしたくないよ。
でも、怒らせて殺されるのもイヤなので、ニコニコしながら、お付き合いをしてあげる。
やっと家族が帰って、またビールを一本追加して、飲みなおして、一人でいることの幸せを噛み締める。
ひょっとして明日、バスが事故にあって、誰にも見取られないまま、中国雲南省の奥地で、一人ぽっちで死んでしまうかもしれない。
でもそれって、とてもスッキリしていて、キモチイイよね。
本当の旅人というものは、自分が生きていることと、身近に常に存在する「死」を隣りあわせとして感じている。
だからこそ、生きている喜びを感じるわけなんだよ。
ちょっと酔っ払って、ふらふらしながら、ホテルの自分の部屋に帰る。
開遠大酒店、ここに僕が魅かれた正直な理由は、実は、このホテルが潰れかけていると感じたからだ。
こんなに客が少なければ、ホテルは、明日にでも潰れてしまうかもしれない。
日本と違って、中国ではすべてが激しく急速に動いている。
それがとてもキモチイイ。
万が一、僕が開遠へまた来ることがあっても、僕はこのホテルも、部屋も、二度と見ることがないだろう。
だからこそ、僕はこのホテルに泊まりたかった。
それは、僕が、西アフリカでセネガルのダカールからマリのバマコまでのすぐにでも終わりそうな国際列車に乗ったことと同じだ。
旅人は、過ぎ去ったものを記憶するために、生きている。
その記憶を、自分と共に、葬り去る。
それこそが、とても贅沢なことなのだと、知っている。
(「世界旅行者・海外説教旅」#50)