《おんぼろバスのおんぼろ座席に押し込められて、開遠から河口へ》

【開遠の南バスターミナル】
開遠大酒店の僕の部屋は9階にあって、一見すると、東京のシティホテルの雰囲気だ。
「東京のシティホテル」と書く意味は、世界標準からは部屋がちょっと狭い、ってことだけどね。
でも、ツインで120元、日本円で1800円なんだから、悪くはないさ。
部屋ごとにクーラーが設置してあるのが、ちょっち興醒めだけどね。
ただ、中国のホテルは、表面は立派なように見えても、でも、いろんなところで手抜きがしてあって、作りが雑なんだよ。
それが、この部屋でも、水まわりやテーブル、ベッドなどあちこちに見られた。
しかもこのホテルでは、洗面台のところにおいてある化粧品もうっかり使うと、それには料金がかかるようにうまく仕掛けがしてあるのだ。
もちろん小さなホテル用の石鹸はタダなのだが、その横のいわくありげなシャンプーが、うっかり使うと金を取られるように仕組んであった。
危ない、危ない。
僕は、それをちゃんと予想していたので、ライティングテーブルの引き出しの中に、細かい料金表を見つけたよ。
その料金表には、化粧品ばかりか、バスタオルを始めとして、テレビ、電話機など部屋の備品の細かい値段までずらりと書いてある。
つまり、バスタオルや電話機(!)なんか…、黙って持って帰る人が多いんだろうね…。
テレビまで持っていく人がいるとは思えないが、中国はわからないからなー(笑)。
そういえばかなり昔の話だが、日本のお上品な某女子大のヨーロッパ旅行で、イタリアのホテルからほとんどみんながバスタオルを持ち出していたのが発見されたことがあった。
ホテルのロビーでスーツケースを開けさせられたら、今までのホテルのバスタオルがきちんと整理してあったという、とんでもない、というかいかにもありそうな話だったね。
このことからも、日本の女の子のお上品さなんて、外見だけだと、よくわかるよね。
パリだ、ニューヨークだ、ブランドだ、ワインがどうだこうだ言ってても、一皮向けば、所詮は、アジアの片田舎の貧しい農民の娘なんだからさ。
日本でも、昔はホテルに泊まると、「高い金を払ったんだから、この部屋から何か持ち出せるものはないか?」と考えたものだよね(僕だけじゃないよね。みんなそうでしょ?)。
いま中国は、日本のやっとその段階を歩んでいるのかもしれないよ。
とにかく、そういう素人を引っ掛けるための落とし穴にはまらないように、うまくすり抜けて、危ないものは使わず触らず、世界旅行者先生は無事に朝を迎える。
朝食はないのかというと、昨夜のワインの残りと、冷えたフライドチキンがある。
これがとてもオイシイ。
すきっ腹にアルコールが入るので、朝から頭がフラフラッとするよ。
ホント、キモチイイね〜♪
海外個人旅行の楽しみは、朝から酒を飲んでも、ちっとも後ろめたくないってこと、これが一番なんだよ。
ところで、昨日昆明から開遠まで乗ってきたボルボの大型バスには、あんなにいいバスだったのに、トイレがなかった。
当然、開遠から河口へのバスにはトイレはないだろう。
だから、朝になって、あまり水を取りすぎてはいけない。
もちろん、ここは中国だから、バスに乗ってても、適当にトイレ休息は取るだろうとは思うけどさ。
でも、何も信じてはいけない。
信じられるものは何もなく、思いがけないことが普通に起きる。
それが、海外個人旅行というものなのだ。
フロントまで降りて、部屋をチェックアウトの時、もちろん、そこから部屋係のおばさんに電話をかけて、僕の部屋で使ったものがないか細かく調べるので、ちょっと時間がかかる。
残念ながら、このケチな客(僕だけどさ)は引っかからなかったみたいだ。
中国では、ホテルをチェックアウトする時に、「部屋のものがなくなっているから支払え!」などの言いがかりをつけられる可能性がある。
そのトラブルの余裕を見てホテルをチェックアウトしたので、ホテルを出ると、バスの出発までに時間は十二分にある。
一度歩いたのだからと、タクシーに乗らず、バックパックを背負って、ゆっくりと南バスターミナルまで歩く。
昨日開遠へ到着して、一晩を過ごしただけなのに、もう開遠は、長く住んでいた町のような気がするよね。
でも、この町とも、おそらく一生お別れだ。
もう二度と戻ってくることはない。
そう思えば、足元の割れた敷石さえ貴重に思える。
足元をじっくりと見ながら、歩を進める。
もちろん、足元に注意する理由は、敷石の割れ目に足を突っ込んで捻挫でもしたら、個人旅行では大変なことになっちゃうからだけどね。
南駅に、バスの出発時刻の15分ぐらい前に到着して、またトイレに行って、ゲートでコンピューター印字された切符を見せる。
今日も、大型バスに乗って、リクライニングシートでゆったりと文庫本を読みながら、河口まで行くつもりだった。
ところが、指差された先にあるのが、ぼろぼろのマイクロバスだよ。
しかも、すでに人がぎっしりと乗り込んでいて、バスの屋根の上には荷物が山積みになって、ネットがかけてある。
むーん、世界旅行者はちょっと失敗したみたいだ。
それは、昆明を中心として運行している高速バスの快適さに慣れてしまって、中国の田舎を走る普通のバスがどういうものか、想像できなかった。
コンピューター印字された座席指定の切符を持っているとしても、バス自体が近代化されているとは限らない。
バスは昔のままで、バスターミナルのシステムだけが近代化されている場合もあるわけだ。
早い話、僕はただの田舎のマイクロバスに乗る切符を持っているだけなんだ。
僕はバスへ歩いていって、座席番号一番の席を要求しようと考える。
バスへ向かってずんずん進む。
体の大きい顔の怖い兄ちゃんが僕を見て、バックパックを取り上げ、バスの上に積み上げる。
そして、ぎっしりと人の詰まったマイクロバスの一番後ろのすみっこに僕を押し込めた。
言葉も通じないんだし、文句を言ったら殴られそうな雰囲気なので、おとなしく席に着く。
この兄ちゃんはわけがわからないので、さしあたりおとなしく言うことを聞いておいて、運転手が来たら文句を言って、席を替わろうと考える。
ただすぐにわかったのだが、この怖そうな兄ちゃんが運転手だったんだけどね…。
マイクロバスでも、普通の席は一応リクライニングするのだけれど、一番後ろなので、リクライニングせずに、とても座り心地が悪い。
その上、バスの床まで荷物が押し込んであるので、僕の短い脚でも折り畳まないと、座れないよ(涙)。
バスは通路までぎっしりと人を乗せて、だいたい予定時刻の8時半に出発する。
しかし、時間通りに出発したかと安心すると、すぐにガソリンスタンドに寄って、給油をする…。
僕の計算では、河口まで8時間かかるから、到着は午後4時半。
しかし、昆明から開遠までが3時間の予定だったのに、実際は4時間かかったことを考えると、遅れて午後6時前と考えるのが無難な予測かもしれない。
午後6時前ならば、まだ日の光はあるわけだし、なんとかぎりぎり宿は見つけられるはず。
出発間際に、身体の大きいおじさんが乗り込んで僕の横に座ったので、マイクロバスの最後尾の座席は全く身動きが取れない。
昨日のボルボの大型バスは快適だった、でも、今日のマイクロバスは最低だ。
でも、どちらのタイプのバスも、僕は世界各地で乗りなれているから、それを素直に受け入れる。
こういうバスで考えることは、何も考えずに、身体を揺れに任せて、死人のようにクタッとしていることだよ。
小型バスで、揺れも激しいから、文庫本も読めないしね。
人を一杯詰め込んだマイクロバスは、ズン、ズン、ズン、ウンチャ、ウンチャ、ドスコイ、ドスコイと進む。
開遠から南は、道が狭く、またくねくねと曲がってるよ。
昨日の、昆明から開遠は、道幅の広いまっすぐな道路だったんだけどさ。
つまり、ここから本格的な山道に入っていくのだろう。
それならば、雲南省の山間を行くバスだから景色がいいかというと、マイクロバスのガラスが汚れていて、外の景色はほとんど楽しめない。
名物の景色が山に刻まれた段々畑とらしいが、そんなもの日本のほうがずっときれいなものが見れるよね。
結局このルートでは、山だけで、日本人が感動するような景色は存在しないんだよ。
日本の山岳地方を車で走ったほうが、ずっとすごい景色が見られることだろう。
日本のあちこちを自転車で走りまくった世界旅行者先生がそれを保証しておこう。
昆明とハノイを結ぶ狭軌鉄道の線路がところどころ道路と平行に谷間を走っているのが、途中途中で見える。
ただ線路の保線事業が大変だろうなー、と同情心しか湧かなかった。
11時半ごろ屏辺というところに止まった。
人が乗り降りして、乗客はその機会にトイレに行く。
ここが開遠と河口の途中の一番大きい町みたいだ。
屏辺を出て、さらに細い山道を走るが、バスはスピードを出せない。
というのは、くねった山道では前の車を追い越せないんだよね。
途中で「蒙自→河口」とプレートのついたマイクロバスがエンストしていて、その乗客を6人乗せる。
せっかく客が降りて、座席の居心地がよくなったのに、また満員になるよ(涙)。
ところで、この「蒙自」という町、ま、バスはスッと通り過ぎて記憶にも残ってない。
たまたま読んだ、「九七重爆隊空戦記(光人社NF文庫)」で、名前を見つけた。
それによると、
>>ハノイから援蒋ルートの蒙自を爆撃するため、九七重と九七戦の戦爆連合で出撃することになった(74ページ、14行目)
とあるよ。
つまり、この蒙自から昆明にかけての深い山の中は、日中戦争、大東亜戦争の時代に、重慶にある蒋介石の国民党政府への米英の援助物資の通り道だったんだよ。
戦争というのは、大変なことを、平気でやっちゃうものだよね。
本には蒙自を爆撃しに出た、九七式重爆撃機が中国軍の戦闘機に撃墜されて、日本軍の操縦士が手を振りながら、山の中に墜落していくシーンが描いてある。
ということは、この雲南省の山の中には、日本軍、中国軍の飛行機の残骸と、遺体がまだあちこちに散らばったままなんだろうね。
所詮、ただの遊び人である旅行者が、こんなところをバスや列車で通ったところで、比べ物なんかにならないよ。
命を賭けて大きな目的のために戦った人たちと、ただ目的もなく、ふらふらしている人間なんか…。
ま、その気楽さが旅行者というものなんだけどさ。
午後1時半ごろ、道の途中でバスが止まる。
公安の制服を着た女性がバスに入ってきて、厳しい顔でじろりと客を眺める。
国境が近くなってきたので、チェックが厳しいのだろう。
次々に客が降りて行って、イヤにスカスカになったと思ったら、急に大きな町に入る。
「あれれ、まだ河口へ着くには早すぎるが…」と思っていると、大きなバスターミナル前の道端で、みんながぞろぞろと降りる。
ノートに「河口」と書いて、運転手に見せると、そうだとうなずかれる。
でも、時間はまだ、午後2時だよ。
8時間以上かかると思っていたら、たったの5時間半で、国境の町河口へ到着したんだ!
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080926#p2
(「世界旅行者・海外説教旅」#51)