《国境を越えることは、哲学的な行為である》

【中国の出入国管理事務所/HEKOU ENTRY AND EXIT INSPECTION CENTRE P.R.C.】
中国河口、東方賓館で旅に出たときの習慣として、朝の6時ごろには目を覚ます。
今日はベトナムへの国境を越える、いよいよその日だ。
ツインの部屋の片方のベッドに、バックパックの中身を全部空けて、もう一度チェックする。
パスポートを取り出して、ベトナムのビザがあること、その有効期限を再度じっくりと確認する。
2004年1月1日からはベトナムへの「15日を超えない短期観光旅行」にはビザが不要になった。
旅は簡単になったが、これでベトナム旅行の面白さがガクッと減ったよ。
やはり海外旅行というものは、自分が興味を持った国に入るための条件をいちいちクリアして、いろいろ苦労をしてビザを取って、それからやっと始まるのが本当だからね。
ビザが不要になってしまっては、その面白さがなくなってしまう。
思いついたときに飛行機に乗りさえすれば、誰でも簡単にすんなりとベトナム旅行ができてしまうようになったら、ベトナム旅行のもともとの価値がググッと減少してしまううよ。
これではちっとも面白くないし、自慢にもならない。
ベトナムへの旅行というのは、昔は、日本でベトナムビザを取るのに旅行代理店に高額の手数料を払って大変な手続きが必要だったものだ。
「地球の歩き方」の最初のベトナムのガイドブック(「フロンティア」シリーズ)には、個人で何ヶ月もかけて交渉して、ベトナムビザを取った話が、本の一番最初に、まるでものすごい大事業のように大げさに紹介してあった。
ただそのころでも、バンコクでは誰でも、ただ一週間待てば、簡単に無条件でベトナムビザが取れていた。
だから、ちょっと海外旅行を知っている人間からは、「この本を書いた連中は、旅行のことを何にも知らない。バッカじゃないの!」と、笑われていたものだ。
その時代は、ベトナムへ行ったというだけで、大きな顔ができたものだった。
だから、女性雑誌がベトナム雑貨ブームをあおり、テレビの旅番組でタレントがベトナムの見所を説明し、それにのったOL、主婦層がベトナムへどどっと繰り出すようになった後では、ベトナム旅行自体の価値はほとんどなくなってしまった。
海外旅行麻雀の法則というのがこの世には存在する(この詳しい話は「大人の海外個人旅行」西アフリカ旅行記に詳しいので、興味がある人は買って読んでね)。
それによると、ベトナム、北朝鮮、キューバの三つの国の入国スタンプをそろえると、一つの社会主義国面子ができることになっている。
ま、僕はもちろん、この三つとも旅行したよ。
なぜわざわざ書くかというと、もちろん、ただの旅行自慢なんだけどさ。
海外旅行なんて、自己満足をして、他人に自慢するためにやるだけの話で、それ以外に深い意味はないんだよ。
というわけで、今はベトナム旅行自体、全く普通の海外の観光地になってしまった。
ただ、この2002年の夏の時点では、僕はベトナムビザをわざわざ東京のベトナム大使館へ自分で足を運んで取っていた。
だから、ベトナムへ入るにも感慨、感動があるわけで、じっとビザを見てもの思いにふける理由、意味があるわけだよ。
荷物を念入りにチェックするのは、万が一このホテルに何か忘れたとして、一度ベトナムへ入ってしまったら、普通は、もう中国のビザがないので、忘れ物を取りに、中国へ戻って来ることができないから。
ここで「普通は」と念を入れた理由はだね、実は世界旅行者は中国のダブルエントリービザとベトナムのマルチエントリービザを持っているので、一度だけなら戻ってこれるようにちゃんと考えてあるんだけどさ(笑)。
しかし、普通の人は、一度国境を渡ったら、二度と戻って来れない。
そうなると、国境とはこの世(中国)とあの世(ベトナム)の生死の境のようなものだね。
2003年9月1日から、中国へもベトナムと同じに、「15日を越えない短期観光旅行はビザが不要」になってしまったので、この河口とラオカイの陸路国境については、日本人なら簡単に行ったり来たりできるようになってしまった。
そうなると、ちっとも国境の重みがないよね。
でも、2002年の夏のある朝はまだ緊張感があったので、国境を越える準備が忙しかったんだよ。
まず、とにかく、荷物をチェックして忘れ物がないか確認する。
そして、トイレに何回も行く。
今朝は別にバスに長時間乗ったりするわけではないのに、しつこくトイレに通う理由は、今から国境を越えるから。
実はこのベトナムのラオカイ国境というのは、なかなかウルサイところだという噂が飛び交っていた。
国境の入国審査官が、理由のない手数料(つまり、裏金)を要求したり、いろいろと文句をつけて、旅行者をいじめて時間潰しをすると聞いている。
国境を越える時の個人旅行者ほど、弱い立場の者はいないよ。
書類上に不備があろうがなかろうが、例えすべての書類がきれいに揃っていても、そんなことは意味がない。
どの国でも、入国許可をする権限は入国審査をする職員個人の判断が最終なのだ。
だから、何を言われても、何を要求されても、従うしかない。
ということは、入国審査官に逆立ちを命じられたら、旅行者としては逆立ちしなければならない。
東京音頭を踊れと言われたら、踊らなければならないってわけだ。
「いくらなんでもそんなことはないだろう」と思うようでは、海外旅行の素人だとばれるから注意した方がいいよ。
実際僕は、中米エルサルバドルからホンジュラスへの国境の橋の上で、警備兵から「足を頭の上まで上げて見せろ」と言われたくらいなんだから(これは僕の「間違いだらけの海外個人旅行」に書いてあるので、買って読んでね♪)。
大きな国では、出入国管理(Immigration)と税関(Customs)と検疫(Quarantine)が別々にあるのが原則だ。
でも、今ではよほどのことがない限り検疫は素通りになる。
そして、小さな陸路国境などでは入国管理と税関は、ほとんど一体化している。
入国審査で怪しいとにらまれたり、嫌われたら、当然のこととして、税関での荷物のチェックは厳しくなるだろう。
すると、持ち物を調べるという理由で、全裸にされて、身体を触られても、それは正当な職務の範囲内なので、文句が言えない。
パンツを脱がされて、男性の場合はチンコの皮をむかれても文句は言えない。
女性の場合でも裸にされて、薬物を持っているかどうか調べるため、言われれば、全く普通の、当然の職務範囲内だ。
実際、かなり昔の話だが、早稲田の女子学生が体内に輸入禁止物を隠して持ち込もうとして逮捕されたことがあったしね。
ということは、きれいな女の子が、裸にされて、身体中を調べられても、それは普通の職務の範囲内と言い訳できる。
いま気がついたんだけどさ、SM趣味の人は、税関職員になれば、すき放題のことが出来るってことか…(メモメモ)。
これは、冗談の話ではなくて、実際にそういうことはよく聞くんだよね。
僕が最初の世界一周旅行の時、モロッコからアルジェリアへの陸路国境を越えなかったのもそれが一つの理由だった。
「地球の歩き方・北アフリカ編」に、読者の体験談として「国境を越える時に、パンツも脱がされて、全裸にされて、検査された」という話があったんだ。
そういう話がある国境をわざわざ越えようとは思わないよ。
もちろん、反抗したければ反抗してもいい。
でも、何の役にも立たない。
反抗して、入国を拒否されるだけならまだいい。
お役人様に対して文句をつければ、刑務所行きにされてしまっても、不当だとはいえないんだからさ。
ということは、入国審査の時に、意地悪で、ごく普通に、入国スタンプを押すことにわざとものすごい時間を掛けられる可能性だってあるわけだ。
そこで、ずーっと何時間も待たされるとして、その時に、トイレに行きたくなったらどうなるだろう。
しかも、入国審査の場所にトイレがあるとは限らないのだから…。
トイレを探しに勝手にふらふら移動したら、その隙に、入国審査の呼び出しをくらうこともあるだろう。
その瞬間にトイレへ行ってたら、出頭しないからと、パスポートを破って捨てられてしまうかもしれない。
そうなると、中国を出国したのに、ベトナムへ入国拒否されるわけだ。
この場合、中国へ戻るビザがないとしたら、中国とベトナムの橋の上で一生を過ごさなければならない。
こんなことが起きたら、記録映画にでも残る有名人になってしまうだろうね。
少なくとも日本のテレビ局は、「世界びっくり人間」なんかの番組で、インタビューに来ることに、間違いない!
実際、パリの空港で入国出来ず、空港で生活している人もいるとか。
米国へ入国できずに、JFKに住み着いている人の話は映画にもなったよね。
トム・ハンクス主演の「ターミナル/ The Terminal(2004)」は、本国でクーデターが起こって、米国へ入国できず、帰国も出来ず、JFKで住み続ける人の話です。
ということは、中国とベトナムの国境の間の橋の上で生活していても、不思議ではない。
また、日本国外務省は、政治家の紹介状のない個人旅行者は無視する性格があるから、助けてくれなくても、しかたがない。
僕としても、この歳になっても、イッパツ有名にはなりたい色気は十分に持っているよ。
でも、そんなマヌケな話で名前を売りたくはないよなー(涙)。
入国審査のカウンターを離れられないからと、それではトイレに行かないまま、オシッコをちびったとする。
それはそれでまた、国境の事務所を汚したということで、逮捕されて刑務所行きになるだろう。
オシッコくらいなら、許してもらえるかもしれないが、ウンコをもらしてイミグレーションオフィスが臭くなった、タダでは済まない。
これはもう、入国管理事務所の所長の判断で、その場で銃殺になっても、仕方ないかもね。
だから、とにかく、国境を越える朝は絶対にトイレを済ませて、ウンコも尿も完全に排出しておくことが大事なんだ。
さらに念のために、正露丸を三粒飲む。
ま、正露丸というのは、実際に効果があるかどうかは別にして、海外個人旅行者の精神安定剤といえるかもしれない。
そして、サイフのお金をチェックする。
中国元を細かく数えると123元残っている。
読者は覚えているだろうか、僕が新鑑真号で上海に着いた時、中国銀行の出張所で4万円を、大胆に一気にズバリと元に両替したことを。
そのあと両替の話が全く出てこなかった理由はだね、その4万円をずるずると使い続けていたからなんだよ。
その残りが、123元だ。
実は僕が河口でちょっと値段の張る東方賓館へ泊まった理由は、元を中国で使い切ってしまうつもりだったからなんだ。
中国を出国する時に、何かの手数料(出国税で)お金を取られるとは聞いたことがないが、その可能性は否定できない。
その時には当然、中国元が必要だ。
123元あれば、日本円で1500円以上あるのだから、たとえ出国税があったとしても、普通は何とか払えるだろう。
もちろん、小額のドル紙幣も十分に用意してある。
ベトナムへ入る時に、いくらか取られる可能性もある。
その時は、きっちりと支払えるように用意しておかないと、お釣りをくれなかったり、お釣りを両替率の悪いドンでくれることもあるよ。
ま、それ自体は、たいした損にはならないだろうけどね。
ただ、そういう可能性があるのをわかっていながら、準備をしておかないというのは、少なくとも世界旅行者としてはまずい。
海外旅行のすべてのことを経験し、あらゆる問題に対して完璧に準備してあるのが当然の立場の人間としては、ちょっと格好悪くて、言い訳ができないんだ。
ベトナムへ入ったら、もちろんベトナムの通貨、ベトナムドンへ両替しなければならない。
こういう国境で両替する場合は、もちろんドルの現金が世界中で絶対的に最も通用するんだよ。
さらに国境での両替が、両替率がいいのか悪いのか、それが判断できるまで、両替は小額に留めておいたほうが安全だ。
50ドル札2枚、20ドル札5枚、あと、10ドル札、5ドル札、1ドル札を細かく用意して、僕のルイヴィトンの財布に入れる。
これで少なくとも国境を越えるときに、どんな難癖をつけられても、何とか切り抜ける準備ができた。
両替も、ラオカイで50ドル程度やっておけば、ハノイまでは何とかなるはずさ。
これで、今日一日に関しては、どんなことがあってもやっていけるだけのドルの用意ができた。
ホテルの部屋を出たのは、午前8時30分だ。
その理由はもちろん、(前日に調べておいた)国境の出入国管理事務所が開くのが午前8時だったから。
オープンが午前8時だとすると、昆明から夜行バスで河口へ来た旅行者諸君でゲートが混んでいるだろう。
8時半を過ぎて9時近くになれば、朝の混雑が一息ついて、国境をすんなりと通れるはずと思ったのだ。
国境の検問所を通過するだけでも、世界旅行者はこれだけ細かくいろんな条件を考えているわけだよ。
僕は世界中のすべての国境を、全く問題なく、一度も引っかかることなく通過してきた。
それはもちろん、それだけの準備、それだけの気配りがあるわけなんだ(笑)。
中国側の巨大な白亜の出入国管理事務所(HEKOU ENTRY AND EXIT INSPECTION CENTRE P.R.C.)のあるビルへ、トントンと階段を上がって入る。
出国ゲート手前のテーブルに出国カードが置いてあるので、それをあっさりと記入する。
出国カードを、パスポートの中国のビザシールが貼ってある場所に挟み込む。
こういう細かい心配りというのでしょうか、これが世界中のすべての国境をするするっと越えてきた世界旅行者先生のテクニックなんだよ。
僕は何の不安もなく、完璧な自信を持って、ゲートへ進んだ。
すると突然、警備員らしい中国人男性が、僕の肩をつかんで、ぐいっと後ろへ引っ張る。
なぜだ!
すべて問題なく、書類も整い、出国カードにも記入し、中国へオーバーステイもしていない。
怪しいものも持っていないし、お金だって中国からベトナムを旅行するくらいは十分に持っている。
しかし、その制服を着た警備員、つまり、国境警備隊の隊員は、僕をゲートから押しのけて、後ろへ連行したのだ。
どうしたのだ!
そんなはずはない…。
でも、ひょっとしたら、あのことかしら…。
さて、世界旅行者は河口の出国ゲートで逮捕されてしまうのか?
無事に中国を出国できるのか?
そして、世界旅行者の「心当たり」とはなんだろう。
それは、次回のお楽しみです。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20071209
(「世界旅行者・海外説教旅」#54)