上海〜バンコク旅行記(2002)第65話:ホンゴックホテル305号室にチェックインして豪華朝食を取る。
【【ホンゴックホテルの名刺の表(左)と裏(右)】】
ハノイ駅前の有料トイレで大を済ませて、待合室へ戻る。
僕は歳なので、午前5時くらいには、前夜寝ていなくても目がパッチリと覚める。

することがないので、「Lonely Planet South East Asia on a Shoestring」を読む。
なにしろ、ハノイがどういうところか、いままで全く調べてないんだから。

だいたい人間、ぎりぎりにならないと何もやる気が起きないものだ。
大日本帝国海軍も、本気で戦争をする気になったのは、トラック島が米軍に完全にやられてしまって(1944年2月17日、18日)からなんだから。

それまでは、戦争とは言いながら、帝国海軍は、みんなで酒を飲んで芸者をあげて、楽しく過ごしてました。
1942年10月の南太平洋海戦(1942/10/26)から、1944年6月のマリアナ沖海戦まで、1年8か月間、連合艦隊はなにもせず遊んでいた。

というわけだから、世界旅行者もハノイについて考えるのは、ハノイ駅について、朝になって、いよいよ動かなければどうしようもないというぎりぎりの時になってから。
日本人とは、もともとそういうものなんだ。

これを書いている時点での情報を書くと、石原慎太郎が作った「新銀行東京」は、設立の時から失敗する、無理だといわれていた。
その通りまともな融資ができず、不良貸出先が次々と潰れても、まともな対応はしない。

いよいよどうしようもなくなるまで、誰も何も手を打たなかった。
みんなで宴会をやっていた(これは想像だが、当然忘年会、新年会はやってただろうからね)。

大東亜戦争から現代まで、日本人というものは、その場その場の目の前のことしかやらないもの。
だから、僕のファンで「どうして自分は計画性がなく、行動力がないんだろう」と嘆いているキミ、キミは典型的な日本人なので、自分を卑下することはない。

ねー、僕の旅行記を読むと、元気が出るでしょ(笑)。
そうやって僕自身も、自分を慰めているわけなんだよ(涙)。

とにかく、駅の待合室で「Lonely Planet」を読み出した。
ハノイには安宿街があるようだ。

ホアンキエム湖の北側がバックパッカーストリートになっている。
そこの「アンシン」というゲストハウスに、日本人がいると聞いていた。

たぶんドミだろうから、僕が泊まることはない。
ただ、日本人旅行者を見つけて、一緒に飯を食う相手にしてもいい。

「Lonely Planet」のハノイ地図で距離を見ると、中途半端に遠い。
20分程度は歩くようだ。

でも地図があるので問題はない。
午前6時になって、だんだんと明るくなってくる。

さてどうするかだ。
まずとにかく、ホテルを見つけなければならないが…。

午前6時になれば、動き出してもいい。
だいたいバックパッカー宿というものは、朝が早い。

午前7時になれば、その日にチェックインできる。
チェックインできなくても、荷物を預けてベッドを確保できる。

そのあとは、時間つぶしに、朝飯を食べてもいい。
旧フランス領のベトナムの首都だから、洒落たカフェもあることだろう。

というわけで僕は、金髪くん亜瀬尾くんに声をかけて、バックパックを背負った。
僕が「Lonely Planet」を開いて、地図を見ながら、ズンズンと歩いて行く。

2人は僕よりもちょっと遅れて、話しながら着いてくる。
朝のハノイはまだ町が動いてないので、がらんとしている。

バックパックを背負った僕は、すたすたすたっと歩を進める。
頭の中は、今日やることを考えている。

まずどこか適当な宿を決める。
そして、今日中に世界遺産のハロン湾へのツアーを申し込む。

ハロン湾を見てしまえば、すぐにフエへ移動するつもりだ。
それにしても、とにかくどこかホテルを決めて、バックパックを置かないと動きが取れない。

バックパックを背負って地図を見ながら歩く、僕のスピードは大変なものだ。
頭の中は、自分の位置を地図で確認することで一杯。

そうして歩いている、他の2人をかなり遠くへ置き去りにしてしまった。
2人を待ってもいい。

ただよく考えると、2人とはどうせハノイで別れることになる。
河口からラオカイの国境越えのときも旅行哲学しているが、国境を越える時には旅行者は互いに知り合って助け合うもの。

それは、国境ではいろんな危ないことがあるので、集団になって危険を避けるためだ。
また、一緒に旅行すれば、助け合うことができる。

例えば今朝、僕がハノイ駅でトイレを探した時。
僕のバックパックは2人に見張ってもらった。

もちろん僕も、彼らのバックパックを見張ったりした。
それよりも何よりも3人が一緒だということで、危険度は低くなるね。

ところが僕たちはもう、新しい町へ来てしまった。
ハノイには山ほど安宿があるので、同じところに泊まる意味がない。

また、ハノイには旅行者はうじゃうじゃいることだろう。
新しい旅行者といくらでも知り合うことができる。

すると、無理に3人が一緒に行動する意味はない。
また、わざわざ改めて別れの言葉を告げる必要もない。

だって、旅行者というものは、同じようなルートを通る。
会うものならばまたどこかでまた再会するだろう。

そう思った僕は、さらに歩くスピードを上げて、後ろを振り向かず、進んだ。
結局2人を振り切ってしまったみたいだ。

今日はとにかく、ホットシャワーを浴びて、ゆっくりと寝たい。
何しろ昨夜は、がたがた列車のベッドで、ほとんど寝てないんだから。

歩きながら、「Lonely Planet」をめくっている。
「Place to Stay - Mid-Range」のトップに「ホンゴックホテル(Hong Ngoc Hotel) 1」というのを発見する。
Hong Ngoc Hotel http://www.hongngochotel.com/
このホテルの場所が「34 Pho Hang Manh」となっていて、歩いている通りからちょっと左へ入ったことろだ。
それなら一応見るだけ見てみましょうか。

フランス風の街路樹のある町並みがちょっとアジア風に崩れた感じの通りに、ホンゴックホテルは見つかった。
ホテルのドアは開いていたので、入っていって声をかけると、フロントの男性が挨拶する。

清潔な服装で、髪の毛もさっぱりしていて、なかなかの美男子だ。
僕はにっこりと笑って、「Good morning! Do you have a room?」と聞く。

世界旅行者とフロントの美男子の視線が絡み合い、互いを値踏みする。
ぼくの格調ある英語で僕の知的レベルを知らせ、雰囲気と目つきで人間としての格が高いことが了解される。

僕が想像するに、ベトナムでは旅行者を厳しく管理している。
だから、サパでホテルに泊まり、夜行寝台でハノイへ午前4時に到着した僕の行動は、警察によってすべて調べられていただろう。

また、駅の待合室にも警察がいたはずだ。
すると、ホンゴックホテルへは「これこれの服装をした日本人がやってくる」と報告が行っていると考えられるね。

しかも、2002年には僕は3冊目の本「大人の海外個人旅行」を出版したばかり。
この本にはベトナムについて、あんまりいいことは書いてない。

ベトナムへ旅する人が多いのは、日本の女性雑誌がよってたかってベトナムを取り上げて持ち上げているだけで、ベトナムは特に見るところはありません。
ベトナムには「人をだます」「値段を吹っかける」という評判が多いので注意してください。

続けて3冊も旅行本を出した日本人。
その世界旅行者がわざわざベトナムへ個人旅行に来たのだ。

つまり、ベトナム中の警察が僕に対して特別警戒態勢に入っていると予想できる。
こう考えるのが、誰が考えても常識だろうね。

ところで、僕ほどの旅行経験があって本も出して、講演もして、ラジオにも出演していれば、日本以外ではセレブと認められる。
世界旅行者みどりのくつした(みどくつさん/みど先生)を高く評価しないのは、日本だけだよ(涙)。

でもまあその理由はわかってるけどね。

つまり、僕みたいな正真正銘の本当の世界旅行者が出てくると、東南アジア旅行程度で旅行自慢をしていた人たちの立場がなくなってしまうんだ。
だから、本物を認めようとしない。

しかしそれは仕方がない。
その「ひがみ、ねたみ、そねみ」で目立つ人間の足を引っ張って生きているのが、日本人というものなのだから。

でも、日本人が変わらないならば、外国に出て行けばいいだけだ。
それなのに、僕は日本という国に引きこもってしまった。

正直、本当に才能のある人は、日本を出て、ニューヨークに行くものだ。
欧米で活躍しなければ本物ではない。

だから、僕も自分の才能に本当に自信があるならば、ニューヨークへ行って、英語で本を書くべきなんだ。
また、ブログにしても、サイトにしても、英語で書くべきだ。

昔そう考えたこともないわけではなかったが、僕はそういう本当のチャレンジから逃げてしまった。
日本にいて、日本人を馬鹿にしていたほうが楽だからね。

そういう楽な道を選んだ人間が、日本社会を本当に非難することはできない。
それもまた、僕はわかっているんだよ。

このホテルはさすがに人気らしいが、それでももちろんベトナム共産党中央の特別命令によって、僕に対して部屋を一つ無理に空けてくれた。
それが305号室、クーラー、シャワー、トイレ、テレビ付き。

大きなダブルベッドの部屋で25ドル。
ちょっと高いが、テーブルも椅子も重厚な木でできていて、すごく落ち着く。

ただ、オーストラリア人がチェックアウトしたばかりということで、まだベッドを作ってない。
バックパックは部屋に置いていい。

ホンゴックホテルは1階で朝食の用意をしていた。
部屋代には朝食も含まれているとか。

部屋代に含まれているのは、もちろん明日の朝の食事だ。
しかしお腹もすいていることだし、今朝の朝食も付けさせる。

ベトナム風の熱い麺と、洋風のトースト、コーヒー、卵、ソーセージまである、かなり本格的なものだ♪
この朝食は、正直、僕が世界中旅をしてきて食べたものの中でトップ3に入る。

これで25ドルならば、ゼッタイにオススメです。
さすが「Lonely Planet」の中級ホテルのトップに掲載されているだけのことはある。

スタッフは「日本の女の子も泊まってますよ」と言う。
が、それは、ホテルが客引きのためによく使う言葉なので、適当に聞き流す。

朝食も済ませ、部屋にバックパックも置いた。
ただベッドメイクは済んでいない。

それならば、まだ朝は早いが、ハノイのバックパッカーストリートを歩いてみましょうか。
そう決めた世界旅行者先生は、ホテルを飛び出して、さらに歩きます。

目指すところは、日本人宿?のアンシンホテルがあるハンベー(Hang Be)通りだ。
そこで何を見つけるか、それは次回のお楽しみ♪

【旅行哲学】いいホテルを見つけるのは、旅の最大の喜び。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080311