『ビンジュオンホテルには、マンガを読みふける日本人の若者がたくさんいた/黒人がミエミエに日本女性を口説く』@フエ/ベトナム

【ビンジュオンホテルのマネージャー「ショウさん」と(2002)】
2002年8月9日、午前10時16分。
予定よりも3分遅れで、ハノイ発のE1列車はフエの鉄道駅に到着した。

駅前でバイタクに乗り、日本人がたくさんいるという噂の「ビンジュオンホテル」へ行く。
しかし、着いた所には日本人が誰もいなかった。

それを追求すると、このホテルは「ビンジュオンU」だった。
「ビンジュオン」はまた別にあるそうだ。

しかし、ビンジュオンと全く関係ないところでもないよう。
ただ単にビンジュオンに日本人が集まりすぎるので、別に作ったゲストハウスという雰囲気でした。

これは、ビンジュオンに詳しい人に聞けば、どういう理由かわかると思います。
僕はただ、ビンジュオンに行きさえすればいいので、そこは深く追求しません。

ビンジュオンUのおねえさんが、ビンジュオンへ電話をかけた。
しばらくすると、ベトナム人男性が、バイクに乗ってやってくる。

「ビンジュオン」を確認して、彼のバイクに乗っていく。
今度は無事、ビンジュオンへ到着したみたいです(笑)♪

ビンジュオンホテル(BINH DUONG HOTEL)というのが、2002年の段階では、フエの日本人宿として有名だった。
僕はいつも、旅先で人に聞いてその情報を元に旅をする。

旅先で情報を手に入れて、自分で判断して旅をするのが、本当の海外個人旅行者だ。
いまの日本人は、旅に出る前から情報をかき集めているが、そんな情報、現地に行ったら違ってるに決まってる。

旅行の本質は、その場その場で、いろんな人と交流をしながら、自分の進む道を決めていくってことなんだよ。
ビンジュオンホテルの話も、日本を出るときには全く知らなかった。
ハノイの安宿街を歩いていた日本人旅行者から、話を聞いただけなんだから。
この話をしてくれた日本人旅行者は、サイゴンからフエを経由してやってきたとばかりだったしね。

バイクの後ろに乗って(もちろん無料だ)、「ビンジュオン」へ行く。
ビンジュオンに入ったところにソファがあって、ここには、日本人の若者がウジャウジャと固まっていた。

しかし、何をするでもなく、ただ、マンガ本を読んでいるようだ。
これから向かうカンボジアのシェムリアップでも、こういう若者を見ることになる。

ただマンガ本を読みながら、日本人宿のロビーにたむろしている。
「こいつら、何をやりたいんだろう??」と考えるが、それは後の楽しみに取っておけばいい。

バイクに乗せて、ビンジュオンへつれてきてくれたのが、ビンジュオンのマネージャー、ショウさんだった(上の写真参照)。
彼は、日本語もペラペラで、なかなか格好いい、頭のよさそうな男性だった。
彼に連れられて部屋をチェックする。
515号室が、部屋もきれいで、シャワートイレ、NHKの国際放送も入るテレビが付いて、東芝のエアコン付きで15ドル。
何で東芝のエアコンと書くのかというと、ホテルのマネージャーが、「この部屋は、テレビもエアコンも日本製です!」と誇らしげに言ったからだ。
特に、エアコンは東芝!と自慢していた。
衛星放送では、もちろんNHKの国際放送だけではなくて、BBCもCNNも見られる。
しばらくテレビも見ていないので、これは落ち着くにはいいね。
小さなベランダも付いていて、まあまあいいんじゃないでしょうか。
でも、言い値の15ドルを、さらに1ドル値切って、14ドルにする。
515号室とはいっても、この部屋は2階の端っこにあったと思う。
ベッドはダブルベッドだ。
バックパックを置いて、軽くシャワーを浴びて、気分が落ち着いた。
やはり、どんなに快適とはいっても、夜行寝台列車で一晩過ごしたあとは、疲れるものだ。
海外個人旅行というのは、移動して、新しい町に無事に到着するとこ。
新しい町でいろいろ迷ったりしながら、ある程度満足できる宿に落ち着くこと。
この繰り返しなんだね。
そうして、とにかく、その日のねぐらを見つけて、バックパックを降ろす。
ここが一番ホッとするところなんだよ。
それに、ハノイで噂を聞いていた「ビンジュオンホテル(Binh Duong Hotel)」に、間違いなく落ち着いたわけだし。
ところで僕が、ベトナムの古都フエに来た理由は、もちろんフエの王宮を見ること。
ベトナム戦争のテト攻勢(1968)で、フエはベトコンが襲撃して、大変な被害があった。
テト攻勢を題材にしたのが、スタンリー・キューブリックの「フルメタルジャケット」だ。
いま思い出したが、僕はこの映画を、1988年にケニアのナイロビで見たんだよ。
ベトナム反戦運動は、その時代のテーマだったのだから、はっきり覚えている。
戦場となった、フエの王宮へは行かなければならない。
フエでは王宮さえ見れば、僕にとっては他はどうでもいい。
というか、他になにがあるか知らないしね。
あと気になるのが、フェにのビンジュオンホテルに集まっている日本人旅行者諸君を観察するのが楽しみだ。
「2002年の大阪から上海への船旅、それに続く陸路でのバンコクへの旅」を僕は、『説教旅』と名前をつけていた。
これまでも、新鑑真号の中や、雲南省大理の食堂菊屋、また日本人旅行者に会うたびに、説教をしてきた。
でも、いわゆる「日本人宿」というものに泊まるのは、初めてだ。
だから、どんな人間に出会うのか、説教する相手がいるのか、ちょっと興味があった。
しかし、ロビーへ降りていくと、面白そうな人間がみつからなかった。
見た感じ、宿泊客の年齢が異常に若い。
高校生か、まだ未成年という雰囲気だ。
しかも、目が死んでいて、全員に知性が全く感じられない。
5人くらい日本人の若者がいたが、彼らは、特に何か会話をしているわけでもなかった。
黙々と、日本のマンガを読みふけっている。
「わざわざベトナムまで来て、日本のマンガを読むことはないだろう」と考えるのが普通の人。
でも彼らは彼らなりに、なにか意味があるのだろうと思うけどね。
このあとに行った、シェムリアップの「チェンラゲストハウス」でも、ロビーでマンガを読みふけっている若者がいた。
さて、日本人の集団に混じって、完全に場違いにも、黒人が1人いた。
この黒人は、もちろん日本語はしゃべれないが、片言の英語で日本の女の子と会話していた。
僕は、この黒人はアフリカ人、おそらくナイジェリア人ではないかと、考える。
実は僕が、1994年に東南アジア旅行をしたとき、最初の数日一緒だった女の子が、一人旅でプーケットへ行った。
彼女はその旅で知り合った、ナイジェリア人と付き合い始めたし。
ロビーにいる日本男性というのは、互いに話もせず、日本のマンガを読みふけっている。
なぜ20歳前(としか見えない)の若者がたくさんいるのか、みんなもともと知り合いなのか、聞きたかったが、聞ける雰囲気もない。
「ビンジャン」のマネージャーはなかなかの色男で、日本語も上手だった。
彼は、「Hoang ngoc Tru'ong S'om(ホアン・ノッ・トルン・ショウ)」と言い、「ショウさん」という呼び名だった。
日本人宿泊客には、話をして面白そうな人間がいない。
しかし、まあ誰が考えてもだよ、いまは真昼間だ。
昼間から、観光にも出ずに、日本人宿のロビーでごろごろしている若者に、面白いやつがいるはずがない。
まともな人間ならば、観光に行ってるだろうからね。
そう考えると、僕も、これから観光に行けるわけだ。
まだお昼前なのだから、たっぷりと時間はあるしね。
とにかく、「ビンジュオンホテル」の位置を地図で確かめて、僕は町へと歩き出しました。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20090427