『サンディエゴからグレイハウンドでロサンジェルスに着き、ホテル大元へチェックイン』


【左側の建物が「ホテル大元(ダイマル)」@一番街/リトル東京/ロサンジェルス/カリフォルニア】

1988年の12月31日、つまり大晦日、僕は初めて「ホテル加宝」にチェックインした。
それまではリトル東京の一番街にある「ホテル大元(ダイマル)」にいたんだ。

いま思い返せば、この移動によって、僕の旅が本格化し、世界旅行者が生まれたわけだ。

マホメットがメッカからメディナへ移動した(ヒジュラ)のが紀元622年の9月、僕がダイマルからホテル加宝に移動したのが1988年の12月、ピッタリ1366年3ヶ月の開きがあるが、これは偶然ではないだろう。

ヒジュラによってマホメッドはイスラム教を確立させ、世界旅行者の僕は「世界旅行主義」を成立させた。
よく似た話だが、一つの違いは、マホメッドが脱出したメッカがイスラム教の聖地だ。

それに対して、「世界旅行主義」の聖地は移動した先の「ホテル加宝」ということだ。
さて、なぜホテルを移ったかというと、もちろん理由がある。

ダイマルの宿泊客が、僕にとってはちょっと合わなかったってことかな。
もちろん、それ以前に、ホテルの部屋も狭すぎたんだけれどね(笑)。

僕は、アジアから、ヨーロッパ、アフリカ、北アメリカと旅をしてきた。
その途中途中で、日本人外国人を問わず、かなり魅力的な、本格的な旅行者に出会ってきた。

ただ、日本人の普通の旅行者諸君とじっくり話したことがなかった。
だって、ロサンジェルスといえば、日本からは簡単に来れるところだからね。

この1980年代後半が、日本人の若者の海外旅行が一般的になり始めるころ。
現在の、世界中が日本人の旅行者諸君で埋まるという状況がだんだんと現れつつあるころだ。

「ホテルダイマル」は、日本人なら誰でも持っていたガイドブック「地球の歩き方」で推奨してあった。
アメリカ大陸をグレイハウンドで一周しているうちに出会った日本人からもこのホテルの話はよく聞いていた。

そこでサンディエゴからロサンゼルスに着いてすぐ、グレイハウンドのバスディポから電話をかけた。

「エクスキューズミー、イズジスホテルダイマル?」
「イエ〜ス」

「ドゥユウハブアルーム、トゥナイト?」
「はいはい、日本人ですか?」と日本語の答えが返てくる。

そのころ6番街にあった、グレイハウンドのバスディポからダイマルへ、バックパックを背に歩いていった。
ロサンジェルスストリートを6番街から1番街まで歩くのは、そのころは危険だといわれていたもの。

途中でホームレスに絡まれたが、それを予期していたので、軽くかわした。
なにしろ、サンディエゴからロサンジェルスへ向かうバス自体、昼に到着するように選んでいたのだから。

ダイマルは、中国人のおばちゃんも日本語を話す。
またそのころいた、日本人のおじいさんも、旅行者の世話を焼くのが好きだった。

長い旅からロサンジェルスへ着いて、ダイマルへ入れば、そこには日本語を話す人たちがいるわけだ。
だから、気楽といえば気楽だったのかな。

またもちろん、日本からアメリカへ行くと意気込んで、不安一杯でやってきた旅行者の皆さんたち。
彼らも、ロサンジェルスで日本語の通じる宿に泊まることで、旅の不安はなくなり、気持ちが落ち着いたことだろう。

でもね、すでに1年3ヶ月も旅をしている僕から見れば、あんまり評価できなかった。
何しろ部屋が狭くて、暗い。

通された部屋はベッドが一つ、ベッドと壁のわずかな空間に小さなテーブルと椅子が一脚あるだけだ。
部屋では寝ている以外どうしようもない。

それに何よりもまず、12月だというのに、暖房がない。
部屋が暗いので窓を開けると、そこには別の建物の壁がある。

アメリカ南部を旅行していた時は、安くても、なかなか広くて立派な部屋に泊まっていた。
ロサンジェルスはもっと物価も安いと思っていたので、ちょっと期待はずれ。

がっかりしたがすぐにホテルを移ろうとは思わなかった。
ロサンジェルスに来たのは、それなりの理由があったからだ。

http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080519#p4