『日本人宿での「旅の情報交換」とは、ただ手垢の付いた同じ情報をぐるぐる回しているだけ』

【ホテルダイマル】
ダイマルの中国人のおばちゃんは僕には結構親切だった。
というのも一度ホテルを出たあとでもう一度戻ってきたからだ。

つまり、「常連さん」になったのだ。
中国人というのは常連にはがらっと態度が変わる。

僕が読んだ本によると「中国人は誰も信じていない。家族経営が多いのは家族が裏切らないように見張るためだ」という説明があった。
だから一度出ていってまた戻ってくる人に対しては「裏切らなかった」というので、親切になるらしい。

だからおばちゃんは僕に「いい部屋」をくれたというわけだ。
これは確かにいい部屋だった。

なぜかというと、窓を開けると外の景色が見えたのだ。
以前の部屋は、窓を開けると目の前に建物の壁が見えたものだ。

だからいつも薄暗かった。
いつも裸電球をつけていた。

この新しくもらった部屋は窓から空が見えるので明るい。
それに隣の部屋からの騒音もない。

まあ、ただ隣の部屋に人が泊まっていないというだけだが。
以前の部屋では隣に人が泊まっていて、咳払いが聞こえたものだ。

咳払いどころか、隣で新聞をめくる音まで聞こえた。
アメリカのホテルでこれだけ壁が薄いところを僕は知らない。

ところで、部屋は薄暗く、壁は薄く、家具もなく、部屋に居場所がないわけだから、自然と部屋を出てフロント前にある空間に行くことになる。
ここが「地球の歩き方」で「旅の情報交換」をするといわれている場所だ。

しかし、階段を上ったところにある踊り場のようなところなので、とても狭い。
折畳の椅子が4脚ぐらい置いてあるだけだ。

ここにはテレビも本棚も、何にもないので一人でぼけっと座っていると馬鹿みたいだ。
しかし、他の部屋も居心地のいいところではないので誰か暇を持てあました人間がいるもの。

それで会話が始まることもある。
僕がいたころはこのホテルに長く住んでいる日本人のおじさんがいた。

旅行者がなにか聞きたいことがあると、このおじさんに聞いたものだ。
なかなか親切な人だったが、あとで思うとかなりいいかげんな情報を出していた。

例えば「サンタモニカのピアへは#4のRTDバスで行く」という話だ(RTDバスとは、今のMTAバスのことです)。
ロサンゼルスのダウンタウンからサンタモニカのピアへ、4番のバスで行けないことはない。
だが、このバスはハリウッドを経由してLAをぐるんと大回りするので、ものすごく時間がかかる。
実はウィルシャーを走る#320で行けばかなり時間を短縮できる。
サンタモニカビッグブルーバスを使えば、高速を通るのでものすごく早く着ける。
LAのことがよくわかっている人ならこういう情報を教えてほしいものだ。
だから、ここでは結局「地球の歩き方」の記事が大手を振るって通用していた。
宿泊客も学生の旅行者が多い。

僕がいたこの頃はアメリカ西海岸がファッショナブルなイメージがあったころ。
まだニューヨークに人気が移っていなかった。

学生旅行者はサンフランシスコやLAから旅行を始めて、グレイハウンドのアメリパスを使ってアメリカ一周というのが定番の旅行だった。
このホテルは、だからアメリカ一周に出る旅行者とアメリカ一周を終えた旅行者が出会う場所だった。

そういう意味では「情報交換」が出来たと言えないことはない。
だが、旅行を始めたばかりの人が「地球の歩き方」を大事に抱えて、本に書いてある場所を書いてある通りに旅行をして帰ってきたというだけ。
特に伝える価値のある情報を持っているのではない。
そのために、この狭いスペースでは同じことを言い合って盛り上がることになる。
つまり、「地球の歩き方」をよく読んで暗記している方が尊敬される。
「あの人の言うことは「地球の歩き方」にも書いてあるから正しい。なんて物知りなんだろう」というわけだ。
もともと「地球の歩き方」に書いてある通りをしゃべっているわけだから、同じことをしゃべっているのは当然。
中には本気で「地球の歩き方」を知っている連中を尊敬してしまうわけのわからない人間もいる。
自分もまた旅行もせずに、「地球の歩き方」を勉強し始める旅行者もいるのだから、怖い。
でもまあ、日本社会に流れている「情報」というものは、その程度のものだ。
出所は一緒で、ただそれをどう違った風に言うかってことだけなんだよね。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080522#p5