『南米へ飛ぶ朝、空港へのシャトルが来なかった旅行者』

【アラメダストリートから、リトル東京2番街を見る】
僕はロサンジェルスからグレイハウンドでバンクーバーまで行って、戻ってきた。
その時も、この「ボクサー、南米旅行者、だらだら滞在者」の3人組はあいかわらずホテルにいた。

ある朝なぜか早起きしてしまって、トイレに行って、何気なく踊り場の「集会所」を覗く。
すると、この南米旅行者がスチールの椅子に座ってぼんやりしていた。

横にはバックパックも置いてある。
これから南米に行くのかもしれないな。

「今日出発ですか?」と尋ねる。
「その予定だったんだけれどね」と答えが返る。

「どうかしたんですか?」
「今朝、迎えのシャトルを頼んでおいたのだけれど、来ないんだよ」とがっくり肩を落として言う。

リトル東京のホテルからロサンジェルス国際空港までは、この時代は、マイクロバスのシャトルで行くのが普通だった。
ただ、どうやら何の規制もないらしくて、膨大な数のシャトルサービス会社がある。

中にはかなり危ない会社もあって、日本人に料金を吹きかけたりすることも多いと、後で知った。
運転手もいろいろで、英語がしゃべれない人もいる。

「ホテル加宝」での経験だが、一度などは運転手が客に「空港へ行く道を知ってるか」と聞いたことがあった。
だから、本当に全面的には、信用できない。

どうやらそのシャトルが来なかったらしい。
旅行では何が起こるかわからないという、典型的な話だ。

だから僕は、特に帰国の時はシャトルは使わない。
あえてRTDバス(現在のMTAバス)を使うか、わざわざ帰国便に合わせて空港乗り捨てのレンタカーを借りることにしている。

現在(2008年)ならば、地下鉄が空港まで走っているので、それに乗るかな。
ホテル加宝の終わりごろは、ホテル加宝の宿泊者の車で空港まで10ドルで送ってくれたものだが。

飛行機に乗り遅れた南米旅行者も、翌日に出発して行った。
実はこの南米旅行者とは、ペルーのクスコ、チリのサンチアゴで再会するんだけどね。

その後にダイマルで出会ったのが、「アメリカ留学」をしているという男性だった。
ごく普通の学生風なので、「旅行ですか?」と軽く声をかけたら、「留学しているんです」という返事だった。

この頃はまだ「米国留学」が自慢になった時期。
「留学」していれば普通の旅行者からは一目置かれる存在だった。

ただこの時代の「留学」というのは、「大学付属の英語学校に通っている」という意味しか持っていなかった。
しかし、これから毎年「留学」の質がどんどん向上していった。

ロサンジェルスで出会うのが本物のちゃんとした大学、大学院に留学している学生だらけになったりした。
日本人が米国に留学する場合、「大学院留学」は簡単らしく、「大学留学」の方が能力は高かったようだ。

彼はニューヨーク州立大学の語学学校の寮に泊まっていた。
そこは男女一緒の寮で、隣の部屋の日本女の男性関係が目に余ったとのこと。

それでハワイ大学付属英語学校へ移動したという。
でも、ハワイでは、ほとんどの学生が遊びまわっているのだそうだ。

彼は家族関係で問題があった。
親が金持ちで社会的地位もあるのに、日本の一流大学に入れず、それで留学することになったらしい。

有名人の息子が必ず海外留学しているという現在の状況を先取りしていたわけだ。
これも勉強になった。

さて、その次に出会ったのが、問題の男だった。
僕が「ホテル大元」を出て「ホテル加宝」に移った理由のひとつが、彼との出会いだった。

だから彼は僕の恩人、神の使いだったかもしれない。
それが「四国の田舎男」だった。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080522#p8