「長期旅行者は本能むき出しの野獣で、出会えば必ず闘争がある」(cuba11)

 

ホテル加宝のロビーで、僕たち長期宿泊者が話をしているテーブルのむこうの床の上に、福田君はあぐらを組んで座り込んだ。

よほど僕たちと話をしたいのだろう。

ここで、話をしたいという意味は、話をした結果僕たちに勝てる、またはこの目の前の僕たち集団の中である程度の地位を確保できると考えているわけだ。

さて、人と人との出会いとはなにか?
これは人間が動物であることを考えてみればすぐにわかる。
つまり、相手に対して自分という存在が、勝つか負けるかという闘争だ。

だから、負けると思えば最初から下手に出る(または、近寄らずにとっとと逃げる)。
勝つか負けるかわからないときは、様子を見る。
勝つと思ったときどうするかというと、普通の人は勝とうとする。

ここが世界旅行者のすごいところだが、僕は勝つと決まっている相手とは、戦わない。
おちょくって、からかって、馬鹿にするだけだ。

しかし人間というものは一見しただけではわからない。
だから、おだやかに話をして、その中で互いの地位を確認しあうことになる。

日本社会では、初対面で名刺を交換したときに相手の役職を確認する。
さらに「ほほー、○○さんは××大学のご出身ですか?優秀ですねー」などと、学歴を評価するときに自動的に行われる。

旅先では、旅行経験の豊富さで旅行者としての厳然としたランクがある。

これは、少しでも旅行をした人間にとっては明々白々のことだが、これまで旅行関連の本などにはっきり書いてなかったところを見ると、本を書いている人間の旅行経験が驚くほど少ないことを意味している。
この旅行経験は、普通の話の中で少しずつ明らかにしあい、どちらがランクが上かという位置付けをおこなう規則になっている。

ハワイやヨーロッパ旅行しかしていなければ、ランクは低い。
タイや香港ぐらいでは話にならない。

長期旅行者のランクはインド個人旅行が基本で、インドを一人で最低2〜3カ月うろついて、それでやっとすこし話が出来るというほど厳しいものなのだ。

だからインド旅行を自分から進んで自慢するようではまだまだ旅行者としてはレベルが低く、本格的な旅行者からは馬鹿にされる。
「インドにもちょっと行きましたけど、日本人だらけですねー、ハハハ」と軽く流すのがランクの高い長期旅行者のインド経験の発表の一例だ。
インド旅行をして舞い上がって、日本に帰ってきても、安アパートでお香を焚いて、チャパティチャパティと口にするレベルの人間は本物の旅行者に出会うと、ボロボロにされることになっている。

福田君の場合は、まず、見かけがいかにも長期旅行者っぽい。
丁寧に髭まで生やしている。
これではランクが低い。

長期旅行者は、僕のように行き着くところまで行くと、旅を馬鹿にすることが出来る。
「旅なんかしても仕方がないよねー」と、心から言える。
そういう人間に対して、旅行自慢をしてもムダだ。
つまり、福田君は来る場所を間違えてしまったのだ。

福田君はそのころLAで日本人旅行初心者が集まっていたホテル「大元(ダイマル)」に行けばよかったのだ。
「ホテル加宝」は彼にとっては荷が重すぎた。
しかし、彼は自信があるのだろう。
そうなると僕は興味を持った。
自分の予想が正しいかどうか確かめたくなる。

僕は、にこっと笑って話しかけた。
「どちらからいらっしゃったんですか?」

このありふれた質問に、どう答えるか、これが旅行者としての一世一代の勝負だ。
彼は、やっと相手にしてもらった、とホッとした表情で、語り始めた。

(cuba11)

cuba12

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