「人は少なくとも、働くために生きているのではない」(キューバ2)

こうして、僕は「ホテル加宝」に泊まっているらしい、まだ会ったこともない大工さんを中南米に送ろうと決心した。

ここで、読者の中には「せっかく真面目に仕事をしている大工さんを、仕事をやめさせて旅行に出すなんてひどい!」と考える人もいるかもしれない。
しかしそれは違うんだよ。

僕は日本を遠く離れて、世界中を旅行している中で、いろいろと難しい問題を考えてきた。
一つのテーマは「人はなんのために生きているのか?」ということだった。
まあ、その結論はまだ出ていないが、「人間は少なくとも、働くために生きているのではない」とだけは言える。

しかも、これは科学的にも容易に証明できる。

例えば生まれたばかりの赤ちゃんをごく普通に、しかし学校に通わせずに育てていったとして、中学生の年齢になったころ、急に「新聞配達をしたい」と言い出すだろうか?
さらに育てていった結果、成人に達する時期に、会社勤めをして毎朝満員電車に揺られる決まり切った生活をしたいと、自分から進んで希望するだろうか?

そんなつまらない生活を希望するはずがない。
もちろん通勤電車での痴漢行為が生きがいだという人はいるだろうし、そういう人は通勤電車に乗るのが目的で会社勤めをしているのだから、これは例外だ。
普通は自分から働きたいという人間はいないのだ。

このようにちょっと考えてみただけで、人間は内在的に勤労意欲をもっているのではないと理解できる。
勤労意欲というのは日本社会の中で、特に日本の学校教育の中でたたき込まれることで、世界を見渡すと、仕事をしたいと考えている民族はほとんどいない。

海外に旅行に出ると言うことは、この日本社会から離れて、自分を見つめ直すためだ。
これこそが、自分で意識的に理解していないにしろ、旅行者の本来の目的なのだ。

しかし日本人は、教育で叩き込まれた無条件の勤勉さから逃れることは、なかなか出来ない。
だから、海外留学やワーキングホリディなどという建前を作り上げる。
実際は海外で遊び回って、勉強も仕事もしていない。
でも、それがいけないって事じゃなくって、遊び回るのが本当の目的だったのだから当然のことなのだ。

つまり、海外に出てまで働こうというのは、間違っているわけだね。
この大工さんもおそらくは働きたくないに決まっているのだから、そこでもう一押ししてあげれば、労働という間違った考え方から一気に解き放され、本当の人生を生き始めることが出来るかもしれないのだ。

「世界旅行者」の僕がヨーロッパからこの時期にLAに来て、「ホテル加宝」にこの大工さんがいたということは、僕の悟った人生の真実を大工さんに伝えるという運命なのだ。
運命に逆らってはいけない。
「世界旅行者」はただ運命に流されるままに、旅をして生きていくのだ。

僕はそう考えて、大山さんが「お疲れさまー!」と、冷蔵庫から出してきてくれたビールを飲み干して、自分に与えられた使命の重大さに、打ちひしがれそうな気持ちになった。

(cuba2)

cuba3
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