「髭を生やしたヤツは気が弱いと、世の中、相場は決まっている」(cuba5)

 

日本では長期旅行者というと、無精ひげを生やすことが一つのスタイルになっている。
日本社会では無精ひげを生やしてサラリーマンをすることはないのだから、無精ひげはサラリーマンではない、つまり日本社会に普通にいるありふれた人間ではないという広告看板だ。

しかし、自分が普通ではないと言い張っている人間が、本質的に変わっているはずがあるだろうか?

もちろんそんなことはない。
自分が人より変わっているという人間は、変わっていると主張したいという点であまりにありふれていて、、残念ながら、変わっていない。

本当に変わっている人間は自分が他の人と変わっているかどうか気にしないし、かえって自分は普通だと思いこんでいるものだ。

変わっているかどうかは、他人が評価するもので、自分から変わっていると言うようではまだまだ変わり方が足りないという考えは、誰にでも理解できるだろう。

髭をわざわざ生やして、自分は日本にいる普通の人間ではないと主張している旅行者は、普通の人間が無理をして、変わろうと努力している悲しい惨めな姿なのだ。

つまり、旅先でわざわざ髭を生やし、いかにもいかにもの民族衣装を着て、ことさら旅慣れたようなことを話す旅行者は、これだけで「日本に帰ればありふれた人間が、旅先で無理をして背伸びしている」と理解することになる。

誰が考えてもわかることだが、旅先では日本の名刺は通用しないので、他人に与える印象が重要になる。
きちんとした人間だと考えてくれれば国境も通りやすいし、ホテルも愛想良く部屋を見せてくれる。
だから、旅先だからこそ身なりに気を付けてこざっぱりした姿をする必要がある。

僕は日本国内では身なりをかまわず、床屋にも行かず、髭も剃らない場合が多いが、海外に出れば毎朝必ず髭を剃るし、髪には櫛を入れる。
これが本物の旅行者なのだ。

だから、日本人旅行者でいかにも旅慣れた風な小汚い格好をしている場合は、同じ日本人旅行者を対象にしてのハッタリだと容易に理解できる。
つまり、髭は日本人の集まるところを渡り歩くだけの、エセ旅行者だと言う証明なのだ。

「ホテル加宝」のロビーに入ってきた福田君は、旅行経験豊富な僕がちらっと見て、「こいつは勘違いしているな」と僕に思わせる格好をしていた。

体型は痩せていて、顔には髭がある。
身なりはアジア風の貧乏旅行者で、持っているバッグはいかにもいかにもの民芸品だ。

ド素人旅行者がちょっとインドかなんかへ行って舞い上がったというレベルだが、アジアの日本人宿でくすぶっていればいいものを、なぜLAへやってきたのだろう?
そういう意味ではちょっと興味を持った。

興味は持ったが、わざと無視をしてロビーにいた加宝宿泊者との話を続けた。
最初は無視しておいて、後でこちらから声をかけて、いろいろ聞き出せばいい。
この程度の素人旅行者は、だいたいは無視されたとわかると、目に涙を浮かべながら、こっそり自分の部屋に入っていくものなのだ。

ところが福田君は引き下がらなかった。
僕たちがわざと無視しているのを知っていて大人しく立ち去るどころか、ロビーにするっと入ってきて、ソファに腰を降ろしもせず、ロビー中央にあるテーブルの向こうのカーペットの上、僕らが話をしている目の前に座り込んだのだ!

「いやに自信のあるヤツだな…」と、僕は瞬間に思う。

これだけ自信があるという理由は、旅行者としては2つしか考えられない。

一つは、よほどの旅行をした経験による自信。
もう一つは…。

僕は福田君の顔をもう一度横目でちらりと見て、もう一つの理由だろうと、直感した。

(cuba5)

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