「駄目な人間は、なにをやっても駄目だから、海外旅行に行っても駄目」(cuba6)

 

旅行者が旅先で自信たっぷりに振る舞っているときの、2つの理由のうちの1つは、旅行経験が本当に豊富で、どういう旅人に出会っても十分対抗できると確信している場合がある。

だが、ここで注意しなければいけないのは、「本人だけが勝手に旅行経験が豊富だと思いこんでいて、実際はちっともたいしたことない」場合の方が多いことだ。

よくある例を示すと、それまでは修学旅行で行った京都の河原町で、落ちていた生八つ橋で滑って転んだ程度しか旅行経験がないのに、人の口車に乗って突然シベリア鉄道でヨーロッパに入った三流大学生や、初めて行ったインド(といっても、カルカッタの安宿にいただけ)でショックを受けてバンコクへ逃げ戻ってきたプータロー諸君などがわかりやすいだろう。

彼らは、それまでの人生で人から一度も認めてもらえず、馬鹿にされ続けてきて、劣等感が蓄積されていたわけだが、自分ではすごい旅行をしたという間違った思い込みを起爆剤として、その劣等感が一挙に暴発してしまう。

それで、変に自信を持って、しかも「やかましく」なる。

こういう旅行者は非常に迷惑だ。

旅先で日本人を見つけると(日本語しかしゃべれないので)誰彼となく話しかけ、自分の旅行について面白くもおかしくもない自慢話をしゃべりまくる。

帰国すると、友達がいないので、パソ通の旅行フォーラムなどで、ただ長いだけの面白くもおかしくもない「旅行記」をだらだらと発表する。

下手に金がある場合は、無理矢理に自費出版で本を出して、作家を気取るが、もちろん誰も買ってよんではくれない。

ストックホルム中央駅で話しかけてきた学生が、とっても迷惑だったのを思い出す。

僕は話かけてきた学生の顔を見ただけで、すぐに彼の知的のレベルを見切って、適当にあしらい、一人でコペンハーゲンへの列車に乗ったのだが、列車の中で日本語で大きな声がする。
見るとさっきの学生だ。
上品な日本人夫婦をつかまえたらしく、自分がどんなにすごい旅行をしてきたかをべらべらとしゃべりまくっている。
あまりに大声なので、内容がわかってしまったが、彼はただ単にシベリア鉄道にずっと乗っていたというだけなのだ。

日本でよほどつまらない人生を送ってきたようで、別に不思議でもなんでもないことに自分で驚いて、それを夫婦者にしゃべりまくっている。
上品な奥さんが「こちら、面白い方ねー」と皮肉を言っても、それがわからず、誉められたのかと勘違いして、ますます調子に乗っていた。

読者の友人関係の中にも、誰からも見向きもされない落ちこぼれで、インド旅行から帰って以来、いやに自信を付けて付き合いにくくなり、日本ではますます友達がいなくなって、さらに日本に居づらくなったのか、繰り返し繰り返しインド旅行に出かけるというタイプの人間が少なくとも一人はいるはずだ。

本人は「インド通」として大きな顔をしているが、常識ある人間から見れば、いてもいなくてもどうでもいい、いれば悪口が言いやすいので酒の肴になる程度しか、存在価値のない人間だ。

こういう思い込みの激しい単純な旅行者は、出会った瞬間から無意味に態度が大きいことが特徴だ。
本当に旅行経験が豊富な場合は、その自信は自然と滲み出てくるもので、意識的に作り出すものではない。
だからまわりから、「こいつ、いやに態度がでかいなー」と思われるようでは、まだまだ本物ではないのだ。

僕ほどの旅行経験があると、悟りの境地に達しているので、話す言葉も振る舞いも、謙虚になり、その存在さえまわりの人にわからないようになる。

「空」の心境に達しているので、言葉はあくまでやさしく、態度はつねにおだやかだ。
他人の悪口などは、どんなに努力しても、冗談にさえ言うことが出来ない。
正直な話、僕はこの十年、自分の素晴らしさを自慢したことがないことが自慢だ。

さて、つい話が長くなったが、もう一つのタイプの自信たっぷりの旅行者がいる。

福田君(この時はもちろん名前も知らなかったが)はもう一つのタイプだろうと、僕はピンときた。

次に説明する問題は、実は日本人の本質に関わることなので、次にアクセスするときはキーボードやマウスを掃除して、手を洗って、神棚に柏手を打って読んで欲しいものだね。

(cuba6)

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