「銭湯では優越感を得られない、ポコチンの小さい人が金持ちへと進化した」(cuba7)

 

旅先で自信たっぷりの日本人旅行者と出会った場合、一つには旅行経験が豊富な(だと自分で思いこんでいる)場合があることを、これまで例を挙げて説明してきた。

次に、もう一つの可能性を説明しようと思うが、その前に、旅ではなく僕たちの日常生活を振り返ってみたい。
そっちの方が旅と比較できてわかりやすいからだ。
僕は、旅だけでなくて人生についても、いろいろと経験豊富なのだしね。

さて旅と違って、人生のなかで自信たっぷりな態度をとることができる人間は、今更わざわざ言うまでもないことだが、まず第一に「お金持ち」である。
いろいろ言っても金さえあれば、この世の中ではなんでもできるのだから、金持ちは自信を持ち、自然と態度が大きくなる。

お金があれば女の子にいくらでもおごってあげられるのだから、女の子にモテモテだ。

女性との付き合いも、愛だの恋だのと昔の少女漫画のようなことをウダウダ言っているようでは本物ではない。

これは男性の場合だが、女性を見た瞬間に、あれは3万円、こちらは10万円、そちらは3千円でも高すぎる、とすぐに値段を付けられるようになると、まわりから世慣れした素敵な男性とよばれることとなる。

最近では女性も、男性を見て値段を付け始めたようだ。
ただ勘違いしてはいけないのが、女性が「3万円」と言った場合は、「3万円払ってSEXしたい」という意味ではなくて、「3万円出してくれたらSEXしてもいい」ということだ。

ここで、さらに注意しておくが、黒人が日本女性を見て「100ドル」と言った場合は、「日本女性が100ドル払ってくれればSEXしてあげてもいい」と言っているのだ。
決して黒人のほうから「100ドル出して日本女性とSEXしたい」との意味ではない。

なかなか難しいでしょ?

こういうことを、思い付くままにすらすらと説明できるのが、僕のすごいところなんだね。

つまりここでも、お金がものを言うという証明がされている。

しかし、お金があっても、お金があると「他人が認めてくれなければ」意味がない。
自分が金持ちであると思えるのは、他人から金持ちだと評価されるからなのだから。

だから、金持ちは金持ちの着るような服を着て、金持ちの乗るような車に乗って、金持ちの出入りするような場所へ顔を出し、金持ちだとの社会的評価を得ようとする。

金持ちとは、金を持っているということ自体ではなく、金持ちであるとの社会的評価をお金を使って得ることが出来たものと定義することも出来るだろう。

ただ、金持ちもオールマイティではない。
それは銭湯に入った場合だ。

いくら金持ちだとしても、BMWに乗って、ベルサーチを着たまま銭湯に入ることはないのだ(ここで「金持ちは銭湯なんかに行かないよー」などというわけのわからないことを言い出す人もいるかもしれないが、ここでは、金持ちが銭湯に行かないと困るので、行かせることにする。我慢して続きを読んで欲しい)。

銭湯では、金持ちは裸になり、金持ちかどうか他人にわからない状況で風呂にはいることになる。
すると、おなじく裸の貧乏人と、洗い場で並んで座った時、自然に隣に座った男性のポコチンを見ることになる。
自分のものが大きければ、「勝った!」と思うし、小さければ「負けた…」とショックを受けるのは、男性なら誰もが経験することだ。

いくら金持ちでも、このお互いのポコチンを比較して、自分のモノが小さかったときに、回復不能なくらい強烈な劣等感を持つことになる。

ポコチンの大きさというものは、人間として根源的、絶対的な価値なので、この劣等感を避けるためには、ポコチンの小さな男性は何でもする。

そこで、金持ちは銭湯に行くのをやめて自宅に風呂を作るようになった。
今ではほとんどの家に内風呂が出来たが、だいたいは金持ちから自宅に風呂を作るようになったという話だ。

その社会的背景は、金持ちは銭湯では優越感を得られない可能性が高かった、すなわち、「金持ちはポコチンが小さい」という歴史的な経緯があるのだ。

ポコチンが大きい人は自分のモノを見せびらかしたいので、内風呂を作る必要を感じず、その結果いつまでも貧乏なままでしたとさ。

つまり、実人生で自分に自信を持っている人には、2つのタイプがあること。

すなわち、金持ちと貧乏人でもぽこちんが大きい人、という2つのタイプがいて、それぞれ自信を持って生きているということが、ここで証明できたわけだ。

(cuba7)

cuba8

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