「本当に貧乏な人間は旅に出ない」(cuba9)

 

先に「金持ちは金持ちらしく生活することによって金持ちとなる」と書いた。
もう一度説明するが、金持ちは実際にお金があるという意味ではなくて、その持っているお金を使って金持ちらしい生活を実行し、お金があることを社会に示すことによって、社会的に認知され、社会の中で金持ちとしての位置を占める。

金持ちは社会の中で金持ちとして、一つの機能を果たしている。
例えば、金持ちはまわりにお金をばらまき、綺麗な(そして高価な)服装をして、おいしい(そして値段の張る)料理を食べ、美しい(そして金のかかる)女性とSEXをする。

こうして自分が金持ちであることを社会に示すこと、これが金持ちの社会的な機能であり、金持ちとしての義務であり責任でもある。

これを実行しない金持ち(銀行口座にお金だけが数字として存在する)の場合は、世にその存在が知られることがないのだから、社会的には金持ちとして認識されず、金持ちとは呼ばれない、つまり金持ちではない。

これまでだれも書いたことのない、旅を真に支配する大前提を、ここで明らかにしよう。

「本当に貧乏な人間は旅に出ない」、これだ。

本当に貧乏だと、一日一日を生きていくのが精いっぱいで、旅に出るなどという考え自体、頭に浮かぶことがない。

北朝鮮で餓死寸前の人は「ハワイに行きたいなー」と思ったりはしない。
韓国へ行きたいと思うかもしれないが、それは亡命なので旅行ではない。

ということは、「旅に出たいけどお金がないし…」と言っているうちは、まだ本格的な貧乏ではないのだから、安心していい。

さて、この大前提を言い換えると、「旅に出ている人間は貧乏ではない」となる。

旅先には「お金を(無意味に)使う旅」と「お金を(無駄に)使わない旅」があるだけで、金持ちの旅も貧乏人の旅も、実は存在しない。
その理由は、旅先でお金を使うことは金持ちであるという証明にならないからだ。

金持ちが金を使うのは金持ちだと社会に認識させるためだが、旅先で金を使うのは、ただ「お金を使う旅」を実行しているだけで、それは金持ちであることを必ずしも意味しない。

例えば、空港からリムジンで送迎され、ハワイの豪華ホテルのスイートルームに泊まり、ショッピングモールでお土産を山のように買い込み、ブランドショップで高価なバッグを買いあさり、ファーストクラスに乗っていたとしても、それが一生に一度の1週間のハネムーンというのでは、誰もそのカップルを金持ちだとは思わない。

逆に、一見貧乏な格好をしていても、旅行者が長期に海外をうろつき、まったく仕事をしていないとしたら、それは仕事をしないで何年も旅を続けるだけのお金をもともと持っているわけだから、その旅行者を貧乏だとは決めつけられない。

これだけでも日本の旅行マスコミの大好きな「貧乏旅行」が完全な幻想だとわかるのだが、それはまた別の機会にきっちりと書いてみよう。

旅先では金持ちという社会的役割が存在しないので、金持ちは存在できない、だから金持ちであるということで自信を持つことが出来ない。

旅先ではポコチンが大きいという人間の根元的な価値観、旅行経験が豊富であるという旅先特有の階級付けによって、人は自信を持つことが出来る。

そして、もう一つ自信を持つ理由があって、それは金持ちであるという理由ではない。
すると、それは…。

(cuba9)

cuba10

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