「援助交際国家論」その3

《援助交際で日本を救おう》

さて近年、阪神大震災やオウム真理教事件など重大事件事故の続発で社会不安が増大し、特にこの数カ月、最近では今までは考えられなかったタイプの殺人事件や暴力事件などが頻発している。
また、独身女性の増加や離婚などで子供の数が減少し、日本は急速に老齢化社会へと移行しており、それによる社会活力の低下、国力の低下、という重大問題が解決を迫られている。

このままでは日本に未来はないのではないか、そういう議論も活発である。

同一価値観を共有した単一民族国家、個性のない日本人ではあるが社会的には安全であり安定していると考えられていた日本が、その価値観を失うことでバラバラに解体しつつあるのではないか、との認識が広がっている。

しかしよく考えてみれば、日本社会を安定させていた共通の価値観が崩壊したのなら、共有できる価値観をもう一度作り上げさえすれば、日本社会はまた安定し、活力を取り戻すことが出来るということだ。

現代の世代間のギャップは大きく、将来の不安を抱えながらドブネズミルックで朝から晩まで働きずくめの中間管理職と、就職に悩みながらもタトゥーを入れ髪を金髪に染めてコンビニでバイトをする若者との間にはなんの共通点もないように見える。
だが、外見的には社会環境上、たとえどんなに異なるように見えても、人間である限りにおいて共有できる価値観は存在する。

それがSEXだ。
SEXを共有すれば、SEXの価値観も共有できるのだ。

若い女の子を巡って、金に余裕のある中年男性と体力しかない貧乏な若者が対立関係にあるという、ステレオタイプな奇妙な考えがあって、よく新進小説家が取り上げて、その大胆な性描写などが話題になったものだ。

これらは日本の様々な三流文学に描かれているが、理解力のたりない小説家の思いこみと無知と誤解のために、しばしば完全に間違った、現実離れしたストーリー展開と結論が導き出されている。

僕はきちんとした解決がされた場合を読んだことがない。

金持ちの中年男性と貧乏な若者の間で激しく揺れ動く女の子の本当の気持ちは、単にお金も欲しいしSEXも欲しい、SEXにしてもテクニックも欲しいし体力(回数)も欲しい。
女の子とはただ欲張りなだけの生き物なのだ。

だから女の子は、本当は中年男性とも若者とも一緒に付き合いたい。
分けるのも時間の無駄で面倒だから、3人で一緒にSEXしたい。

ただこれだけのことなのだ。

ところが日本社会では、実は建前に過ぎないのだが、一度に一人の異性としか付き合ってはいけないという幻想が大手を振って白昼堂々と銀座通りをまかり通っている(池袋には歩いていない気がするが…)。

ちょっと考えてみればわかるが、現実にたった一人の異性で満足している人間がこの世の中にいるだろうか?
一人とSEXをすればもう一人とSEXしたい、2人いれば3人とSEXしたい、えーいまとめて3P(英語では正式にはthreesomeというが)しちゃえ!

ついでに乱交もしたい!
こうなるのが普通の人間じゃないだろうか、ね、みなさん。

ここに、なにか問題があるだろうか?
全く問題のない常識的な話だ。

女性の方には全く問題がない。
もともとSEXが大好きなだけの生き物なのだから。

問題があるとしたら、男性の側の独占欲だけだが、私有財産に独占的な支配力を行使できた時代はもう終わろうとしている。
私的財産権にもやはり社会的な制限が加えられるのが最近の傾向なのだ。

中年男性と若者との世代間のギャップは、ここに援助交際という共通ファクターを導入することで容易に解消する。
ともに語り合える共感できる体験を共有することで、世代間の相互理解が促進され、これは社会に安定をもたらす。

さらに、特に最近の若い男性による殺人事件の多発を根本的にじっくり3分ほど考えてみると、その原因は単純にSEXの不足だとわかる。

銀座クラブホステスやテレクラ嬢などを経て現在はギャンブラーとして生計を立てている、僕の友人R嬢は、外人とも日本人とも付き合った豊かな経験から、「男は抜いちゃえばみんな一緒よ〜」と断言する。

男性はSEXするまではいろいろ違っているように見える。
しかし、抜いて(射精させて)しまえばみんなおとなしくなって、結局は同じとの意味だ。

つまり、男性はSEXが満足さえしていれば凶暴になることはない。
SEXが社会に満ちあふれさえすれば、安定した平和な社会が簡単につくられる。

現代日本の様々な問題点は、すべてSEXの不足によって生じていることがわかった。
しかも、国家はもともと国民に十分なSEXを保証するために作られているのだ。

つまり現在の日本国家は国家としての義務を果たしていないのだ。

この空白状態に援助交際を積極的に導入することで、世代間の断絶を埋め、若者の暴力事件を根本から解消し、社会に安定をもたらすことが容易に達成できると考えられる。

さらに、日本の直面している国家の存立に関わる重要な問題、人口の減少にも歯止めがかかることになる。
援助交際ではもちろん十分な避妊指導をするが、それでも妊娠の可能性はゼロではない。
その結果生まれた子供は国が引き取って育てるので、日本の将来を担う子供の数が増えることとなる。

また、援助交際により離婚率も激的に減少する。
現在は、SEXするために結婚するという間違った風潮がある。

一般には誤解があるようだが、そもそも結婚とは日本社会を構成する経済単位を作り上げて、国民が国家のために奉仕しやすくすることが目的である。
決して町内の人の目を気にすることなく、朝から晩まで後ろめたさを感じずSEXするためだけの制度ではないのだ。

結婚生活には夫婦間の相互理解と協力が必要だし、子供を育てるという重要な社会的使命がある。
SEXが上手で大好きで何回もできるという能力と、結婚生活を続けていく能力とは全く違うのだ。

特に現代日本のような共働き社会では、家庭でのSEXの役割が小さくなるほど家庭生活は安定し、結婚生活はSEXを除いたことで、より意味のある充実したものとなるので、これにより離婚の可能性は大幅に減少する。

結婚とSEXを基本的に分離し、SEXを援助交際に分担させることで、結婚生活の役割を減らし、結婚をより知的で創造的なものとする。

すると、SEXが大好きな主婦が性的に満足できないという状況も起きることが容易に予想できる。
今までは女子高生による援助交際を述べてきたわけだが、実は女子高生よりも主婦の方がSEXは好きなのだから、主婦層に対する政策も課題となる。

このことについては次項において、実効ある解決策を示し、さらに日本の国際社会における役割について述べることとしよう。

「援助交際国家論」その3

kenichiro.nishimoto(c)1997

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