日本とネパールの国旗があるバスに乗り、バクタプルへ行くと、「MAY PEACE PREVAIL ON EARTH」の「ピースポール」を目にする。@カトマンドゥ/ネパール
カトマンドゥへ到着した日は、空港でフランス人とちょっと話をした。
翌日は、ポカラへのスイスバスをチェックしたあと、そのフランス人と道でばったり。
さらに翌日には、古都「パタン」で、フランス人と再会した。
約束もしてないのに、同じフランス人と3日連続で会うなんて、ただの偶然ではない。
これは、神様が引き合わせてくれたのかと思った。
4日連続会ったら、結婚しなければならないかも…。
とは、全く思わなかったが、一緒に食事くらいしてもいいかも。
今日は、カトマンドゥ近郊の「バクタプル」へ行く。
実は、どこへ行ったか、確信がないんだが、距離的にいったら、バクタプルだと思うんだよね。
だって、人に知られてない、マニアックなところに行くはずもないし、バスに乗っていったわけだし。
バクタプル自体は、ここも古い都らしくて、ネパール風の建物があるところだ。
僕が記憶に残っているのが、このときに乗ったネパールのバスのボデイに、日本とネパールの国旗がクロスして描いてあったこと。
なんでも、日本がそのバスを寄贈したらしい。
だから、「日本とネパールの友好うんぬん」と、英語で書いてあった。
「日本もネパールのために、援助しているんだねー」と、思ったことを覚えている。
バスの中でも、ネパールの人に声をかけられる。
「日本人か?」と聞かれて、そうだと答えたら、あとは、よくある話が続く。
「日本のどこから来た?」「仕事できているのか?」それから「結婚しているのか?」とか聞かれる。
このときは、聞かれることに対して、正直に答えていた。
でも、あんまり正直に答えていると、どんどん追求されることも多い。
この時代はまだ結婚していたので、もちろん「結婚してます」と答えるが、すると続いて、「子供は何人居る」と続くのが普通だ。
アジアの場合はそれほど追求は厳しくない。
でも、アラブ諸国の場合は、「子供が居ないと」返事すると、「なぜだ?」と続くもの。
すると、説明するのも面倒なので、話を切り上げるためには、「子供が居る」としておいた方が、面倒ではない。
だから、旅先の定番の質問には、定番の答えがあるもの。
それに対しては、英語ですっと答えられるように答えを用意しておいた方がいい。
旅先で聞かれる質問なんて、90パーセントは、決まりきったものなので、英語をいちいち考えることはない。
ラテンアメリカなんかだと、会話にも常に笑いが入るものなので、「結婚しているか?」と聞かれたら、わざと「離婚しました」と答える。
そっちのほうが、話が続いて、冗談で落としやすいからね(笑)。
グアテマラの入国審査では、離婚したと言ったら、「グアテマラの女と結婚したらどうだ」と聞かれた。
「金がないので結婚できない」と返事をしたら、相手も、冗談で返してきたりしたもの。
でも、イスラム国ではあまり冗談は通じない。
まあ、いろいろだね。
そうこうしているうちにバクタプルへ到着。
バクタプルはもちろん古い建物(寺院)があったわけだが、僕が覚えているのは、日本語で書かれた柱だ。
その柱には、「世界人類が平和でありますように」という日本語と、英語で「May Peace Prevail on Earth」と書いてあった。
ぼくはこれをなんだろうと、ずっと思っていた。
この旅行記を書くので、いまネットで調べたら、すぐにわかった。
なんでも、「ピースポール」というものらしい。
ネットには詳しい説明がありますから、興味のある人はチェックしてください。
あとはおみやげ物が売っていた。
曼荼羅と細密画が観光客用にお土産として売ってあった。
小さくて、荷物にならないし、いいお土産になると思ったが、買わなかった。
だって僕の旅は、別に観光旅行というわけでもないんだしね。
というわけで、バクタプルでは、曼荼羅と細密画のおみやげ物が記憶に残っている。
それと、いま何なのか、30年越しで謎が解明された「ピースポール」ね。
それと、1984年のカトマンドゥには、日本が寄付したバスが走ってたってこと。
思い出しながら書いていたが、結構面白い情報があったね。
僕の最初のカトマンドゥ滞在は、こんなものだったと思う。
もう一つ、人力車に乗って、坂を上ったお寺に行った記憶があるんだが、多分それは、2回目のカトマンドゥ滞在のことでしょう。
というわけで、僕は、カトマンドゥへ戻り、明日のスイスバスの切符を買った。
明日は、7時間バスに乗って、ポカラへと向かいます。
それから、あのフランス人には、今日は会わなかった。
それが僕がまだ独身で居る理由です(?!)。