日本女性をカトマンドゥ病院に連れて行き、カトマンドゥゲストハウスに泊まり、日本大使館へ相談に行く@カトマンドゥ/ネパール
1984年、ポカラでのんびり過ごしていた。
この時代でも、日本人旅行者は結構いたもので(ひょっとしたら、この時代の方が日本人は多かったかもしれない…)、入れ替わり立ち代り友達になっていった。
ポカラは小さな町で、メインストリートは、湖沿いの一本道なので、日本人に声をかけて、話をするのはカンタン。
旅先では、共通の話題があるし、同じ話を何度も繰り返すので、話が上手になって行ったよ(笑)。
だいたいは、ネパールのトレッキングや、ポカラ滞在の旅行者が多かった。
インド旅行をして、ネパールへやってきたという人たちもいた。
インドの話を聞くと、大変な情報ばかり入る。
どうやら、インド旅行というのは、やはり一筋縄ではいかないようだ。
ということは、インドへ行く決心が着かず、ますますポカラで、ぼんやり滞在してしまうことになる。
インドへ行く、踏ん切りがつかないからね。
ポカラにいるときに、ポカラからインドのバラナシへ行くルートがあるのはわかった。
バスの出発点は、田舎の道端だ。
バスがやってきて、出発するのを見たが、小さなおんぼろバスでした。
カトマンドゥへ戻らずに、ポカラからインド国境の町スノウリへ行って、そこからバラナシへ行くルートは、頭の中でできている。
ただ、いつ出発するかの問題だけだ。
そろそろインドへ行かなければと、真面目に考え始めたころ、ポカラで知り合った日本人女子大生さんが、体調を壊した。
彼女は一人旅なので、念のために、僕は、カトマンドゥの病院へ連れて行くことにする。
バスで7時間もかかるわけだから、ここは飛行機に乗った方がいい。
ゲストハウスの人に頼んで、飛行機の予約を取ってもらい、朝一番のフライトで2人でカトマンドゥへ。
これは、1時間もかからなかったと思う。
うろ覚えだが、料金は、1人50ドル程度。
空港からタクシーに乗って、カトマンドゥホスピタルへ直行。
特に予約を入れたわけでもないが、タクシーで病院に乗り付けると、すぐに30歳代の白人美人女医さんが診察してくれた。
そのまま、念のために入院ということになる。
僕としては、ポカラを朝出て、昼前には女の子を入院させたのだから、ベストの結果だった。
女医さんの話では、しばらく入院して、様子を見るということ。
僕は、つれてきた責任もあるから、状態が落ち着くまで、カトマンドゥにいることになる。
僕の宿は、わかりやすい「カトマンドゥゲストハウス」にした。
女医さんと相談して、僕の居場所を、ここに決めたってこと。
また、見舞いと様子を見に、明日病院で、会う約束をした。
カドマンドゥゲストハウスは、カトマンドゥでも名の知られたところで、日本の登山隊なんかも利用している。
もちろん予約などはせず、飛込みで行く。
病院からタクシーで、カトマンドゥゲストハウスへ乗り付けたら、部屋があったので、そのままチェックイン。
部屋はシングルルームで、きっちりしている(ホットシャワーとトイレ付き)。
受付もちゃんとしているし、全体的に、いままで泊まったゲストハウスより、2ランクぐらい上だ。
豪華ホテルではないが、必要なものは全部揃っている感じ。
部屋を決めて、外へ出ると、玄関付近にいた、山岳ガイドのシェルパから、声がかかる。
「トレッキングに行きませんか?」ということだ。
僕はもちろん山に関することは、疲れるので、最初から考えてはいない。
でも、相手も暇つぶしに声をかけている雰囲気なので、適当に世間話をする。
最近、日本人でトレッキングする人は、多いの?
とかね。
ただ、僕がいた時期は、カトマンドゥゲストハウスには、僕の他には日本人はいなかったようだ。
一人も出会わなかったものね。
カトマンドゥゲストハウスは、旅行者の集まる「タメル地区」のど真ん中にあって、いろいろと便利。
前回カトマンドゥに泊まっていた宿のある地区とは、にぎやかさが違う。
これなら、しばらくいられそうだ。
というのは、僕が連れてきた女子大生さんの体調が安定するまでは、見届けたいしね。
女性を信頼できる病院に入れて、信頼できそうな女医さんに預けた。
そして、僕は旅行者の集まるタメル地区の、有名宿に部屋を取った。
次は、日本大使館へ行きましょう。
大使館員にちょっと話したいことがあるんだ。