イギリス人女性トレッカーのシェルパに対する態度を見て、日本人との根本的な違いを旅行哲学する@ポカラ/ネパール
ポカラのゲストハウスの中には、広場を持っているものがあった。
ポカラで知り合った日本人旅行者が、泊まっていた宿がそうで、(湖に沿っていたので便利だったし)僕もそちらに移動したんだけどね。
「グリーンレイクホテル」みたいな名前だったが、今のガイドブックをみると、似た名前もない。
かなり大きな宿で、広場があり、両側に部屋がある建物があった。
そしてその宿泊設備のある建物の中間の空間が、広場になっていた。
この広場は、テントを張って、キャンプ場として使っていたようだ。
つまり、安宿には、ちゃんとした部屋があるのに、わざわざ広場にテントを張って泊まる人たちがいるってことね。
これは正直、かなり驚いた。
僕の考えだと、安宿があり、設備の整った部屋があれば、そこに泊まるもの。
テントを張るのは、部屋がない場合に限られる。
もちろん、テントを張る料金の方が安いだろう。
でも、ヒマラヤにトレッキングに来る人が、ゲストハウスに泊まるお金がないとは考えられない。
これが、日本人一般の考え方ではないかな。
テントはあくまでも、宿泊設備がない場合の、予備として考える。
ところが、欧米人は、テントを張って、テントに泊まることが目的で、山に来ているんだと気がついた。
ある朝、起きてみると、ホテルの庭に、テントが一つ出現していた。
このころは、同じところに泊まっている、欧米人との付き合いにも慣れていたし、ポカラの雰囲気にも馴染んでいた。
だから、気軽に声をかけるのも当然という感じ。
テントの外に、ネパール人が食事の用意をしていたのかな。
僕は声をかけて、「キャンプをしているの?」的な、軽い会話をする。
テントの中を覗き込むと、そこには白人女性が一人いて、本を読みながら食事を待っている雰囲気。
こちらにも、「おはよう!」と声をかけて、軽い会話が始まる。
彼女は、(年齢は推定だが)30歳代半ばくらいの、英国人女性。
これからトレッキングに出かけるようだ(トレッキング帰りだったかもしれないが、詳しくは聞かなかった)。
ネパール人男性がシェルパで、英国人女性が、その雇い主。
僕が感じたのは、英国人女性は、人を使うのに慣れているし、シェルパは使われ慣れている。
つまり、2人の間に、調和が取れてるってことね。
これは、使うものと使われるものの関係が、きれいに成立しているてことだろうね。
英国人は、人を使うのが上手だ。
日本人は人を支配したことがないので、人を上手に使うことができない。
自分の使用人にまで、変にご機嫌を取って、友達になろうとする。
でも、友達になってしまったら、友達に命令することはできない。
逆に、友達になろうとしても、命令する立場の人間は、命令される立場の人間と、友達にはなれない。
そこが、日本人が嫌われる原因なんだろうね。
英国は、世界中を支配したことがあるし、ずいぶんひどいことをしてきたが、それほど嫌われてはいないようだ。
ところが、日本は、結構嫌われている。
これは、日本が支配地域の人と友達になろうと考えていて、友達になったと誤解したからだろう。
使われる立場の人間は、使う人間に対して、友情を感じたりはしない。
という風に、旅行哲学した。
僕が感動したのは、テントを張っていた英国女性にコーヒーを出してもらったときだ。
シェルパは、特に、英国女性の許可や命令を待つことなく、僕と女性が話している雰囲気で、僕にコーヒーを作った。
英国女性とシェルパの息が、ぴったりと合っていると感じた。
僕だったら、もともと人を使うことができないので、気を使いすぎて、疲れてしまう。
気を使いすぎるから、人を使うことができない。
日本人の場合、会社組織がうまく動いているのは、すべて「立場」で割り切っているからだ。
日本人は、「立場」をわかって、立場に応じて、行動する。
だから、「立場」を理解している日本人同士ならば、互いに「立場」から、気を使って、組織はうまく動く。
ところが、外国人が入ると、そこには支配と被支配の関係しかないので、気を使うことはない。
だから逆に、日本人は「立場」がないと、人間関係を作ることができない。
例えば、僕は、近くのコンビニで働いていた中国人の女の子と何人も、冗談を言いあう関係になった。
でも日本人のコンビニ店員とは、そうはならない。
日本人のコンビニ店員は、よそよそしいか、それとも変に馴れ馴れしいか、のどちらかだ。
日本人は、立場を外れると、おかしくなるようだ。
これは、個人として独立できていないからではないかな。
日本人旅行者同士は、日本人旅行者という立場で、話すことはできる。
だから、日本人旅行者同士で話し合うとき、旅の話はもちろんできる。
ところが、そのほかの話はだいたいできない。
日本人旅行者は、旅行者という立場を離れると、話すことができないわけだ。
外国人の場合は、とにかく何についてでも、知らないことでも、論じることができる。
日本人は、ほとんど自分の意見というものを持たない。
まあこれを演繹すると、「日本人は自分の考えをもたないので、英語を話すことができない」という理論にたどり着くわけだが。
実際、話すことがないのに、英語を勉強するのは、ムダだ。
ホテルの庭に張られた、テントの外で、英国人女性と話しながら、この「旅行哲学」が、形成されようとしていた。
だんだん、ポカラの雰囲気にも、欧米人との付き合いにも慣れてきて、滞在も面白くなってきた。
その時に、あることがおきて、僕は日本女性と飛行機に乗って、カトマンドゥへ戻ることになった。
それから、カトマンドゥのタメル地区に滞在して、カトマンドゥをよく知ることになるんだけどね。
その話は、次回のお楽しみ。